SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

博多もつ鍋 より月

2009年09月22日 | グルメ
こんにちは、Renです。
最近朝晩が肌寒くなってきて、昼間の暖かさ/暑さに油断して薄着で出かけると帰りに凍えてしまうようになってきました。
どこかに出かけるときは上着が必須アイテムですね。

さて、そんなときに食べたいのは暖かい料理。
ヘルシーにおいしく暖かいものを食べよう!と思って、「博多もつ鍋 より月」(http://www.yoritsuki.jp/)に行ってきました。

雰囲気はとても落ち着いていて、ジャズ等のお洒落なBGMが流れていたりしつつも、店員さんがそれぞれあだ名の名札を付けていらっしゃる面白い店。
仲の良い人たちとわいわい楽しむのにもいいし、デートにも使えるような貴重な店だと思います。
ただし、分煙がなされていないことと、(これは店側の問題ではないのだけど)夜になると立川駅から店までの道のりが“危険な感じ”になっているのには注意です。

「より月」さんはもつ鍋の店なので、Renたちはもつ鍋(塩、2人前)をオーダー。

感じの良い店員さんがもつと野菜が贅沢に入った鍋が運んできてくれました。
いいダシが出ていて、野菜のうまみともつのうまみがじゅわわわわ~。
量に関しても、お通しともつ鍋だけで満足できるくらいいっぱい入っていて、この値段(塩1人前1050円)でおいしいものをこれだけ食べられるのはすごくお得な感じがします。

ここのおすすめはシメの雑炊。
中華麺と雑炊とがあるのだけど、Renはこの店は雑炊が良いと思います。
ただご飯と卵を持ってきてくれるのではなく、ご飯に角切りされた長芋が混ざってるんです。
そのおかげで、雑炊を食べるとしゃきしゃきした歯ごたえが楽しめて、とても新鮮でした。
もつ鍋自体ももちろんすごくおいしいのだけど、ここでは是非シメの雑炊まで食べることをおすすめします。
おいしくておいしくて、Sakuraと「おいしいね!」と言い合っていたら、あっという間にこんな感じ↓↓↓


店員さんによると、このお店の一押しは味噌のもつ鍋らしいので、今度は味噌を食べに行こうと思います。
それでは、また。


(投稿者:Ren)

スタ丼のお店 サッポロラーメン 国立本店

2009年09月20日 | グルメ
お久しぶりですSakuraです
Renに「goo書かないの~」って何回も言われました(笑)
ごめんね、遅くなりました・・・
ではでは!今日は国立の南口にあるお店をご紹介しようかと思います!

スタ丼のお店 サッポロラーメン 国立本店 でございます

駅から徒歩で10~15分くらいかな?赤い看板が目印です。
お店の名前通り、スタ丼(ご飯の上ににんにくがきいたお肉がのってるどんぶり)を出してくれるお店で、他にもラーメンやチャーハンなどなど色んなメニューがあります。
お店の雰囲気はほんとラフな感じで、10人くらい座れるカウンターと、小さいテーブル席が3つ、くらいだったかな?
やっぱり男性客が多くて、大学生くらいの人が多いかな~。長居できる感じではありませんが、お店の方も気さくですし、やっぱりスタ丼の味が忘れられなくて(笑)無性に食べたくなったりします

それで、私がいつも食べるのは「ミニスタ丼」¥450(確か)
こちらです!


「ミニ」といっても、女性には十分かとお店で食べると、お味噌汁と生卵が付きます。
私はいつも「ミニスタ」でお腹がいーーっぱい!!
ご飯の上に味付けしたお肉がのっている、シンプルなどんぶりなんですけど・・この美味しさはなんだろ?! 
お店の方がお肉を炒めるときに、なにか「秘伝のたれ(謎)」のようなものをかけてるんですよね~
きっとこの美味しさは、あのタレなのかな~?
卵をかけて、いっつもぺろっと食べちゃいます。

もし女性が行かれるのでしたら、ミニスタをオススメします
以前、並を頼みましたが、結構へろへろでした(笑)
そして、私よりへろへろになったのは、大盛りを頼んだRenでした・・・
ちなみにその時の写真です。


手前が並、奥が大盛りです!!

