倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

2010-10-18 11:39:54

2010-10-18 | インポート
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10/17 Sun.  [ クラちゃんの起床時刻 4:25 AM ]
この日、私の住む川中島町で「第11回川中島フェステバル」が開催され、町の内外から多くの市民が訪れました。

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このイベントは、さきの長野冬季五輪大会を記念し、町の主催で行われているもので、幹線道路を歩行者天国とし、ダンスコンテストやブラスバンド演奏、また御輿(みこし)練りなどが行われ、また歩道沿いには屋台が出され、見る・歩く・食べる。楽しむ、を一度に味わえる、今や地域の恒例イベントとして定着しています。
また、町内を3つに分け、それぞれの地区から「舟」が出され、町内を循環しながら、古き佳き時代を継承しつつ、そこここで「石(ごく:お菓子)」を撒き、豊作を祝い、子どもらの無病息災を願います。

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私の住む「御厨(みくりや)」からは「ささえあい号」が出帆しました。

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途中の「寄港場所」で「石(ごく)」が撒かれ、子どもらの歓声が明るく響いていました。

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やがて時刻は12:00を迎え、開会式を前にメイン会場を訪れると、ちょうど川中島中学校のブラスバンドの演奏が行われていました。

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こちらのブラバン、レベルの高さと同時にエンターテイメントもバッチリで、生徒がマイクを持ってDJのような〝振り〟をし、最後は楽しい「被りモノ」をして、定番曲「テ・キーラ!」を演奏、大きな拍手を浴びていました。
会場周辺には、ン万人とおぼしき多くの市民がそぞろ歩きを楽しまれており、私もそぞろ歩きのうちに「おいクラちゃん!」とあちこちから声をかけていただき、ウレシイ忙しさでした。
と…会場となる幹線を北に向かうと、テントが張ってあり、何やらニギヤカな声が。伺ってみると見覚えのある顔・カオ…何と「若葉町区」の皆さんが独自に陣を構え、盛り上がっておられたのでした。

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かくいう私は、犀川沿いのマレットゴルフ場「アカシアの杜」造成以来、若葉町の皆さんとは〝兄弟付き合い〟させていただいており、この日もゴキゲンな皆さんに歓待を受け、手作りの漬け物やらオイシくいただいたところです。
この「川フェス」準備・設営から撤収まで、全てが住民の手で行われており、それだけに開催に賭ける皆さんの「思い」も並々ならぬものがあります。
私もつかの間、撤収をお手伝いさせていただきながら、皆さんと共に、このイベントが今後も末永く多くの住民の参加をいただきながら「継続を旨」として、あくまで楽しみつつ、将来へつながっていくことを期待し合ったものでした。
・・・そんな中、地域で親交の深い方の実父が急逝されたとの知らせが舞い込み、御通夜に参列させていただきました。
故人は享年86才、面倒見のいい実直な方でおられ、私が市議として初出馬した際も、いわゆる「落下傘候補」であった私を親身になって心配していただき、地区の名士として後ろ盾になっていただき、たいへんお世話になりました。
現役時代がひときわご壮健だったので、調子を崩されたことは息子さんから伺っておりましたが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いもよらず、慚愧の念に堪えないところです。
顧みれば私も、3年前に実父を看取っていますが、このような場面に立ち会う都度、悲しみを共有すると共に「生命の終焉」について考えさせられてしまうものです。
人をはじめとする生命体は、一定の限界をもって物質的生命を閉じることとなりますが、その間、どのような時間を過ごしてきたか、が自問されるところでしょう。
それぞれの環境の中で、どう生きたか、が「人生の満足度」につながるものであり、そしてその〝成果〟は、第三者が「判定」できるものではなく、それぞれの「自己判定」に委ねられるものです。
この夜の故人は、それは安らかな表情を湛(たた)えられておりました。
私は喪主と極(ごく)親しいのですが、これからは故人の薫陶(くんとう)を受け、共々に歩んでいきたい、と、手を合わせながら思いをいたしたところです。
※10/18(月)~19(火) 会派「改革・緑新」行政視察に参加してまいります。
 ヨロシクお願い申し上げます。