SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

木寺元『地方分権改革の政治学』(有斐閣、2012年)

2013年10月28日 | 
少なくとも一週間に1冊くらいは何か本を取り上げようと思っていたのですが、来週の予習が追い付かなくて今週は本を一冊も読了できませんでした。
でも、だからといって今週何も書かないと、今後もずるずる行ってしまいそうなので、かなり前に読んだ本だけどものすごく感動してイギリスまで持ってきた、木寺元『地方分権改革の政治学:制度・アイディア・官僚制』(有斐閣、2012年)をご紹介しようかと思います。



本書は、従来粘着性や持続性が強調されてきた「制度」が変化するメカニズムを説明するために注目されてきた「アイディアの政治」アプローチを近年の地方分権改革の政治に適用して、①日本の中央地方関係研究に貢献し、②制度変化についての政治分析モデルへの理論的貢献をし、さらに③官僚制研究の深化への貢献を果たそう(pp.10-12)という、極めて野心的な試みです。
著者は「アイディアの政治」アプローチにおける近年の理論的発展、及び日本政治において官僚の果たす役割(政策知識を政治家に提供、政治的支持調達にかかる調整等々)の重要性を踏まえ、以下のような仮説を立てます。

①ある政策アイディアが政治アクターに受容され、そのアイディアが政策目標とされる局面(「構成的局面」)において、
 (i)そのアイディアが問題となっている経済社会問題を解決でき(「必要性」;「認知的次元」)、且つ
 (ii)そのアイディアが政治アクターの価値観に合致する(「適切性」;「規範的次元」)場合
においてはじめて、そのアイディアはその政策を推進しようとする「主導アクター」を獲得できる。
②政治アクターがその政策目標を主体的に実現させようとする「因果的局面」において、主導アクターが政治エリート間の合意形成を導く「専門的執務知識」を十分に有しているとき、その政策アイディアは制度変化に結びつく。(pp.55-60)

この仮説は、具体的に
・市町村合併政策(80年代まで/90年代以降)
・機関委任事務制度の廃止(80年代まで/90年代以降)
・地方財政制度改革(小泉政権における地方交付税総額削減/90年代までの交付税制度改革/00年代以降の交付税制度改革)
・第二次分権改革
においてその妥当性が検証されていきます。
これら事例は、①構成的局面における(i)認知的次元における受容の有無、(ii)規範的次元における受容の有無、②因果的局面における主導アクターの専門的執務知識の有無がそれぞれ異なっており、それぞれの要素の有無による制度変化の帰結への影響を比較検討できるようになっています。(結論としては、①(i)+(ii)+②で制度変化がもたらされるという仮説が確認されています。)

僕が特に感銘を受けたのは、上記のリサーチデザインが見事に示されている第1章でした。
第1章においては、制度変化のメカニズムを明らかにしようとした先行研究や日本の官僚制における先行研究、さらに近年の「アイディアの政治」アプローチの理論的深化の動向が詳細に検討された上で、上記の仮説及びリサーチデザインが示されます。
政治学の理論動向のレビューとしても大変勉強になるだけでなくて、研究手法としてもお手本になるような素晴らしい章だと感じました。
僕は地方政治にそこまで大きな関心を持っているわけでもないのですが、本書のような研究ができたらいいなと思って、イギリスまで持ってきてしまいました。

こちらの大学では方法論が非常に重視されていて、自分たちは科学者(scientist)なのだ、ということを最初の数回の講義において叩き込まれます。
これまで方法論にほとんど無頓着だった僕はそこに感銘を受け、またそこで苦しんでいるのですが、方法論の重要性を(なんとなくですが)理解できるにつれ、改めて本書の素晴らしさが分かってきたような気がします。
政治学の理論に関心がある方にも、近年の地方分権改革がどうだったかに関心がある方にもおすすめできる本なのではないかと思います。
また、ドラマチックな「あとがき」も、読んでいて暖かい気持ちになれました(これは読んでからのお楽しみ!)。