いーーーっぱい食べれる方、お腹に自信がある方は、チャレンジしてみても楽しいかも・・?です!

(投稿者:Sakura)

立岩真也・村上慎司・橋口昌治『税を直す』(青土社、2009年)

2009年09月16日 | 
こんにちは、Renです。
早いもので、Sakuraと一緒にこのブログを開設してから今日で99日目みたいです。
その割に投稿された記事は少ないような気がしますが・・・。
記念すべき100日目はSakuraに書いていただくとして、僕は懲りもせずに本の紹介をば。


立岩真也・村上慎司・橋口昌治『税を直す』(青土社、2009年)を読みました。



立岩さんと言えば、生命倫理の領域での議論が僕はすぐに思いつく(最近では『良い死』『唯の生』があります。どちらも筑摩書房。)のですが、今回の本は題名の通り、税制度について正面から論じたものです。
初め、立岩さんが税金について論じた本を出すということを知ったときは意外に思ったりもしましたが、よくよく考えてみると、尊厳死や安楽死が語られることの背景には経済的な問題が(も)あるということを立岩さんは極めて適切に仰っている(それが明晰に書かれているのが上に書いた『良い死』と『唯の生』です。)わけで、その問題意識の延長として財源論が出てくるのは自然な流れ。
ただ、「自然な流れ」と言ってしまったけれど、論じなければならないことが分かっていることをしっかりと論じる、ということはそんなに多くの論者が行っているわけではありません。
立岩さんは一つ一つの問題に関して、素朴にかつ粘り強く考察していって、みんながなんとなく思っていることは実はそこまで強固な理由がないのだということを明らかにしてくれる方(『私的所有論』とか『自由の平等』にそれが特によく現れていると思います。)なのだけど、その立岩さんの良さが、この本にもよく出ていると思います。

さて、本書の内容についてそろそろ語ろうかと思ったのだけど、実はこの本はそんなにたくさんのことを言っているわけではありません。
一文でまとめると、本書の主張は、次のようになります。

「社会保障や福祉、医療の問題を解決するには財源が足りないと言われ、消費税を増税することの是非ばかりが語れるが、これれまで何度も下げられてきた所得税の累進税率を、下げられる前の状態に戻せば財源は十分確保できる。」

素直に考えてみれば、自然なことです。
だけど、この自然なことが昨今ではほとんど議論されていないように思われる。
最近あった総選挙においても、「所得税の累進税率を元に戻します!」というようなことを少なくとも僕は聞かなかった。
代わりに聞こえてきたのは、「霞ヶ関の無駄を一掃します!」ということと、「消費税増税をいつかすることは避けられない」ということでした。

なぜ消費税の増税の是非ばかりが語られ、所得税のことは等閑視されているように見えるのか。
一つには所得税の累進構造がどんどんフラット化されてきたことを、みんなが忘れていることがあるかもしれない。
その点について、「こんなことがあったんですよ」ということをまず思い出させてくれます。
しかし、それだけではなくて、もう一つに、所得税の累進構造を元に戻すことにデメリットがあるんだということをみんながなんとなく思っているということがあるのではないか。
すなわち、税の中立性に反するということ、労働インセンティブを阻害してしまうということ、人や企業が海外に出て行ってしまうということ。
本書は、これらの確かに大きな問題であることたちについて、一方でこれらがさしたる根拠が示されないまま繰り返し繰り返し語れていたことをたくさんの言説の引用に拠りながら確認しつつ、その根拠の薄弱さを暴きだし、反批判を粘り強く行います。

