SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

Cecilia L. Ridgeway, Framed by Gender (Oxford University Press, 2011)

2018年10月15日 | 
ここ最近、セクハラだったり入試における女子生徒の差別的取り扱いだったりと、ジェンダーの問題に関わるニュースをよく見聞きします。
これらの問題について考える上では、まず一歩引いて、基礎的なことを知っておくことが有益ではないか。
ということで、この度読んだのが、この本でした。



Cecilia L. Ridgeway, Framed by Gender: How Gender Inequality Persists in the Modern World (Oxford University Press, 2011)。

経済や政治等の環境の変化もあって、女性が男性と同じくらい働くようになってきたり、性別による差別が禁止されているにもかかわらず、なぜ米国においてジェンダー不平等が残っているのかを明らかにすることが、本書における著者のモティベーションです。
著者はこの問題を考えるにあたり、我々が他者と関わるときに無意識に、自動的に、相手を男であるか女であるかをまず判断する、ということに着目します。

著者は、人間は、自分や他者をなんらかのカテゴリーに属するものとしてから、他者とコミュニケーションをとったり、自分がどう振る舞うべきかを考えるのだけれど、そのようなカテゴリーの中で最も基礎的なものの1つが性別だ、と言います。
人種や階級などと違って性別が重要であるのは、男と女はあらゆるセクターにまたがって存在しており、両者は相互に関わることが非常に多いということ、そして、生殖のためにお互いがお互いを必要とするということがあるから。
我々は、他者が現れたときに、まず、その人が男なのか女なのかを判断することから関係を始め、それがうまくいかないと当惑を覚える。
本書のタイトルは、この点、すなわち、我々の社会が、ジェンダーというフレームによって構築されていることを指したものです。

ジェンダーというフレームがあることは、しかし、それが必然的に不平等な関係をもたらすとは限りません。
しかし、なんらかの原因(それを解き明かすことは本書の任務ではないといいつつ、著者は男性の身体的強靭さや女性が子供を産んだり授乳したりすることによる身体的制約を要因の一部として挙げています)で不平等が生じ始めると、片方の性が継続的に、体系的に有利な状況が作られ、それが現在にまで至っている。
それが、一般的に男性の方が能力があるという信念だったり、男女で適性がある仕事の種類が異なっているというステレオタイプだったり、男性はより積極的で女性はより気遣いができるという主張だったり。
これらが女性を仕事においても家庭においても不利な立場に置き、それがいかに維持されているか、ということを、社会学、社会心理学、組織行動論の理論と実証研究を豊富に引用しながら、論じていきます。

仕事におけるジェンダーバイアスとしては、
・使用者が労働者を募集する際に、その仕事に必要な性質や能力を既存のジェンダーバイアスに沿って考えやすく、「男性的」な職場では女性はあまり雇われない、
・人は自分と似ている人を好む傾向にある(in-group bias)ので、不確実性のある状況で上司は自分が頼りにできる部下を探す。その「頼りにできる」人は、自分に似た人であることが多く、同性の人が出世しやすくなる。マネジメントの地位にいるのは男性が多いので、ますます男性が出世しやすい、
・母親であるということだけで、能力や仕事へのコミットメントの度合いを疑われてしまい、男性よりも能力がかなり高くないと雇ってもらえない。一方、男性は父親であるだけで、強いコミットメントを評価される、
といったことなどが論じられ、
家庭におけるジェンダーバイアスとしては、
・家事育児時間の格差に影響する要因は、仕事のあるなしや賃金の多寡などたくさんあるけれども性別が最も強い説明力を持っていること、
・家事の中でも、より頻繁に行わなければならないようなコアな部分、すなわち料理、皿洗い、掃除などは女性がものすごくたくさんしているが、男性は、庭仕事などのように、そんなに頻繁にしなくても良いことをより行っている
・妻の家事時間を減らす大きな要因は、妻の収入。妻の収入が上がっても夫の家事時間が増えるわけではなく、妻の収入から外部委託(家事サービスや子供のケアなど)のお金が支出されるだけ。
・結婚し、特に子供ができると、女性のソーシャルネットワークは狭くなってしまい、家族以外の人とのコンタクトが少なくなる(男性は逆にネットワークが大きくなる)。外部の人たちとのコンタクトが減ることで情報や様々な機会を制限されてしまい、この悪影響が生涯の収入やキャリアの成功に響く、
といったことなどが書かれていました。

こういうジェンダーバイアスは、また、人々の自分が期待しているものや見たいものしか見ないというconfirmation biasや、あるいは社会の多くの人がそのようなジェンダーバイアスを持っていることを知っているので、そこから外れた振る舞いをすると非難されてしまうということもあって、経済社会や政治といった環境が大きく変化しても、このバイアスの変化にはラグがある、と著者は指摘します。
しかし、だからと言って、不平等が永続することは避けられないのかというと、そうではなくて、著者は、ジェンダーに紐づいた信念を薄くする戦略と、ジェンダーが重要な意味を持つ領域を狭くしていく戦略を提唱します。
前者については、現状、男女それぞれが得意なものがあると言ったとしても、現実には男性がより多く従事しているタスクの方がより高く評価されているので、男性的とされるタスクと女性的とされるタスクの価値をイコールにする必要があるとします。
具体的には、ケア提供の価値をもっと高めるべきで、そのためには男性がもっとルーティンな家族のためのケア提供にもっと参画するようにすべきだと主張します。
後者については、女性がもっと職場に進出することと、現在典型的に女性がついているような仕事に男性がもっとつくようにして、仕事をジェンダー中立的なものとすべきとします。

つまり、まとめると、
・男性がもっと基礎的な家事をするようにすべき
・女性が「男性的」な仕事にもっとつけるようにすべき
・もっと多くの男性が「女性的」な仕事につくようにすべき
ということで、少なくとも上の2つは日本の課題と同じなのかなという感想を持ちました。
最後の1点はとても重要なのだけど、「女性的」な仕事(典型的にはケア提供)は、往々にして評価だったり賃金が低く設定されているので、この分野の賃上げが実現しないと難しいのではないかなと思いました。

本書は、人々がジェンダーというフレーミングで世界を見ているということから現在のジェンダー構造を明らかにするという点では、とても分かりやすくて良かったのですが、政策論というところでいうと、具体性がもう一歩で、「じゃあ、この構造を変えるためには何をしたら良いのか」という最も重要な問いには十分に答えられていないように思いました。
ただ、政策論を考えるためには、現在の不平等がどういう仕組みで成り立っているかが分かっていることがとても重要。
この本の内容を踏まえると、経済学や政治学などで提案されている政策提案がよりよく理解できるのではないかと期待しています。

世界の見え方が変わる、楽しい読書ではあったものの、コアなルーティンの家事を男性は全然していない、という指摘は僕にぐさりと突き刺刺さりました。
もっと家事を頑張ります。

(投稿者:Ren)

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