SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

JSTORは完璧ではなかった

2016年07月17日 | 【イギリス生活】学生生活
大学に在籍していたときにできていて、退学したいまできなくなったことの一つに、「大学の図書館のウェブサイト経由で電子ジャーナルにアクセスすること」があります。
これは本当に素晴らしくて、どこにいてもインターネットをつなぐだけで、読みたいと思った論文はほぼすべてダウンロードすることができました。
最先端の学説にちゃんとついていくために不可欠な論文へのアクセスができなくなることは、研究を続けていく上で大きな障害になります。

でも、実はRenが修士を過ごした大学は、卒業生(alumni)にJSTORのアクセス権を付与してくれていました。
大学の図書館のIDが失効するのを受けて、今日初めてalumniのIDでJSTORにアクセスしてみました。
しかし、、、いままで知らなかったのですが、JSTORはすべての主要なジャーナルをカバーしていないばかりか、アクセスできたものも最新のものが見られないという、完璧とはとても言えないものでした。

最新のものが見られない、とはどういうことかというと、たとえば今日(2016年7月17日)現在のアクセスでは、

American Journal of Political Science:2014年まで
The American Political Science Review:2012年まで
British Journal of Political Science:2010年まで
Comparative Politics:2014年まで
International Organization:2012年まで
Journal of Public Policy:2010年まで

というような状況。
また、Political Studies、The British Journal of Politics and International Studies、West European Politics等々といった 欧州の電子ジャーナルはあまりカバーしていない印象です。

もちろん、完璧ではないといっても、AJPSとかAPSRの数年前までの論文をダウンロード可能なことはとても有難いことです。
これができるのとできないのとでは全然違います。
でも、図書館のIDを持っているということはとてつもない特権だったんだなと気が付きました。
しばらく、この特権が失われたことを寂しく思いそうです。

(投稿者:Ren)

大学を退学することにしました

2016年07月16日 | 【イギリス生活】学生生活
イギリスから日本に帰国してもうすぐ1年になります。
この間、日々の仕事に追われながら、博士課程を続けるかどうか悩んでいました。

仕事は忙しくて、平日はほとんど研究する時間を取れない。
平日忙しいから、休日は体力の回復に努めなければならず、あまり研究できない。
あまり研究できていないので、“研究の勘”が鈍っていく。
この状況はこれからも続いていくのに、このままでは博士号を取るのに必要な研究ができない。
そんなにいっぱい給料も稼いでいないし、資産もない中で、高い学費を何年も払っていくのか。

いろいろ考えた結果、イギリスの大学から退学することに決めました。
もともと研究者になりたいという夢を昔から持っていて、もしかしたら研究者になれるかも!と2年くらい前に期待していたりしたので、少し落ち込んでいます。
ただ、研究者にならなくても、アカデミズムは実務の世界でも活かせるし、活かさなければならないと僕は思っているので、これからも職業研究者としてではなく、アマチュア研究者として勉強は続けていこうと思います。

イギリスの大学から退学しても、イギリスへの愛着が消えるわけではありません。
最近イギリスが国民投票でEUから脱退するという結果を出したとき、イギリスで排他的・閉鎖的な気持ちを持っている人が半分以上もいることにショックを受けました。
でも、イギリスにいる僕たちの友人たちはどうやら「Remain」に投票してくれていたみたいです。
イギリスがこれからどうなっていくかは全く読めませんが、そんな人たちが暮らすイギリスのことはこれからも好きであり続けると思います。

これでイギリスの大学の博士課程の学生ではなくなったので、いかなる意味でも「イギリスライフ」ではなくなったのですが、このブログはもうしばらくこの名前のまま続けようと思います。
友人の皆さまでほとんど更新されないこのブログをまだ読んでくださっている方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが、これからもよろしくお願いします。

(投稿者:Ren)

過保護なsupervisor

2015年06月10日 | 【イギリス生活】学生生活
パネルからの「指摘事項」を受けて今後の方針を相談するため、指導教授とミーティングしてきました。

約束の時間よりちょっと遅れてきた(←いつものこと)先生から「合格おめでとう」と言われて始まったミーティング。
「こんなに深刻な問題をたくさん指摘されているのにどうして合格できたのか信じられないです」と言うと、次のような展開が待っていました。