やはり僕もなんとなく所得税をフラット化し、消費税を増税することは避けられないことだろうと思っていたのだけど、自分が思っていたその根拠がそんなにしっかりとしたものではなく、それにもかかわらずその「おそれ」や「可能性」ばかりが繰り返し語られていたことを知って、正直ショックを受けました。
所得税の税率の仕組みを1987年当時のものに戻すだけで6兆7千億円超の財源が得られるという第2部の村上慎司さんによる試算が、前提が強すぎてそのままでは受け入れることはできないことには注意が必要ではあるのだけれども、本書の主張の説得力をよりいっそう高めているように思われます。(ちなみに、言い忘れてしまったのですが、本書は3部構成になっていて、第1部を立岩さん(本書の主張)、第2部を村上さん(試算)、第3部を橋口さん(文献についてのレビュー)が書いておられます。)
立岩さんは社会学がご専門で、税については専門外の方なのだけど、本書の主張についての専門家の方による正面からの反応を伺ってみたい(僕も税制度についてまったく分からないので。本書を読んだ限りだと本書の主張に理があると思うのだけど、専門家の方から見ると重大な欠点が潜んでいるかもしれない。)ところです。

そして、橋口昌治さんによる本書の第3部は、税についての議論から少し離れて、主に2000年代の格差問題・貧困問題に関する文献をレビューしたもの。
たくさんの文献が言及され、短く内容を紹介されたりしていて、この10年ほどの議論のおおよその流れがなんとなくつかめた、ような気がしました。
言及された本の中で僕が「これは読んでみたいな」という本をいくつか見つけることができたので、それだけでこの部分は価値があったと思います。

このように、税率を1987年のものに戻した場合の税収の試算をした第2部と最近の文献をレビューした第3部は別にしても(ここは本書の目新しさだと思います。)、本書(第1部は本文のページ数の3分の2ほどを占めます)は、素直に考えてみれば自然なことを、それがまるでタブーであるかのようにほとんど語られなくなっている現在においてそれを論じたという点において、特に目新しくはないとともに目新しい、帯にある「財源問題への画期的提言」という言葉は決して過言ではない書物であると思います。
これまでの立岩さんの本と同じように、僕たちがなんとなく所与とみなしているような現在の世界・仕組みとは「別な姿の世界」を強靭な思考で提示してくれて、それでいて、理想論に逃げこむようなことはしない。
いままでの立岩さんの本以上に、たくさんの人に読まれるべき好著であると思いました。

個人的には、労働インセンティブが下がってしまうじゃないか!という批判に対する反論の一つとしてなされた、「人が実際に働いているのは、稼ぎを増やそうとして労働を増やしたり、得にならないからといって減らしたりできる場であるのか」(116頁)という指摘は、さりげないけれども極めて重要であると感じました。


(投稿者:Ren)

NHK全国学校音楽コンクール 関東甲信越ブロック大会(中学生の部)

2009年09月07日 | 音楽
こんにちは、Renです。
日曜に、Sakuraと中学生の合唱を聴きに行ってきました。
NHK全国学校音楽コンクール(http://www.nhk.or.jp/ncon/index.html)の関東甲信越大会です。
ちなみに、Sakuraも僕も出場する中学生たちとは全く関係なく、ただの観客です。



会場は大宮ソニックシティの大ホール。
9時前に着いたのに、すでにたくさんの人たちが会場をぐるりと囲んで並んでいてびっくり。
入場整理券は持っていたのだけど、「満席となった場合はご容赦ください」みたいなことがそれに書いてあったので、早起きして大宮までやってきたのに入れなかったらどうしよう、ってSakuraとかなり心配しましたが、無事に入場券をもらえて安心。

コンクールは二校合同で参加する2組を含め14組、16校が出場。
都道府県の大会を勝ち抜いてきた中学校だけあって、14組みんなRenの中学生時代のクラス対抗の合唱コンクールとは大違いのレベルでした。
そんな僕なので、難解な曲が歌われる自由曲については、それについて満足に語ることばを持ち合わせていません。
「音楽」カテゴリーはSakuraの得意分野なので、彼女にそういうところはお任せ!(笑)