本書は、僕がもっと政治学を勉強してみたいと思ったきっかけの本である、Alan M. Jacobs, Governing for the Long Term(Cambridge University Press, 2011)(⇒http://blog.goo.ne.jp/latraviata0608/e/2e8088e730d7bd9d4fb6c408715ed983)とともに、いまの僕のバイブル的な存在だったりします。
本書のような研究に少しでも近づけるように、もっともっと勉強していきたいと思います。

・・・ということで、来週は、ちゃんと何か一冊だけでも英語の本を紹介できるようにします。。

(投稿者:Ren)

イギリス人のファッション、謎のレギンス。

2013年10月23日 | 【イギリス生活】
イギリスに来て数日経った頃、ボトムスがレギンスだけの女性を見かけました。

日本でもレギンスはお馴染みですが、チュニックやショートパンツの下に合わせたりするのが主流で、
レギンスオンリーで街を歩いている人は今まで見たことがありませんでした。

腰回りが何も隠れてないので「大胆な人だなぁ。。」とその時は思いましたが、
単にその方の趣味かと思いあまり気にとめていませんでした。

・・・ですが、暮らしていくうちに、レギンスだけの女性を多数発見
若い子もマダムも、スリムな人もグラマーな人も、出てくる出てくるレギンスだけの人。

これはもしや流行ってるのではないか。。と思うようになりました。

このファッション、非常に目のやり場に困ります。

ピタピタのレギンスなので、前も後ろも体の形ががくっきり、
脂肪のつき具合や、下着のラインもくっっっっきりです。

以前、前を歩くグラマーな女性がレギンスファッションで、お尻のラインがくっきり、赤のTバックが透け透けなことがあり、
どうしたらよいものかとオドオドしていたら、Renはびっくりして固まっていたことがありました。笑

最近はたくさん見たので慣れてきましたが(?)日本人のSakuraからすると、ちょっと真似できないファッションです。

そういえば先日、Colchesterのショッピング街を歩いていたら、ショウウィンドウに飾られていたマネキン達が
全員レギンスを履いていて、あ、やっぱり流行ってるのかも!と妙に納得してしまいました。

もうちょっと英語が話せたら、他国の子にあのファッションどう思ってるか聞いてみたいとこです。

(投稿者/Sakura)

Samir Okasha, Philosophy of Science: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2002

2013年10月21日 | 
ある授業の参考図書の一つとしてSamir Okasha,Philosophy of Science: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2002を読みました。


Oxford University PressのA Very Short Introductionというシリーズは、何年か前に岩波書店から「〈一冊でわかる〉シリーズ」が刊行されたときに初めて知り、それ以来興味だけは持っていましたが、岩波書店のその翻訳シリーズも含めて読む機会はなく、今回が初めて。
さっき調べてみたところ、この本はすでに邦訳が発売されているようです。(⇒http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/1/0268960.html

本書は大きく分けて2つのパートに分かれていて、「科学とは何か」にまつわる論点と個別の分野における論点が解説されています。
前者については、科学と疑似科学をどう分けるか、科学的推論の方法(帰納/演繹など)、科学的説明とは何か、科学的真実は存在するか、パラダイム論といったものが取り上げられており、後者については、ニュートンとライプニッツの空間と時間をめぐる論争や生物学における分類方法、心とは何か、それから、科学と社会の関わりといった事柄が議論されています。
それぞれの論点についてある立場とそれに反対する立場の論争が公平に(どちらかに肩入れすることなく)紹介されていて、科学をめぐる哲学においてどういう論点があり、どんなことが主張されているのかが分かりやすく整理されていました。(例外として、進化論に反対する創造論については、その論理の脆弱さを厳しく批判。)

実際手に取ってみると予想以上に薄くて小さかったので、この本で本当にちゃんとした情報を得られるか不安でしたが、挿絵(写真)や図を用いた説明がいくつもあり、Renのような初心者にとっても分かりやすく、かついろいろな論点も紹介してくれる良書でした。
この分野を専門的に勉強してはいないけれども、「科学」と向き合わなければならない関連分野を勉強している人(政治学Political Scienceもこれに含まれます)がまず初めに読む本として、おすすめできるのではないかと思います。
冒頭にも書いたとおり、本書がRenにとっての初のA Very Short Introductionシリーズだったわけですが、本書が予想以上に良かったので、シリーズのほかの本にも手を出してみようと思います。