先生:「彼らは何か文句をつけることが仕事だから、それは問題なんじゃなくてただのコメントだよ。」
Ren:「そうなんですか。でも、指摘事項はかなり厳しくて、、、」
先生:「どんなコメントをもらってたんだっけ?」
Ren:「(指摘事項が記載された紙のコピーを渡しつつ)コメントは全部で5点で、特にこれこれの点とそれそれの点が重要なんじゃないかと思ってます」
先生:「どれどれ。・・・このコメントは完全に的外れだよ。君の議論の重要なポイントを理解できていない。」
Ren:「え、そうなん・・・」
先生:「次の点についてもたいした話じゃないよ。・・・ちょっとは修正が必要かもしれないけど、全体的に見て、特に深刻な変更はいらないと思う。・・・」

指摘がかなり厳しいものだったので、研究計画に抜本的な変更が必要なんじゃないかと思っていたのですが、先生から出てくるのは肯定的なことばかり。
仮にパネルのコメントがポイントを外しているものだったとしても、それは僕のプレゼン(&事前提出したペーパー)がクリアでなかったからだと思う(そのせいで伝えなければならないメッセージが伝わらなかった)し、質疑応答でちゃんと応答できなかった責任は全部僕にある。
でも、おそらくそれは承知の上で、相手の良いところをちゃんと見つけて指摘してくれるのは、本当にありがたいことです。
そうされないとどんどん自信をなくしてしまう僕も問題だし、そうしてくれる先生も過保護だと思わなくもないけど、この先生が指導教授で良かったと思いました。
研究者に将来なろうがなるまいが、こういう人になりたいものです。

結局、微修正は行われるものの、方向に大きな変更なく研究を続けることになりました。
それを説得力ある形で整理してクリアに提示できるようになることが当面の課題になりそうです。
PhDの学位は独立した研究者であることをシグナルするものだと思うから、僕も早く先生にいろいろ励まされたりサジェストされなくても自分で自分のすべきことをできるようにならないといけないですね。
課題の大きさや必要になりそうな方向転換を思ってここ最近暗くなっていたのですが、先生の部屋を出るときには「この楽しい研究をどんどんしたい!」と明るい気持ちになっていました。

宿題をもらったので、次回もまたほめてもらえるように頑張ろうと思います。
(あっ、またほめてもらうことを目標にしてしまった…。笑)

(投稿者:Ren)

「First Year Review」合格!

2015年06月08日 | 【イギリス生活】学生生活
そういえばまだ書いていなかったのですが、博士論文の中間報告会が先月開催されました。
各自の研究計画についてのプレゼンテーション(20分+20分質疑応答)を3人の教授(「パネル」)の前で行い、十分な研究の進展が認められる場合にのみ、次の学年に進むことが許される(合格しなければPhDコースからMPhilコースに転籍になる)、僕たち1年目の博士課程の学生たちにとっての最大のイベントです。

僕はプレゼンテーションに苦手意識はなかったのですが、今回はなぜかとても緊張したので初めて原稿を用意(読み上げ式にしました)。
授業中のプレゼンの練習でクラスメイトから指摘された疑問に応答しながらも、基本的に同じ線で問題意識、先行研究、研究計画を発表しました。

がちがちになりながら行ったプレゼンテーションは散々な出来でした。
先行研究の整理の杜撰さ、概念の曖昧さ、検証方法の甘さ、ありとあらゆるところから批判をいただいてしまい、あまり上手な応答もできず。
パネルの中に有名な政治哲学の先生が含まれていて、始まる前は「この先生から質問してもらえるなんて光栄だ!」などとミーハーなことを考えていたのですが、一番厳しい質問をこの先生からいただいてしまいました。
プレゼンの仕方についても準備についても反省すべき点がたくさんあるのですが、これは今後につなげていこうと思います。

中間報告会が開催されてから結果が出るまで3週間ほど。
あの出来では不合格になっても文句は言えない、と怯える日々を送っていました。

その結果がようやく先週通知されました。
本文に何も書いていないメールの添付ファイルをおそるおそる読んでみたところ、

「[T]he panel has considered your submission carefully and I am delighted to be able to tell you that you have passed」(強調、引用者)!!