僕の目当ては、実は課題曲の「YELL」だったりしました。
そもそも僕たちがこの大会を観覧しようと思ったきっかけは「YELL」だったのです。
一ヶ月か二ヶ月かにSakuraとくにたちを歩いていたら、夏祭りがやっていて、そのステージで地元の中学生が合唱をしていました。
彼女たちはとても上手で、歌声やまっすぐな気持ちが心に響いてきて、僕たちは二人とも感動のあまり泣きそうになったのです。
歌い終わったあと、その中学生の代表の子が「この歌をNコンで歌います」と言っていたので、家に帰ってすぐに検索。
この歌をもっと生で聴きたい!そう思って、NHKに観覧希望のはがきを出したのでした。
残念ながら僕たちを感動させてくれた子たちは今回の甲信越ブロック大会には出場できなかった(彼女たちはほんっとに上手だったんですけどね!)のだけど、上手な「YELL」を14回も聴けるんだと思って、ずっとうきうきわくわくしていました。

そんな思い入れがあるからかもしれません、過度な期待をしていたのが悪かったのかもしれません、ど素人のくせに批判めいたことを言うことになりますが、日曜の14校の演奏のほとんどには少しがっかりさせられました。
音程とかハーモニーという面ではおそらくよかったのだろうけれど、地元の中学生たちにもらったような感動がほとんどなかったんです。

自由曲は確かにものすごく上手でした。
大変難しい曲を歌うから、自由曲は何度も何度も練習したのでしょう。
特に今回金賞を受賞した2校のうちの松戸市立第一中学校の「Pamugun(すずめ)」は圧巻でした。
そんな彼女ら彼らからしたら、課題曲はちょちょいのちょいで出来ちゃうようなものだったのかもしれません。
ちょいちょいのちょいで出来ちゃうから、あまり練習しなかったのではないでしょうか。
簡単な曲だから、課題曲を甘く見ているんじゃないのか?と、「YELL」目当てだった僕は途中から思ってしまいました。

その中で、金賞は受賞できなかったけれど、横浜市立緑が丘中学校の「YELL」は(細かいところはともかく、)本当に素晴らしかったです。
この曲に感動した僕は、他の学校にも緑が丘中学校のような純粋でまっすぐな気持ちをこの曲に乗せて欲しかった。
音の強弱やテンポを「ここ、いじってますよ~」とアピールするなどの細かいテクニックももちろん大事なんだろうけど、歌詞が、ことばが、聴いている人にもっともっと届くようなそんな演奏をしてくれたらよかったのに。
決勝の全国大会を観覧できるかどうかは分からないけれど、決勝では課題曲の完成度をもう一段二段上げて臨んでいただきたいなと、ど素人の分際で思ったりしました。(もし関係者の方がご覧になっていらっしゃいましたら、ごめんなさい。)

結果発表は、聴いていた感じでは妥当な感じ。
栄東中学校・埼玉栄中学校が銅賞と発表されたときの会場のざわめきには驚かされました。
あとで分かったのだけど、栄東中学校は前の年の金賞受賞校なんですね。
前評判というものはこの世界でもあるんだなと言うことが分かって興味深かったです。

結果発表の後の参加者全員による課題曲の合唱は素晴らしかったです。
笑顔で歌っている子、泣きながら歌っている子を見ていて、「青春だなあ」と思って、泣きそうになりました。
こういうのを見ると、全国大会も観覧したいと思ってしまいますね。
観覧したいなあ。NHKにはがきを送らなければ・・・!!

(投稿者:Ren)

『岩波講座 哲学10 社会/公共性の哲学』(岩波書店、2009年)

2009年09月02日 | 
こんにちは、Renです。
早いもので、もう9月になってしまいました。
今日は、夏休みに読んで感銘を受けた『岩波講座 哲学10 社会/公共性の哲学』(岩波書店、2009年)をご紹介したいと思います。