今日は明日の授業の予習がまだ終わっていないので、全然紹介になってなくて申し訳ないのですが、このへんで。。

(投稿者:Ren)

J.J.C. Smart & Bernard Williams, Utilitarianism: For and Against, Cambridge University Press, 1973

2013年10月14日 | 
イギリスの大学院に通い始めるとたくさんの英語の本を読むことになります。
時間と能力の制約から読んだ本のすべてを取り上げるわけにはいかないけど、自分の頭の整理のためにも出来るだけ多くの本をご紹介できたらと思います。
学会誌とかを除くと日本語では英語の本はあまり紹介されていないように思われるので、恣意的で不正確な紹介でも少しくらいは行う意義はあるのかなとも思うので。

ということで、今日はJ.J.C. Smart & Bernard Williams, Utilitarianism: For and Against, Cambridge University Press, 1973をご紹介します。


本書は、功利主義を支持するJ.J.C. Smartさんと功利主義を批判するBernard Williamsさんの2篇の論文からなるものです。

J.J.C. Smart, "An outline of a system of utilitarian ethics"では、功利主義の様々なタイプが紹介・検討(行為功利主義/規則功利主義、快楽主義的功利主義(ベンサム)/理想主義的功利主義(ミル、ムーア)など)された上で、行為功利主義を支持する筆者の立場から行為の正しさやルールの役割、正義との関係といった諸問題が論じられていきます。

功利主義のタイプについては、具体的には、
・行為功利主義(その行為の結果が効用を最大化するかどうかを評価)か規則功利主義(ある行為について、その行為がそれに従ったときに効用が最大化するような規則に従っているかどうかを評価)かというところでは、David Lyonsさんという方の、もしあるルールに従わないことがベストな帰結をもたらすとするならば、そのルールはそうした選択を許容できるように修正されるべきで、そうするならば規則功利主義は行為功利主義に解消されることになるという論に賛意を示し(pp.10-12)、
・また、快楽主義的功利主義(その行為の結果がどのような活動から来ようとも、同じ幸福の量は同じように評価)か理想主義的功利主義(知識を獲得するような活動に内在的価値を認める)かというところでは、両者は実践的には同じ結論を導くだろうとします。すなわち、理想主義的功利主義に立つミルは「不満足なソクラテスの方が満足しているバカよりも良い」と言うが、快楽主義的功利主義に立つベンサムもたとえ不満足であったとしても哲学者が存在していることは人類一般の発展に寄与する(外在的価値がある)のでミルに賛同するだろう(pp.14-18)、と。

Smartさんの論旨はとても明快でとても読みやすかったのですが、
・総計と平均とのどちらの効用を最大化すべきかという論点において、「等しい効用を持つ百万人がいる世界」と「同じ等しい効用を持つ二百万人がいる世界」(すなわち、両者の平均効用は等しいことになる)とだったら後者を選ぶよね、だから総計を最大化すべきだ、みたいな理由になっていない理由を持ち出して正当化(pp.27-28)しようとしたり、
・義務論者からの、「深刻な暴動が発生することで何百人もの死者が出ることが予想されるが、ある一人の無実の男の罪をでっち上げて処刑すればそうした事態が避けられる、という事態があるときに功利主義はその男を処刑することを選択してしまう」という批判に対し、それは大事な問題だと認めつつもちゃんと応答できていない(pp.69-72)、
という2点に不満が残りました。

ただ、このうち後者については、功利主義者ならば「何も悪くない人が、みんなの利益になるからといって犠牲になるのはよくない」という主張はただの信念を述べているにすぎず、そうした信念を持ち出して功利主義を批判するのは論点先取でしかない、と主張するのかもしれません。
僕はやっぱり、それが単なる信念でしかないとしても、何も悪くない人が犠牲になるのはよくないと思ってしまう。
でも、じゃあ、その選択のせいで何百人もの死者が出ても良いのかというと、そうだとも言い切れない。
これはただの論理的可能性であって現実にはほとんど起こらない、とSmartさんは言う(p.71)のだけれど、でも、たとえば、「無実」という前提を外した事例としてどこかで聞いたことがある、「あるテロリストが大都市に爆弾を設置した。それが爆発すると何万人もの死者が出ると予想されている。いま、このテロリストが拘束された。爆弾の設置場所を聞き出すためにテロリストを拷問にかけていいか」みたいなことは現実に起こっても不思議ではないように思えます。
そういうとき、本当にどうしたらいいのでしょうか。ずっと考えているのですが、答えが見つかりません。