ただ、合格の通知と一緒にパネルから伝えられた「懸念事項」(来年の中間報告(Second Year Review)までに対応することを要求されるもの)は、プレゼンの散々な出来を反映して、深刻なものが5つも挙げられていました。(一人ひとりにこうやって丁寧にアドバイスをしてくれるのはとてもありがたいことだなと思います。)
博士論文完成までの道の険しさと自分の課題の多さを改めて思い知りましたが、とりあえず無事に合格できて本当によかったです。

早速指導教授に結果を報告するとともに、今後の方針を相談するためにミーティングのアポイントを取ったら、
「おめでとう。これは大きな達成で、君はこのことを誇りに思うべきだ」
「パネルからのコメントは研究のこの段階のものとしては通常のもの(だからそんなに深刻にとらえなくて良い)」
というメールをもらえました。

ほめられて伸ばされたい僕の性格をよく理解していらっしゃる。先生、大好きです!!

(投稿者:Ren)

研究倫理ステートメントをめぐる一騒動(愚痴)

2015年04月14日 | 【イギリス生活】学生生活
博士論文の中間報告会(First Year Review)のための書類たちは今日が提出期限でした。
その提出に向けてひとまずは頑張っていたわけですが、書類の一つにこれから行おうとしている研究が研究倫理に反しないこと(反する可能性がある場合は、どのようにしてそれを避けようとするか)を書いてサインをするもの(研究倫理ステートメント)も含まれていました。
その書類にサインするのは、研究者本人と第一指導教授(first supervisor)と第二指導教授(second supervisor)。

ステートメント自体は簡単に書けました。
問題は指導教授たちにサインをもらうこと。
何が大変だったかというと、サインしてもらおうと思って彼らにメールしても全然返信がなかったのです。(先週末までイースター休暇中なので責められないけど。)

ようやく第一指導教授と連絡が取れたのは先週の初め頃。

Ren「この書類にサインをしてもらいたいのですが、今週(=先週)研究室に行っても良いですか?」
先生「いまホリディ中だから来週から来るよ。でも、まだいつから来るかは決めてない。その書類っていつまでだっけ?」
Ren「4月13日の月曜日までです。来られそうですか?電子署名でも良いそうです。」

でも、それからずーっと返信が来ない。
あんまりしつこく言うのも、、、と思って今日まで待っていたけど何も音沙汰がないので、昼頃に再度メール。すると、

先生「ファイルを送ってくれたらすぐサインするよ!電子署名だけど、学部事務局には言っておくから心配しないで。」

まだ第二指導教授と連絡が取れないんですよね、と書きながらファイルを送る(でも、事務局には何を言うつもりなんだろう?)と、すぐにサインしてくれて、事務局と第二指導教授と僕宛にこんなメールが。

先生「Renの研究倫理の書類に電子署名を付けて送ります。ドム(第二指導教授)、この書類に時間あるときにサインしてくれない?」

締切は今日までだから「時間あるとき」では困るし、事務局もいきなりこんなメールを送りつけられて困惑するだろうなと思ったけど、先生には全く悪気はない。僕の指導教授は無邪気すぎます。そういうところが好きなのだけど。。

これでなんとかギリギリすべての書類を提出できる、と思っていた(第二指導教授にはもう一度メールを送った)のですが、それからしばらく何も動かない。
焦った僕は博士課程のディレクターの先生にメール。

Ren「これこれこういう状況で、もうずーーーーっと第二指導教授と連絡が取れません。研究室に行ってみたけど、どうやら今日は来ていないようです。どうしたらいいでしょうか。」
ディレクター「指導教授一人のサインがあれば十分だよ。もう提出しちゃいなよ。」

あ、そうだったの・・・?よかった。
でも、そうなら、どこかにそう書いておいて欲しかったです。。


この2週間ほど、ずっとこのステートメントをめぐってそわそわしていました。
ずっとそわそわしていたので、書類を全部提出できたいまもそわそわしてしまいます。
結局、「どうしても今日までに提出しないといけないんです」とメールをした第二指導教授からはまだ返信がありません。
単にまだメールをチェックしていないのなら良いけど、何か失礼なことをして怒っていたらどうしよう(今後もお世話になるし)、と小心者ののRenは不安です。

「休み中は連絡が全く取れなくなることがあるから注意しなくちゃいけない」ということと、「そういうこともあるから普段からもっと連絡を頻繁にとっておいた方が良い」ということを学びました。


でも、実は、指導教授からドラフトへのコメントを先々週末までにもらう約束だったんだけど、それをまだもらえていない・・・。
きっと先生は忘れてしまったんだと思う(憎めない先生によくあること)から催促はしないでおくけど、もう少ししたら別の相談と一緒にフィードバックしてもらおうと思います。

