ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

天国からの年賀状

2012-01-25 07:05:34 | エッセー
古希を迎えるに当たり「引き際の美学」を求め、

今年から年賀状の交換中止を昨年の賀状に書き添えておいた。

にも関わらず従来の約1/4、50枚近くの賀状がきた。


その中の一枚に仕事仲間だったYさんからの賀状に目が留まった。

彼は駆け出しの頃に県立研究機関で働いた同僚技術者で、

当時は宿直制度があり、よく若い二人が共に宿直をしたものだ。

そのとき宿直をしながら職場の不満や、私的な事も含めよく話し合ったが、

先を読み頭の回転の早い強気で優秀な技術者の印象が残っている。


ところが突然「こんな微量分析の世界なんて性分に合わない。県を辞めようと思う」

と言って書いた辞表を見せてくれた。

しかし上層部の説得で彼は県の行政部門に異動する事になる。


以後は水を得た魚のように行政畑を突き進み、技術者の最高ポストの環境局長に栄進する。

それ以後、彼とは上役として仕事や組織でよく対立することはあったが、

同じ釜の飯を食った仲からか年賀状の交換だけは約40年間も続いていた。


ところが賀状交換を中止宣言したにも拘らず、今年も年賀状が来た。

しかも一度として賀状に添書等は無かったのに、

「お元気でお過ごしでしょうか・・・」と、珍しく弱気のコメントが添えられていた。

あのプライド高い強気な彼にしては、何か変だと思いながら賀状を見た。


ところが幕の内が明けるか明けないうちに、彼の訃報の知らせが突然入る。

一瞬疑ったが、私より1才若い享年69歳、早過ぎる旅立ちだった。


彼は環境行政一筋で、なかでも有名な「豊島の産業廃棄物不法投棄問題」と取り組み、

その幕引きに貢献した卓越したリーダーの一人であった。

その時に裏方として産業廃棄物の試験検査を指揮したのが私だが、

こんなに早く彼が死んでは無念と言うほか無かろう。


これも偶然だろうが豊島問題解決に携わった数名の行政技術者が、

若くして病気になったり、亡くなったりしているそうだ。

これらの事は豊島問題が如何に困難な激務であったかを物語っており、

万病の元と言われているストレスが誘引して、持病を悪化させたのかもしれない。


年賀状交換の中止宣言にも拘らず、もらった約50枚のお年玉籤を見ていると、

急死したYさんからきた年賀状だけが、何と切手シートが当たっていた。

彼からの健康を気遣った添え書きの年賀といい、天国から切手シートのお年玉といい、

何か因縁めいたメッセージを感じざるを得ない。