Bernard Williams, "A critique of utilitarianism"では、Smartさんを念頭には置きつつも、功利主義一般について、それが作為と不作為を分けないことや人のインテグリティ(うまく訳せないけど、自分の人生や自分自身に対する誠実さ、みたいなもの?)を毀損することなどを指摘しつつ、批判的検討が行われていきます。
Smartさんの簡潔な文章とは違って、Williamsさんの文章は細かい論点を取り上げているからなのかもしれないけれど、とても分かりにくく感じました。

それでも、理解できた範囲でだけ少しWilliamsさんの議論を記しておきます。
作為と不作為を分けないという批判については、たとえば「Jimがある村に着くと縛り付けられている20人の男がいた。彼らの前にはその村の部族長がいて、どうやら20人の男はこの村に敵対する集落から連れ去られてきたようだ。部族長は彼ら全員を殺害しようとしているが、その部族長は賓客であるJimに敬意を表して、Jimが20人のうち1人を選んで殺害すればあとの者は釈放する、と言ってきた。Jimが拒否するならば、部族長は20人全員を殺害する」という仮想事例(pp.98-99を縮めるために少し改変)において、Jimが要求を拒否することが部族長が20人を殺害する結果を引き起こしはするものの、20人を殺害するのは部族長であって、部族長にはそのほかの行為を行う選択肢もあるはずで、従って作為と不作為の区別はやはり道徳的に重要ではないか(pp.108-109)、それなのにこれらを功利主義は区別できず、不当であるとします。
また、功利主義がインテグリティを毀損するということについては、人はそれぞれ人生の計画や、他者・制度・活動等へのコミットメントを持って生きているが、功利主義はそれらを考慮せずに結果しか考えないので、計画だったりコミットメントに反した行為を人に強いる(従って、インテグリティが破壊される)ことなり、不当である(p.110以降)と主張します。

個人的にはWilliamsさんの主張に共感を覚えるのだけど、残念ながらこれらは功利主義への致命的な批判にはなりえないような気もします。
功利主義はそれを徹底すると「これは倫理的信念に照らして不当なのではないか?」という結論を導き出してしまうことがその最大の欠点のようによく言われるけれども、事実、僕の信念に反するような結論を功利主義は次々と導き出してしまうのだけど、でも、功利主義は「権利」とか「正義」とかを義務論者のように特別扱いしないのだから、「不当じゃないか!」と言ったとしても功利主義を反駁したことにはならない。
功利主義は、見た目よりもかなり頑丈な主張であるように思えます。


本書において、SmartさんもWilliamsさんも読んでいて面白い仮想事例をいくつも提示しながら議論を展開してくれるため、読者は楽しんで読み進めることができます。
新書以上四六版未満くらいの大きさでページ数が155と大変コンパクトなことも、このトピックについて概要を知りたい読者に適しているといえる点かもしれません。
1973年出版の本なので最新の議論からするともう古いのかもしれない(ただし、手元にある本は2008年に印刷されているようなので、いまでも広く読まれている作品なんじゃないかと思います)けれど、功利主義に興味を持っている方は一度読んでみても良いのではないかと思います。
僕にとっては、功利主義のいろいろなタイプやそれをめぐる論点が整理されていて、大変有益でした。

(投稿者:Ren)

イギリスで買える日本食 ①お米

2013年10月12日 | 【イギリス生活】
Colchesterに引っ越してきてから、大学の近くにあるスーパー「Tesco」によく行ってます。

近くといっても徒歩20~30分くらいかかり、急な坂道もあるので行くのも一苦労です。
でも、学内の食品はあまり美味しくない・・・のと、品揃えが悪く値段も高いので、あまり利用してません。