(投稿者:Ren)

今年度のイタリア語クラスが終わって

2015年03月13日 | 【イギリス生活】学生生活
今週で今年度のイタリア語の授業が終了しました。
初回は先生の怖そうな雰囲気に緊張感が走っていたクラスですが、回を重ねるごとに我々も先生もお互いのキャラクターを把握し出して、どんどん楽しいクラスになっていきました。
もう来週からクラスがないんだなと思うと、少し寂しい気持ちになります。

僕がイタリア語のクラスを受けようと思った理由の一つとして、「博士論文の事例研究の対象にイタリアを選ぶかもしれない」ということがありました。
政府の公表物を初めとする一次資料を読むためにはイタリア語が読めないといけないし、イタリア政治の論点について英語文献には書いていない重要な洞察がイタリア語文献にはあるかもしれない。
でも、何度かの指導教授との話し合いを経て、結局イタリアは事例研究の対象から外れることになりました。

では何がイタリア語を続けるモティベーションになったかというと、それはやはり「英語以外の言語も使える人でありたい」という気持ちでした。
イギリスにやってきて、3か国語以上話せるヨーロッパ人が珍しくない(イギリス人はだいたい英語だけですが。)ことに僕は衝撃を受けました。
「3か国語以上話せる人」との出会いは、初めてイギリスで住んだManningtreeの時代からたくさんあったのですが、一番最近のショックはベルリンの国会議事堂見学ツアーのお客さん対応係をしていた若い女性を見たことです。

その、たぶん20代前半だと思われる方は、入場整理券(見学は無料だけど、人数制限があるので入りたい時間を予約する必要がある)を求めて列に並ぶ観光客のところにやってきて、「あと何分くらい待たなければならないか」や「どの時間帯のチケットがまだ残っているか」といったことを様々な言語を駆使して説明し、質問も受け付けていました。
彼女が扱えた言語は、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語。
僕たちの前に並んでいる方とフランス語で会話した後に、僕たちと英語で話し、後ろの方にはイタリア語で対応。歩いてきた人にドイツ語で対応し、その後またイタリアの人と会話。
そんな彼女の姿を見て、深い尊敬を抱くとともに、自分より若い人がこんなに多くの言語を扱えるということに衝撃を受けました。
僕の目指すべき姿は、ここで出会ったこの若い女性のあり方にあります。

このイタリア語クラスは学生を主な対象としたものではなく、受講者の多くは近隣の地域で仕事をしている大人たちでした。
彼ら大人たちはイギリスの文化を前提としてイタリア語を習うので、イタリア人の先生の言うことに対して、「イギリスでは○○なのに」とか「英語ではこういうときは~~と言う」などいう反応をしていて、僕たちにとってはイタリア語及びイタリア文化を英語及びイギリス文化と比較して学べるという、極めて恵まれた環境だったと思います。

イギリスで暮らしていて最近強く思うのは、大人と付き合うことの大切さです。
大人と付き合うことで、学生たちと話しているだけでは分からない、「イギリス社会における適切な振舞い方」や「どういう話し方・表現を用いるのが良いのか」といったことを学ぶことができます。
僕たちは夫婦で来たことやたまたま近くにいた方々のご親切等の幸運が重なって、大人たちと付き合う機会がたくさんありました。
このことで学べたことがいかに多かったか。
この経験は確実に僕たちを成長させてくれているし、それは僕たちの人生をより豊かにしてくれるでしょう。

もちろん、その分、僕たちは若者たちとつるんでいないし、若者たちがいまどういうことを考えているのかを知る機会は比較的少なかったと思うので、留学生活をする上でどちらが優越した経験かはそう簡単には語れません。
でも、イギリス文化を知りたいと思う僕にとって、大人たちと付き合うことができたことは非常に良かったなと思っています。
大人と付き合うまた一つのきっかけがイタリア語の授業で提供されていたことはとても幸せなことでした。

イタリア語クラスの先生からは「6か月間何もしないとせっかく学んだことをすべて忘れてしまう」ということで、
・イタリア語コミュニティーに参加してイタリア語を話すこと
・イタリア語の簡単な本が出版されているから、それを読むこと
を強くおすすめされました。

ここでイタリア語を忘れてしまっては、一生「中級者」レベルには進めないので、これからもイタリア語を学び続けようと思います。
試験がもうないのでどれくらい本気で学べるか、自分の精神力が試されるところだけど。

