7/4 Sat.
ここのところ 雨模様の天候が続く印象が強いと思われていた矢先、4日未明から九州の熊本南部エリアに 梅雨前線が極端に発達した「線状降水帯」が居座り、それに伴う猛烈な雨により大規模な災害が発生したことが伝えられました。
それを目にし耳にした私(だけでなない)は、それらのシーンに 昨年の東日本台風災害を重ね合わせざるを得ず〝あのときの記憶〟が蘇(よみがえ)ると同時に、それを経験したからこそ 被災地の状況はいかばかりかと思いをいたしたところです。
熊本県南部エリアにおいては、3日夜半から4日朝にかけて 48時間降水量が 平年7月の雨量の 実に1,3倍にもなる500mmを超えるに至りました。
このため 同エリアには大量の雨水が滞留することとなり…そして それは、域内を縦貫する「球磨川」の氾濫を招くと同時に 周辺の山地の土砂崩れを誘発することとなったのでした。
自然豊かな山地水明の地で知られる肥後の国。そこを流れる球磨川は、同時に〝暴れ川〟としても名を成す存在であったそうです。
長い歴史の中で これまでも何度か氾濫したことがあったようですが、今回は「線状降水帯」という 昨今多発する極端な気象条件が(その立地に)ハマってしまい、それが これまでに無い大規模な被害を招いてしまったようです。
4日になって、熊本県・鹿児島県に「大雨特別警報」が発令されましたが、ほどなく球磨川は その許容量を超えることとなり、越水した河川水は 容赦なく沿線の集落へと流れ込んでゆきました。
被災住民をして「みるみるうちに泥水が流れ込んできた…」と言わしめた球磨川の水位上昇は分刻みで進み、濁流は集落同士をつなぐ橋梁をも呑み込み、村々を孤立に追い込みます。
気づいてみれば、球磨川沿線に広がる集落全域が冠水被害に見舞われてしまいました。
しかして この絵図は、さきの令和元年東日本台風での 長野市長沼エリアの被害状況に酷似するところであります。
当地における災害は、河川氾濫に止(とど)まりませんでした。
域内には扇状地が形成されており、そこに大規模な土砂崩れが発生、それが 扇状地の裾(すそ)にかたまる集落を襲い、何軒かが泥の中に埋まる事態ともなってしまいました。
長野市でいえば、千曲川などの河川氾濫と 中山間地域の土砂崩れが一度に起こったとでも申せましょうか。
水が引いた被災地には、長野エリアで見たと同じ 凄惨な状況が映されていました。
溢れ出た濁流は、周辺の全てを呑み込み去ってゆきました。後には水没家屋や瓦礫(がれき)などが無残に残れされています。この復旧には いかばかりのものが要されることでありましょう。
土砂崩れの現場には、あたかも長野市の千曲川穂保堤防の決壊現場の如くの瓦礫の山が。
この撤去・復旧の労は相当のものと拝察すると同時に、こちらでは 複数の行方不明者も出ているとのことですので、現場は さきの長野(長沼)エリア以上に厳しい対応を余儀なくされることと思います。
また 今回の熊本災害は、行政機関や公的施設に大きな被害が出たことも報じられていました。
あろうことか、支所・消防・警察の〝行政の要〟でもある主要機関と連絡が取れない状況に陥っていることが報じられ、驚きを禁じ得なかったところであります。
中継ヘリからは 冠水した支所が映されていましたが…電話だけでなく 全ての通信手段が途絶える事態となってしまったのでしょうか。または非常時の連絡体制が構築されていなかったのでしょうか。他自治体ながら心配に堪えないところです。
さらに 今回の熊本災害は、残念なことに多くの代え難い生命を脅かす事態となってしまったことが伝えられています。
域内にある特別養護老人ホームが冠水し、利用者の高齢者に被害が及んでしまったとのこと。
現場のレポートによると、危険が察知された未明から 入所者を2階へ移送し始めたものの、水位の上昇が異常に速く ついぞ間に合わなかったとのことです。
もとより ベッドやクルマ椅子の高齢者を 2階などに「垂直避難」させるには、相当の時間とマンパワーが要されます。
叶うことなら、もっと早い段階で移送を済ませていれば…と一片の後悔がよぎるところではあるところです。
発災後、(当然ながら)熊本県は自衛隊に救助要請を出し、それに応じて 直ちに隊員は 2階に取り残されたりした住民を、空から陸(水上)から救助の任にあたります。
さきの令和元年東日本台風と同様、こちらの被災地でも 自衛隊が八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をされることでしょう。
