倉野立人のブログです。

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2010-10-29 14:25:31

2010-10-29 | インポート
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10/27(水)と28(木)は、大町市へそれぞれ日帰り行(こう)となり、「長野県戦没者遺族大会(27日)」ならびに「長野県戦没者追悼式(28日)」に参列させていただき、それと事(こと)を合わせて「命」について考えさせられる夜となりました。
第二次世界大戦をはじめとする戦争においては、長野県からも多くの出征があり、最終的に5万5千柱以上の県民が散華(さんげ)せられ、もって祖国の礎(いしずえ)となられたそうです。
理不尽に尊い命を失う戦争については、二度とあってはならないことは論を待ちませんが、現代のように平和意識が定着する遙か以前に「バンザイ」で送られ異境の地で命を落とすことになってしまった出征兵の方々の心中(しんちゅう)を察するとき、ことばにできない無念さが拝察され、いかばかりかと存ずるところです。
また、本当はそばにいてほしい家族(それも一家の大黒柱)が招集の憂き目にあい、二度と帰らぬこととなってしまった後の御家族の心中もまた、何ともやり切れないものがあったであろうと存じます。
出征兵の方々は、散華せらる間際には、間違いなく祖国に家族に思いを馳せたことでありましょうし、故郷で待つ家族も、片時(かたとき)もなく無事を信じていたことと思います。
2日に亘る遺族大会と追悼式に参列し、戦争で仲を裂かれつつも、愛情という絆で結ばれた者同士の〝つながり〟を実感し、これから私たちは、平和意識の醸成と共に、人と人との「心のつながり」を大切にする社会の構築に努めなければならない、と改めて思いをいたしたところです。
そんな、改めて学ぶべきところが多かった行事を終えて地元に戻ると、後援会の役員さんから、何と日頃からお世話になっている別の役員さんが旅先で急逝されたという電話が入り、驚きと共に悲しみにつつまれたのでした。
後援会では、つい先日「拡大役員会」を開催し、くだんの役員さんにもご出席をいただき、励ましのことばをかけていただいたばかりでした。
それが、こんな形で別れることになろうとは・・・ことばも見つかりません。
奇(く)しくも、戦没者の慰霊を通じて、逝く者、残される者の心中(しんちゅう)を推し量った矢先に、自分も同じ悲しみを受けることになろうとは思いもしませんでした。
悲しみは波のように幾重にも押し寄せてきますが、いずれにしても私たち残された者は、故人のご薫陶(くんとう)を胸に、これからもシッカリと生きていかなければならないのだ、と自分に言い聞かせているところです。
27日の帰途、遠く北アルプスに白いものが被(かぶ)り、冬の予兆が感じられました。

Photo

また、途上の小川村には、大正9年に建てられた「知事公舎」が歴史を今に伝えていました。

Photo_2

私たちは、歴史の上に立ち、旅立つ人を見送りつつ、自然という掌(てのひら)の上で精一杯生きる・・・そんな薫陶をいただいたような気がするのでした。

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