こちらに来て結構びっくりしてるのが、学内で売ってる物が全般的によろしくないこと。
日本だと学内には安くて美味しい学食があったり、生協などで質が良く、でも一般より価額が安い文房具や生活用品が買えるのが普通ですよね。

SakuraもRenもそんな感覚でいて、学内に置いてあるんだからまず間違いないやろと思って買ったら、
???な品がたくさんあり、学外に買いに行くようになりました。

さて、近所にあるTescoは大型店で、お米もたくさん売ってます。
ですが、米粒が細長いタイ米のようなものが主流で、日本のお米のような丸い形のものがないかなぁと探していたら、
発見しました。

NISHIKI(アメリカ産)£12


NISHIKIは、以前こちらで知り合ったフランス人の方が「うちはこのお米を使ってます!」と教えてくれた商品で、
ずっと探していたものでした。

イギリスにいても、探せば意外と日本食って手に入りますね

まだ食べてないので、感想は後日。。

(投稿者/Sakura)

秋学期の履修科目

2013年10月11日 | 【イギリス生活】学生生活
Renです。
先週は入学手続きだったりオリエンテーションがあっただけですが、今週からいよいよ本コースの授業が本格的に始まりました。

今学期(秋学期)、僕が履修しているのは以下の科目です。(いずれも通年科目なので、来学期もこれらの科目を履修することになります。)

・政治科学の理論と解釈
・リサーチメソッド(上級)
・政治行動論
・現代正義論

いずれも2時間の授業が週に1回。
ただし、「リサーチメソッド(上級)」のみ、90分のTAセッション(統計ソフト演習)がさらにプラスされます。
たったの4科目なんて少なすぎる!と履修登録するときは思いましたが、実際に1週間過ごしてみると、このくらいの科目数が予習時間を十分に確保することを考えるとちょうどいいのかもしれないということが分かりました。(平行して修士論文の構想も練っていかないといけないので。)

今週はどの授業もイントロダクションということで、予習に必要な文献は来週以降の半分か3分の1くらいでした。
にもかかわらず、夜遅くまで起きて文献を読む日が続き、本当は予習+αの勉強をしようと思っていたところ、予習だけで精一杯。
慣れてくれば読むスピードや理解力も上がってくるのでしょうか。
来週以降は普通の予習に加えて、来月上旬が提出期限のレポート(1つだけではないのが恐ろしいところ)や来月中旬のプレゼンテーションの準備もコツコツしていかなければならないので、今後が心配です。


履修している科目の中で一番不安なのは、「リサーチメソッド(上級)」。
これは計量経済学の手法を用いた仮説検証方法のトレーニングをするもので、社会科学としての政治科学を修めようとするのであれば避けて通ることができないものなのですが、今週の授業の予習用に指定された論文を読んでも何が書いてあるのかかさっぱり分からず。
計量経済学はおろか、統計学もこれまでろくに勉強したことがないので、みんなが当たり前のように使っている概念や用語がさっぱり分からない。

そんな初心者がなぜわざわざ「上級」の授業を取ったのか。
別に見栄を張っているわけではなくて、この「上級」の授業が必修だから仕方がないんです。
他の科目はひいひい言いはするかもしれないけどたくさん読んで頑張って文章を書いたりすればいいだけだから、良い成績を取れるかどうかは別として、まあ、なんとかなるだろう。
でも、この科目だけは、努力してなんとかなるものでもないような気が…。


今日の教訓:大学院にアプライするときは、必修科目をちゃんと確かめてからにしましょう。
いや、正直に告白すると、政治学の方法論をしっかり教えてくれるところに魅力を感じてこの大学を選んだので、アプライする段階ですでにこれが必修であることは知っていました。
だから、反省点はむしろ、この科目が上級クラスであり、必修であることを知っていたにもかかわらず、統計学や計量経済学をしっかり勉強しないままここまで来てしまったことですね。
…まあ、後悔しても仕方ないので、とにかく頑張ります。


(投稿者:Ren)

