SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

Matthew Flinders, Delegated Governance and the British State (Oxford University Press, 2008)

2015年03月30日 | 
本を読むのにも「適切なタイミング」というものはあるのだな、と最近改めて思います。
「適切なタイミング」でないときに読んでしまっても無駄になることは全くないとは思いますが、その本のメッセージや魅力を十分に認識することができないことがある。

イギリスに来る少し前に、Colin Hay, Why We Hate Politics (Polity Press, 2007)を読みました。
そのときは、この本は重要な問題を正面から扱っている野心的な試みだ、という印象くらいしか残らず、なぜ「W.J.M Mackenzie Book Prize」という、「なにやらすごそうな賞」を受賞したかがよく分かりませんでした。

でも、この本が書かれた時代的文脈や研究動向等の背景をある程度分かった段階でふと読み返してみて、いかにこの本が素晴らしいかが分かりました。
「W.J.M Mackenzie Book Prize」とは、年に一回、イギリス政治学会がその年に出版された最も優れた本に授与する賞ですが、その後のイギリス政治学に与えた影響の大きさを見ると、この本が受賞したことはとても納得がいく。
ということは、他の「W.J.M Mackenzie Book Prize 」受賞作品も素晴らしいんじゃないか!?

というわけで(前置きが長くなりました)、論文で引用されているのを見かけて少し気になっていた、Matthew Flinders, Delegated Governance and the British State: Walking without Order (Oxford University Press, 2008)を読んでみました。
ちなみに、これはColin Hayさんの次の年(2009年)の受賞作です。



本書は、世界各国で多用されているdelegated governanceに焦点をあて、それがイギリスにおいてどのように運用されているか解明しようとしたものです。
delegated governanceとは、省庁の機能や責任を別の、独立していたり半官半民だったりする政府外の機関に委任する統治手法で、それによって政府はその政策の推進に日常的な細かい社会政治的問題に煩わされることなく効率性や有効性を追求することが可能になります(p.3)。

それだけに、この統治手法は多くの文献によってはじめから「民主主義に反する、よくないもの」と前提されて議論されてきた。
しかし、我々はdelegated governanceについてほとんど理解していないのではないか(pp.12-13)。
本書における著者の基本的な研究の動機はおそらくこの点に求められると思います。

さて、本書の主な貢献は次の2点です。
①イギリスのdelegated governanceにおいて、委任が行われる条件、組織形態、委任の程度等において一貫した思想が欠如していることを示したこと(「Walking without Order」)
②全体像が全く明らかになっていないdelegated governanceを同心円状の「ロシアンドール」モデルでとらえる枠組みを提示したこと


①については、これまでいくつもの専門家や調査委員会が政府に対してdelegationの全体像を明らかにするように求めてきたにもかかわらず、未だにそれぞれのつくられた機関がどういう権限を持っているか、どういう条件でどういう組織形態がとられているのかはおろか、そもそもどういう機関が存在するかというリストも存在していないことが明らかにされます(p.67)。
その背景として著者は、何らかの理論に基づいて体系的に制度を構築することに対する政治エリートたちの懐疑心の存在を指摘し、外部からの明確な基準や理論に基づいてdelegated governanceを運用せよとの要求は国家のシステムが現実にどう動いているかについての知識が欠如していることの現れと映っていたとしています(p.92)。

ここで興味深いのはウエストミンスター・モデルとの関わり。
ウエストミンスター・モデルは責任と権限の中央集権を含むところ、実際はイギリスの政治制度は委任を多用するなど極めて分散的なものとして発展してきた(第3章)。
でも、ウエストミンスター・モデルが正統な理念として人々に定着していたために、逆説的にその現実は覆い隠され、今日のような形で発展することを可能にした。

別のところ(p.133)では、こんなふうにも述べられています。
正統な思考の型としてのウエストミンスター・モデルは以下の役割を持っている。
一方で、ウエストミンスターモデルがあることによって、delegationの全体像を明らかにしてしまうことは大臣が議会により直接的に責任を負うような形への改革を刺激してしまいかねず、delegationの利点を享受する行政としてはそれはやりたくない。
他方で、ウエストミンスターモデルの存在で、政策に関する注目は大臣がいる省に向かうので、その分、delegated governanceへの注目を逸らすことができる。また、delegationをしていたとしても大臣はいつも議会に答責性を追っていることになっているから、このモデルは「political confort blanket」ともなってくれる。
これまで単純に「イギリス=ウエストミンスター型」と短絡的に結び付けていた僕にとって、実は現実はそんなに単純ではないという著者の指摘は衝撃的でした。

さて、このように全体像が全く明らかになっていない中で、著者はdelegated governanceを含めた英国のガバナンスの全体構造を示すものとしてRussian Doll Modelを提示します(p.108ff)。
このモデルは同心円の9つの層とその外側のいくつかのまとまりでできており、一番コアに官邸と大臣省、それらの外側にトップが大臣ではない庁、executive agencies(どう訳せばいいやら何も分かりません。以下同じ。)、Special Health Authorities、Execitive Non-Departmental Public Bodies、・・・と続いていきます。

このように構成する利点は、第一にdelegated governanceの要素同士の相互関係を含む全体像を示せること、第二に長期的な機関の動き(delegationの度合いの)をフォローすることが可能になること、そして第三にこの枠組みは英国だけじゃなくて他の国にも使うことができること(p.129)。
情報も全然出ていなくて、制度的にも大変複雑な(同じような名称でも委任の程度が全然違ったり、その機関の任務を記した文書の文言も統一性がない(p.102))な中で、著者が全体像をこのような形に整理するのに費やしたであろう労力と時間とインスピレーションの鋭さを思うと、眩暈がします。


著者の立場は、delegationそのものには反対しないものの、答責性の確保の点から、これが一貫した理論なしに恣意的に運用されてきていることを批判するもの。
おそらくイギリスの政治にものすごく興味がないと手に取られることがなさそうな本ですが、現在のガバナンスに不可欠な役割を担っている政府関係機関のあり方に興味のある方にもとても参考になるのではないかと思います。

僕はこれまでイギリス政治についての専門書や論文をほとんど読んでこなかったし、delegated governanceの先行研究として引用されたものもほとんど知らない状態でこの本を読みました。
たぶん、この本を読む「適当なタイミング」ではまだなかったんだと思いますが、それでもとても感銘を受け、そしてわくわくしながら読める作品でした。
もう少し研究が進んだ後に、またこの本に戻って来ようと思います。


(投稿者:Ren)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