(投稿者:Ren)

大変なことがまとめて終わってくれた日

2015年03月06日 | 【イギリス生活】学生生活
指導教授はとても素晴らしい方なのですが、それでもミーティングのときは緊張します。
わざわざ時間を取ってもらうわけだから手ぶらではいけない(そうすると何も決まらないで終わってしまう)ので、その日話したいことについてまとめたレジュメをだいたい作っておかないといけません。
そのミーティングで当面の作業方針が決まるので、何をすべきか、何をしたいかについての自分なりの考えもあらかじめ持って行かなければなりません。

せっかくプレゼンテーションが終わったというのに、また連日夜遅くまで作業してレジュメを作って今日のミーティングに備えました。
僕はよほど自信なさげに見えるのでしょう、今回もいつも通りいろいろ励まされてミーティング終了。(あとで「毎回励ましてくれてありがとうございます」と御礼メールを送っておきました(笑)我ながら世話が焼ける。。)
ここ数か月の懸案だったケーススタディの対象が大まかに固まって、研究の全体像がようやく見えてきた気がします。
自分がどこに向かっているか全然分からなくて大丈夫かと焦っていたけれど、僕も少しは進歩できているのかもしれません。

それにしても、「しなくてはいけないことに追われるよりも、常にいま自分が一番したいことをするのが博士課程の研究において一番重要なことだ」と言う先生が指導教授であることは本当に幸せなことです。
この先生のおかげで楽しい学生生活が送れています。
自分の好きなことを好きなだけする、こんな生活がいまここイギリスで実現しています。


懸案と言えば、今日はイタリア語最後のアセスメントの日でもありました。
この試験に合格しようがしまいが別に構わないはず(落ちたからといって何らかのサンクションがあるわけではない)なのに、なぜか「あんまり悲惨な点数は取りたくない」と思ってしまって、この試験があることのプレッシャーをずっと感じていました。
残念ながら手ごたえはあまりないものの無事終わったので、これでもう試験を受けることはありません。
あと1回残っている授業はリラックスして受けることができそうです。


短時間でプレゼンテーション、指導教授とのミーティング、イタリア語のアセスメントが重なるというストレスフルな週でしたが、大変なことがまとめて終わってくれて今解放感を味わっています。
First Year Reviewのための書類作りに今度は急いで移らないといけないのですが、少しゆっくりしようかなと思います。
とりあえず、今日は久しぶりに早く寝ます。

(投稿者:Ren)

「First Year Review」プレゼンテーションの練習

2015年03月04日 | 【イギリス生活】学生生活
博士課程1年目の学生対象の授業でプレゼンテーションをしてきました。
これは5月中旬に予定されている「First Year Review」の一環としての何人かの教授のパネルを前にしたプレゼンテーションの練習という位置づけ。
同時に、この授業の担当教授は博士課程のディレクターなので、我々学生が着実に研究を進めていっているかを「First Year Review」の前に確認し、本番で悲惨なことにならないようにアドバイスする目的もあるのかもしれません。

プレゼンテーションをしなければならないことはこの授業が始まったときに知らされていて、ずっとプレッシャーに感じていました。
特に冬休みから今までは、このプレゼンテーションをどう乗り切るかばかり考えていたような気がします。
僕みたいな「なんちゃってCandidate」とは違ってクラスメートたちはしっかりとした「PhD Candidate(博士候補者)」なので、あまりにしょうもない発表をしてしまうと質疑応答のときにみんなにボコボコにされてしまう、という恐怖がありました。

でも、普段インプット(文献の読み込み)ばかりしている僕は、こういう機会がないとアウトプットできません。
アウトプットする過程でこれまで読んだ文献や自分の問題意識を整理でき、いままで迷走しているような感覚しかなかった自分の歩みを統合することができました。
「First Year Review」のためのessayを書き出す前に一度自分のプロジェクトの枠組みをまとめられて、とても有意義だったと思います。

プレゼンテーション自体は概ね好評で、クラスメート&担当教授からたくさんのコメントをもらうことができました。
準備にかなり力を入れて作ったものなのに、よくみんな一回聞いただけでこんなにコメント(批判)できるなとみんなの知性に驚嘆する一方で、突っ込みどころ満載なことに気づかなかった自分の組み立ての甘さを反省したり。
今回のプレゼンテーション資料をベースにこれから提出資料を作っていくので、いただいたコメントにうまく応答していければいいなと思っています。