Colchesterに引っ越しました

2013年10月04日 | 【イギリス生活】
先日、ついにManningtreeからColchesterに引っ越してしまいました。
Renが通っている大学の寮(カップル向けの部屋があるんです!)に2人で住んでいます。

ここの良いところは、普通のシングルの学生たちの住む部屋とは違ってトイレやキッチンが共有ではないことや、リビング兼勉強部屋とベッドルームが分かれていて結構広いこと。
悪いところは、挙げていけばきりがありません…。(今後、おいおいご紹介していくと思います。)

引っ越してきてまだ数日しかたっていないのに、ホームシック(もちろん、ホーム=Manningtree)になってしまいました。
今週末はLondonで「Japan Matsuri」なるものがあるみたいですが、LondonではなくManningtreeに行ってこようかと思います。

僕たちは本当にManningtreeが好きでした。
街の雰囲気、親切な人々、おいしいベーカリー、砂浜のそばのお気に入りのベンチ、晴れた日のきれいな夕焼け空。
初めての異国暮らしにもかかわらず、こんなにこの街を好きになれたことは本当に幸せなことでした。
またチャンスがあればここに戻ってきたいと思います。

引越しの日は大家さん夫婦が荷物とRenたちを一緒に大学まで運んでくれました。
Renたちを空港まで迎えに来てくれた初日からこのご夫婦には本当にお世話になりました。

大家さん夫婦の友人のフランス人と日本人のご夫婦にも、お世話になりっぱなしでした。
街で会ういろんな人たちに僕たちを紹介してくださり、そのおかげで僕たちは素早くこの街に溶け込むことができました。

この4人の方々がいなかったらい、こんなにもManningtreeを好きになっていないだろうし、イギリスという国への印象もかなり違っていただろうなと思います。
彼らには感謝しても感謝しきれません。
僕たちも今後困ってそうな人がいたら彼らのように助けてあげないとなと思っています。


Colchesterの街やこの大学もManningtreeのように好きになれるでしょうか。
いまのところ、かなり不安です。。

(投稿者:Ren)

Edinburgh旅行(2013年9月23日~26日)最終日

2013年10月02日 | 【イギリス生活】旅行
最終日は4日間の中で、一番良い天気でした。
エディンバラ城もCalton Hillも、今日見たら印象が良かったのかなーと思ったり

11時にチェックアウトをして、まずエディンバラ大学へ。(http://www.ed.ac.uk/home/

広い・・・!!!

ベビーカーで赤ちゃんを連れてる人、犬の散歩をしている人、大きい公園もあって、大学というか一つの街のようです。
ふらふら歩いていたら大きい建物を発見。入学式とかやりそうな建物ですね。


大学をぐるっと探索した後は、前日に引き続きDavid Humeさんのお墓探しへ。
(Sakuraは全然知らない人なのですが、前日あんなに頑張ったのに見つからなかったので、なんか悔しくてこの日も探しにいきました。)
Humeさんのお墓は、Old Calton Cemeteryにあります。エディンバラの駅から地図を辿っていったら、10分くらいで着きました。昨日の迷いっぷりは何だったんだろう。。。



これがHumeさんのお墓。入口の階段上って少しまっすぐ進むと、右手にあります。

Humeさんに会えて、Renはとても満足気でした。よかったよかった

エディンバラでのやりたいことは全部終了したので、のんびりとランチへ。ここは美味しかった!

HADRIAN'S BRASSERIE(http://www.hadriansbrasserie.com/ansbrasserie.com/

Sakuraたちが頼んだのは、メニューの中から好きなのを2皿選ぶ「2 courses」£14.5。




ランチの後はNew townをブラブラして、都会な雰囲気を久しぶりに味わいました。(銀座にちょっと似てる気が。)
帰りは15時半Edinburgh発の電車に乗り、Manningtreeに帰ってきたのは21時半。帰ってきた時、潮の香りがして、なんだかとてもホッとしました

Manningtreeに来て1か月半ぐらい経ちましたが、私たちにとってここがイギリスのホームタウンなんだなぁと思った瞬間でした。

(投稿者/Sakura)