くろねこの散歩道

日々のつれづれを…違った視点で、のんびり書いていきます。

「権力者」にとっての「人形」は、「意思」を持つ事は許されない。

2013-01-11 00:28:03 | 社会
こんばんは、くろねこです。
衆議院茨城選挙区の予測外してしまったなぁ
すいません
おいらが株やったら大損するな

さて本題に行きましょう。
大阪の高校で「痛ましい事件」がありました
バスケットボール部キャプテンが、ひどい体罰などで苦しんで自殺しました。

自分は、今回の事件は「自分に酔った体育教師」による「重過失犯罪行為」だと思っています。
「結果を出している」だけに「この体育教師の暴走」を止める「大人の人間」が周囲にいなかったのでしょう。


「肉体的・精神的暴力」を反復継続的に受け続けて、マトモにいられるはずはないです。
そりゃ1度や2度ならば、回復できるでしょうが・・・日常的に反復継続して暴力行為が行われていれば(そしてたまにほめる)、人間だれも潰れます

権力者にとって「人形」である限り可愛がられます。
しかし権力者の意に反して「人形」が「意思」を持ってしまったら・・・権力者は「人形」を潰します。
弱い「人形」は・・・

 ①相手を殺すか
 ②自分を殺すか
 ③逃げるか
 ④傷を負ってその結果退場

これしか選択肢ないんですよ。
③が一番幸せ、④はギリギリセーフで命拾い。

部活という閉ざされた空間で、実績もあり権力者である顧問が「自己の正義や欲望」の為だけに暴走した。
日本は「権力者が被支配者に行う肉体的暴力や精神的暴力(パワハラ・セクハラ・モラハラ)」には寛容な社会です。
「学校も会社も福祉施設も政党」も「どんな組織」でも同じでしょう。


事件が起きてから文句言うのは簡単です。しかし以前、保護者達はこの体育教師を褒め称えていなかったでしょうか?
裏では「感情に任せて好き勝手に傷害・暴力行為」をしていたが、表ではいい先生や実績がある先生で通っていた。
保護者も教育委員会もこの教師にチヤホヤしていた。

内部の人間は、おかしい事は分かっていても顧問のセンセーには何も言えなかった。
指摘すれば、「自分の身」が危ないですからね。

日本では「熱血指導」が受けます。要は「しごき」。
 権力者(社長やセンセー)が「新人をしごき、暴力をふるったり奴隷のように使って、成長させる」という「ファンタジー物語」が団塊世代のオジサマ方たちに受けます。「最近の若い者は根性がないだらしがない・・・自分たちのころは・・・」とか言っているでしょう。

高度成長期は余程の大馬鹿やらかさない限り、何をやっても成功したんです。
冷静に考えれば、しごき(パワハラ)して伸びるわけがないでしょう。パワハラしなければもっと伸びたと思います。

私のお願いがあります・・・
 今後、大阪市長の橋下さんや大手マスコミが、「個人の問題」にすり替えて「大バッシング」するでしょう。
非道な暴力や傷害事件を起こした、カリスマ体育教師とその子分の教師(顧問は恩師らしい)計3人の「身柄確保」をお願いします。
「万が一の事故」を防ぐためです。
 彼ら3人が校長や教育委員会にゴマすりするヒラメ人間(不破さんにゴマをする共産党の国会議員さんたちのよう)ならば、バッシングしても問題ないでしょうが・・・
違う場合、嫌な予感がします。

彼ら顧問や副顧問の教員3人には、生きて自殺した生徒に対して罪を償ってほしいと願います。
そして今回のような事が、他の組織で起きないように・・・真実を明らかにしてほしいです。
どこでどう誤ってしまったのか?それを客観的にフィードバックして欲しい

 どんな組織でも、一歩間違えれば今回と同じような事、起きる可能性あると思います。



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2 コメント

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体罰じゃない (すまり)
2013-01-18 07:51:33
罰ってのは「悪いことをしたからペナルティをあたえる」こと

で体罰はそれを力でやること。


今回の場合は体罰ですらない。
なぜなら、なくなった生徒は悪ことを何もしていないから。

つまり、これは単なる「暴力」である。

体罰と言うと「行き過ぎた」って意味にも取れるが、今回はいきすぎではない。

初めからやってはいけない「暴力」である。


体罰と表現することで、本質がぼけないように望む。


これはたんなる「暴力」である。
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熱血教師、笑わせる (わくわく44)
2013-01-29 21:44:19
こんなの、熱血教師でもないし、やってることは体罰でも何でもない、ただの暴力。

本当の熱血教師は、めったなことで体罰はしない。「ここぞ」というときに体罰をする。そして、それ以前に生徒との信頼関係をしっかり作っている。

そして、体罰には必ずフォローがある。これは「甘やかし」の類ではない。「それだけ、あの先生は怒ってるのだよ」ということを諭す人が必ずいる。それらを通じて肉体的な痛みと精神的な挫折を克服させて、人は成長するもの。

日の丸を掲揚し、君が代を斉唱させることは、思想信条の問題を除いても「嫌なこと」だ。10代の少年少女にとっては、単にめんどくさいだけだし、真面目はカッコ悪い。
ここで学ぶことは、「めんどくさい、カッコ悪いことでも、真面目にやること。それが社会人としての責任だ。」ということ。

このことを痛感するのは、大人になってから。
そもそも、人が協力しあって生きていることなど、どこにも具体的に示すものがない以上、普段は認識しにくいし、理解もできないこと。しかし、そのシンボルを思い起こすことで、社会の連帯を人は感じることができる。
古今東西、そのシンボルが国旗国歌であり、日本はそれが日の丸君が代という話である。

どんな屁理屈もいらない。とにかく、日の丸君が代は卒業式で徹底して掲揚して斉唱させること。普段反対している人も「これが私の仕事であり、社会に対する責任」として実施すること。

それができないなら、だれかを教育したいなどと欲するな。人間、そんなに甘いものではない。事実、日の丸君が代に反発する連中自身が、「まともに教育されないし、まともに教育できていない」という実績が残っているではないか!!

と、激怒していた私でした。
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