本書は、編者の井上達夫さんによる全体の導入を兼ねた論文と、9人の論者による様々なテーマの論考、「社会/公共性」に関する概念について解説した論文、そして「社会/公共性」に関わる文献の紹介論文からなります。
井上達夫さん編集による「社会/公共性」に関する他の本(たとえば、『公共性の法哲学』(ナカニシヤ出版、2006年)、『現代法哲学講義』(信山社、2009年)等。何を隠そう、Renは井上達夫さんの大ファンだったりします(笑))と同じように、本書でも様々な立場を異にする論者の真摯な思索が提示されています。
そのことによって哲学的立場の統一性は損なわれてしまうという欠点はありますが、「社会/公共性」という共通の問題に関していろんな立場からアプローチすることによって、その問題をより立体的に見ることができるようになるという長所はあるのではないかなと思います。(いつか、井上達夫さんによるまとまった・包括的な公共哲学の本を読んでみたいなとは思うのですが。)

さて、そんな本書は、魅力的で刺激的な論考ばかりが揃っています。
すべてを紹介することはできないのだけれど、特に「社会は個人に湿潤しながらも脆弱性を抱え、社会の脆弱性は国家の脆弱性にも連なっている」(9頁)ことを剔抉する井上達夫さんの論考、社会と国家、社会と市場の密接な関係を指摘し、問題がある領域だけに集中しているということはないと示す杉田敦さんによる論考、様々な哲学の議論を紹介しながら、人格の同一性や幸福度の判断方法について哲学的に論ずる森村進さんの論考、法的ルールを社会的ルールと対比させながらその特徴を探り、「法という権威は、自生的な秩序志向性の収束点の一つとして集合的に選ばれて、はじめて事実上の権威になる」(101頁)こと、また「法がその実効性を安定的に維持するためには、(何らかの程度まで)法に従うことを命ずるコンヴェンションが安定的社会均衡に達することが不可欠であ」り、それが「ひとたび自生的な秩序志向性の収束点となれば、この主流コンヴェンションないし社会規範に反撥する(場合によってはただ乗りする)一部の人々に向けられる法的・社会的制裁装置がある程度機能している限り、それは容易には瓦解しない」(103頁)とする島澤円さんの論考、公共的な討議において排除されがちな情念や感情に注目し、その危険性に留意しつつもそれは人々の「規範的期待が何であるかを私たちに告げ知らせるもの」(124頁)であることを主張する齋藤純一さんによる論考、現代社会を表す有力な概念の一つとしての「リスク社会」について、その意義や背景を思想史を参照することによって明らかにしようとする中山竜一さんの論考を、大変興味深く読みました。
また、宇野重規さんによる「社会/公共性」に関する本の紹介論文も、ただそのテキストを断片的に紹介するだけではなくて、テキスト相互の内容や問題意識の関連性を読者に意識させる構成になっていて、分かりやすかったです。

冒頭に少しだけ書いたように、本書は様々な立場の論者が執筆しているものなので、内容の統一性はほとんどありません。
内容の充実度についても、残念ながら差がある(分量の問題もあるんだとは思いますけど。「もうちょっと先まで書いてくれたら・・・!」な論文がいくつかありました。なお、上で「特によかった」と言わなかった論文があまりよくなかったというわけではありません。)ことは確かです。
しかし、まさに社会の中で生きている僕たちは社会や公共性といった問題と真剣に向き合うことを避けることはできず、本書のような書物を読むことは僕たちが自分の人生をより充実したものにするための一つの重要なヒントをもたらしてくれるのではないかと思います。

自分が生きている世界を問題化し、意識化し、それを自分なりに捉え直す――。
そのことを通じて、僕たちは自分を取り巻く世界にただ流されるのではなく、主人公として生きていくことが可能になるのではないでしょうか。
哲学をする意義というのはそこにあって、「社会/公共性」というテーマは、その中でも僕たちに最も身近なテーマの一つとして、そこまで敷居を高く感じることなく接近できるものなのではないかなと思います。


ちなみに、くにたち関連で言うと、本書ではなく同じ編者による『現代法哲学講義』のほうに、いわゆる「国立マンション訴訟」について詳細に論じている文章が入っています。
「くにたちライフ」と言っているのだから、本当はこっちを取り上げても良かったのかも(笑)


(投稿者:Ren)