ところで…今回の熊本災害と さきの令和元年東日本台風との「大きな違い」それは、今は「新型コロナウィルス禍」にあることではないか と。
そして その「違い」は、他でもない〝避難所運営〟に影響が及ぼされるところです。
さきの令和元年東日本台風においては、その手の疫病などは発生していませんでしたので 避難所の〝3密〟は、ある程度 許容されるところでありました。
しかしながら、今は「新型コロナウィルス禍」です。感染拡大を防ぐための「ソーシャルディスタンス」が絶対条件と指摘される中においては、今までのような〝詰め込み型〟というワケにはゆきません。
よって 今回の災害における避難所の映像には、被災者(世帯)相互の間隔を空けた形で避難所運営が始まったことが伝えられていました。
このことについては、私たちにとっても 今後の大きな課題と申せます。
被災者(世帯)の間隔を空ければ、自ずと収容人数にも限りが出る。そのあたりの ある意味での矛盾をどう解消してゆくか…長野市においても 試行が始まってはいますが、当地においては (コロナ禍での)いきなりの〝本番〟となってしまい、行政当局の戸惑いとご労苦は いかばかりのことかと思うところです。
識者の中には〝分散避難所生活〟つまり、被災していない他の自治体や地域が ある程度の被災者を受け入れ、特定の避難所が〝密〟にならないよう計らうべきとの提案もあるところですが、いずれにしても まさに試行錯誤の中での避難所運営、兎(と)にも角(かく)にも 避難所から(コロナの)陽性感染者が発生⇒避難所で感染拡大 なんてことにだけはならないよう 私の立場でも願うばかりであります。
ところで…かかる〝コロナ禍絡み〟で申せば、今後の復旧・復興に際し「ボランティア対応」についても 非常に難しい判断を強いられることと懸念するところです。
さきの令和元年東日本台風における 長野エリアの災害復旧においては、それは多くの市民ボランティアさんに来長いただき、まさに手弁当で 家屋の泥出しやゴミの片付けなどに「マンパワー」を発揮していただきました。
しかし 今は「新型コロナウィルス禍」の最中(さなか)です。
各地からのボランティアの受け入れは、それは即ちウィルスの持ち込みのリスクを孕(はら)むことになります。
検温し 消毒したとしても、いわゆる〝無自覚症者〟が居れば もしかしたたら避難所生活で免疫の低下した健康弱者の人に感染しないとも限らない。それは 他自治体からの応援職員もまた然りでありましょう。
それらを勘案すると、今回の熊本災害における「マンパワー」の支援を どのように確保してゆくのか…このことについても 非常に心配させられるところであります。
ところで、今回の球磨川氾濫の絵図を目にしたとき、長野エリアとの「共通点」を感じざるを得ませんでした。
それは〝河川の狭窄部(きょうさくぶ)〟であります。
沿線の集落が水没した映像をヨク見ると、河川の本流が 画面上部の上流地点で グッと狭くなっているのが現認されます。
この流形に基づけば、上流から流れ下ってきた大量の河川水は、この狭窄部で滞留を余儀なくされ、行き場を失った水は越水し 沿線集落に流れ込むのは必定と言えるでしょう。
そして それと全く同じ状況が、千曲川 長野エリアの「中野市立ヶ花狭窄部」であり、さきの令和元年東日本台風における長沼エリアの越水⇒破堤にも 少なからず(狭窄部が)影響を与えていたと言われているのであります。
地域は全く異なれど、災害原因の共通点を垣間みることとなり、何ともいえない複雑な境地に至ったものでした。
今回の 熊本エリアの突然の水害は、まさに「他山の石」であります。
梅雨の時期の「線状降水帯」の発生は、列島の いつでもどこでも起こり得る事象であります。
長野エリアにおいても、昨年 100年に一度の大水害が起きたから これからは当分ないだろう、などという安直なことは言えるハズも無く、今年についても さまざまな可能性をもって予断なく(災害対応に)臨まなければなりません。
いずれにしても不測の災害に見舞われた被災地においては、行方不明者の安否を初め 被災者の方々の生活拠点の確保や、その後の復旧などが順次行なわれてゆくことを願うと同時に、さきに同様の災害を経験した長野市においては その経験を 今般の被災地支援に活かすことができないか、関係機関に照会してまいりたいと存じます。
さまざまな面で 予断なきを求められる、現下の日本列島であります。