ずっとストレスに感じていたプレゼンテーションが終わったので打ち上げをしたいところですが、今週はこれからすぐに指導教授との面談があったり、イタリア語の試験があったりして心が休まりません。
指導教授との面談の際には、前回出された宿題の答案を持って行かないといけないので、これから急いでその資料作りです。
イタリア語は最近どんどん難しくなってきているのでちゃんと勉強しないと試験問題に全く歯が立たなさそうだけど、、、諦めるしかないかな。

(投稿者:Ren)

イギリスの大学の素晴らしい先生たち

2015年02月21日 | 【イギリス生活】学生生活
ずっと書こうと思いながらなぜか書かないできましたが、指導教授とのつい最近の面談で改めて実感した感動が薄れないうちに、僕がこれまで接してきたイギリスの大学の先生たちがいかに素晴らしいかを記しておこうと思います。
ただし、僕が接してきたイギリスの先生は全体で考えれば極めて少数だからとても一般化できないし、同様に日本の先生も極めて少数しか存じ上げないので以下に書くことが日本の先生に当てはまらないと主張する気もありません。

イギリスの大学の先生に接してきて、僕は以下の3つのことに感動しています。

(1)オフィスアワーがある
僕が日本の大学生だったころ、ある先生が講義の開始時にこんなことを言っていました。
「質問や私の考えへの反論はいつでも歓迎する。ただし、質問する際は少し調べたり考えたりしてからにしなさい。」
でも、学生が感じる疑問なんて、ほとんどの場合ちょっと考えたり調べたりすれば解決してしまうようなもの。
そして、その「ちょっと」がどのくらいかをどうやって判断すれば良いのか、誰も教えてくれない。

僕は日本の学生生活で教授に質問をしたことは一度もありませんでした。
一度だけあるとすれば「授業中にいつでも私の発言を遮って質問していいよ」と言っていたある先生の授業でのこと。
ある理論の内容がよく分からなくてしばらくどういうことだろうと考えた末、次の話題に移っているときに「○○の理論のことですが、」と発言をしたことがあります。
僕の質問の仕方が悪かったのかもしれないし、先生の機嫌がたまたま悪かっただけなのかもしれません。
でも、そのとき、先生は「今ごろそんなことを聞かないでくれる?」と返してきたのです。
すごくショックで、その日以降はその授業に出るのをやめました。(それができてしまうのが僕が通った大学のシステムでした。必要単位以上の授業を履修できるので、必修科目でなければその授業の単位を取れなかったとしてもそんなにダメージはない。去年の大学院では余分な授業を履修できないことになっているので、一つ単位を落とすと修了できない仕組みでした。どちらが良いかは難しいところですが、少なくともこの理由で去年は一年を通してかなりの緊張感がありました。)

いまはもう変わっているかもしれないのですが、僕が大学生だったころ、オフィスアワーなどというものを設定している先生はほとんどいませんでした。
イギリスで通った大学では、すべての先生がオフィスアワーを設定しています。
まずそれに驚かされたのですが、すごく嬉しかったのは、ある先生が「オフィスアワーは誰でも自由に好きなことを話に来て良い時間だから、コースに関係ない雑談でも構わないよ」と言ってくれたこと。
先生に雑談をしにいく人がいるかどうか分からないけど、そう言ってくれたことで質問に行くことのハードルがかなり下がりました。

日本で一度も質問をしに行ったことがなかった僕が勇気を振り絞って研究室を訪れたときに先生が暖かく歓迎してくれたことがいかに嬉しかったことか。
最初に質問に行った先生のその対応のおかげで、質問しに行くことの楽しさとそうすることの実りの多さが分かったし、また、他の授業の先生のところにも積極的に質問に行けるようになりました。
そして、その先生が僕に「博士課程を考えてみたらどう?」と言ってくれなかったら、僕は博士課程に進むことなく帰国していたんじゃないかと思います。
オフィスアワーがあったこと、そして研究室に先生を訪れることの敷居を低くしてくれていたことがいかに僕にとって重要だったか、どれだけ感謝しても感謝しすぎることはできません。


(2)偉そうではない
もちろん、先生は先生なので学生が軽く見ていたりはしません。
でも、先生は自分のことをほとんどの場合ファーストネームのみで自己紹介するし、学生も先生のことをファーストネームで呼びます。
教えるからといって別に偉いわけじゃないということは考えてみれば当たり前なのだけど、僕にとっては大きな驚きでした。
お客さんと店員さんの関係と同じように、学生と先生の関係も、対等な人間関係。
偉そうにしないから、授業中に先生に冗談を交えながら質問する人もいるし、先生への反論(先生が再反論するのでとても勉強になる)も起こりやすいんだと思います。

