興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

カレーライスが ライスカレーだった頃

2013-03-06 | チラッと世相観察

今年1月、昭和の大横綱大鵬が亡くなり、そのとき久しぶりにマスコミには、

「巨人、大鵬、玉子焼き」

というフレーズが何度も登場した。

これは1960年代に、当時 「子どもたちの好きなものBEST3」 としてテレビなどで
よく見聞きした言葉である。
その時代、それほど王、長島を擁する巨人軍は強く、大鵬は強かった。


しかし、巨人と大鵬の後に、なぜ玉子焼きが来たのだろう。
もちろん玉子焼きは当時も子どもたちにとって大人気の食べ物ではあったが、
わたしの感覚では、玉子焼きよりもっと強力な食べ物があった。

カレーライスである。

それではなぜ 「巨人、大鵬、カレーライス」、または 「巨人、大鵬、カレー」 にならなず、
玉子焼きになったのか。
それはおそらく、玉子焼きが 「た・ま・ご・や・き」 と、‘五音節’ だったからではないかと思う。
五音節の言葉がフレーズの最後に来ると、フレーズ全体の収まりがよい。
耳で聞いても締まって聞こえる。

残念ながらカレーライスは六音節、カレーは三音節であった。


では、どうしてカレーライスが玉子焼きより強力な食べ物だというのか。
それはカレーライスが明治以降ずっと、時代をこえて国民の絶大な人気を得てきたからだ。

カレーライスは長く、家庭料理界の ‘ホームラン王’ であり、‘大横綱’ だったのだ。


私の小さかった頃 (大昔です) も、カレーライスは特別な料理であった。
その頃は、家で作るものはカレーライスといわず、「ライスカレー」 といった。

「ライスカレー」 はジャガイモ、ニンジンとタマネギ (長ネギのときも多かった) に、
ブタコマ (豚肉のこま切れ) 少々、それにカレー粉を入れ、小麦粉でとろみをつけただけの
質素で素朴な食べ物だった。

ビーフ の大きなかたまり や シュリンプ など入っていなかった。

それでも当時は、年に何度も食べることのないご馳走だったのである。
これはおそらく、当時どこの家でも似たような状況であったと思う。

その頃、近所の遊び仲間の一人である修一など、ある日みんなと遊んでいるとき、
いままで無口だったのに、なんの脈絡もなくこう切り出した。
「うっとこ (うちの家)、きょう、ライスカレーだか、ライスカレーでねぇか?
「・・・・・・・・・・・?」

修一はその日、自分の家の晩ごはんがライスカレーだとわかっていて、さっきからそれが
うれしくてうれしくて、黙っていられなかったのである。


ライスカレーがカレーライスに変わったのは、昭和30年を少し越えたくらいではなかったかと思う。

ライスカレーは 「レ」 のあとの ‘音引き(おんびき)’  「ー」 を除くと、五音節である。
パーティ(ー)、コンピュータ(ー)、「おいらはドラマ(ー)」などもそうだが、単語の末尾の音引きは、
強く発音されないこともままある。

もし60年代 (昭和35年以降) の大鵬、巨人全盛期まで、「ライスカレー」 が 「カレーライス」 より
優位であっ たなら、

「巨人、大鵬、ライスカレ(ー)」

ということになっていたかもしれない。

2013.3.6



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど (momohakase)
2022-05-30 09:23:53
古い記事へのコメントで申し訳ありませんが、なるほどと思ってしまいました。
「韻」を踏めれば、カレーになっていたはず、というのは面白い。
返信する
古いネタで出ています (余白)
2022-05-30 14:17:48
momohakaseさま
コメントありがとうございました。
「ライスカレー」の時代は知らない、とおっしゃる方も、今は多いかもしれませんね。
momohakaseさんはいかがですか。
返信する

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