去年、博士課程出願のための推薦状を書いてもらおうと思ってある先生の研究室を訪問したときのこと。
「実は博士課程の出願のためには推薦状が必要なのですが、それを書いていただくことは可能でしょうか」
というような話をしたところ、すぐさま快諾してくれ、なんと、「じゃあ、何を書くかの参考にしたいから」と、何を研究したいかとか、僕のバックグラウンド(学部で何をしたかとか、どんな仕事をしてきたかとか)を早速インタビューし、「いつまでに書けば良い?」と聞いてくれたのです。
お願いを当然のように気持ちよくOKしてくれて(「仕方がない、△△してやろう」みたいな感じではなく)、しかもそれを先生がすぐに書いてくれるんだ、と思って感動しました。

そうは言いながら、僕は先生のことをファーストネームでは呼びません。
たとえば、先生にメールを出すときはいつも「Dr.○○」と書いています。
理由は、単に日本社会で生きてきた僕は先生をファーストネームで呼ぶのはそわそわして気持ち悪いということだけですが、先生から「ファーストネームで呼んでよ」みたいなことを言われたことが一度もないので、実はイギリスの先生も「○○先生」と呼ばれると嬉しいのかもしれません。(良いレストランとかホテルに行って、スタッフの方から「Sir」なんて呼ばれると嬉しくなってしまう心理と同じか?この前、駅で駅員さんに「Excuse me, sir」と呼びかけた上である問い合わせをしてみたら、ものすごく親切な対応をされました(笑))


(3)褒めてくれる
「褒められて育ちたい」僕にはこういう先生たちになぜか囲まれたことはとてもラッキーでした。
エッセイなどの問題点を指摘するときも、まず「とてもよくまとまっているんだけど、」とか「すごく興味深いと思うんだけど、」と肯定的なことを言った上でしてくれるので、そのおかげで自信喪失しないですみます。
この前指導教授に出したliterature reviewは散々の出来だったと自分でも自覚してるのですが、それへのコメントとして先生が「とてもよくできている」とまず褒めた上で、「「問題」があるとすれば」という前置きのあと、「もうちょっと長く書いた方が良い」とか「文章の構成をちょっと変えても良いかもしれない」(この2点に問題があったら、ほとんど全体がダメなんじゃないだろうか??(苦笑))と指摘してくれたのには頭の下がる思いでした。

相手のポジティブなところを見つけてそれを伝えてあげることは、やろうとするとなかなか難しい。
こういうことをできる人間になろうと思います。
これは博士になるよりもはるかに重要なことだと思う。


こういった先生たちの特徴は僕のような普通の学生が勉強することを力強く後押ししてくれているように感じます。
研究業績とか研究の質、研究環境がどうかという点は措いておくとしても、この点だけでも僕はイギリスの大学院に来れて本当に幸せだと思う。
転じて、欧米に比べて日本の学生は勉強しない、とよく言われるけど、日本の大学は果たして学生が勉強することをどれだけ応援してくれているのか、最近ちょっと気になっているところです。

(投稿者:Ren)

学位記と成績証明書が届く

2014年12月13日 | 【イギリス生活】学生生活
大学から「送るよ」と言われていた修士の学位記と成績証明書が届きました。
書類が曲がらないようにするために封筒に厚紙を貼りつけて送ってくるという、イギリスとは思えない心遣い。
おかげでとても綺麗な状態で両書類を手にすることができました。

なお、もしかしたら入ってるかもしれないなと少しだけ期待していた修士論文の評価の理由(フィードバック)はやはりなし。
学位記と成績証明書の他に入っていたのは、来年6月の卒業式の案内でした。

昨年修士が始まったばかりの頃は、単位が無事に取得できるかどうかさえ不安でした。
でも、この不安のおかげで、おそらくそこまでする必要はなかったと思われるくらいに勉強することができたし、そしてその結果とても充実した一年が送れたと思います。
こうやって卒業式の案内を受け取るところまで来れて改めてほっとしています。


修士はこれで正式に終わりました。
これからは、博士になれるよう、より一層頑張っていこうと思います。

(投稿者:Ren)