大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

姥捨山

2014年05月08日 | 日記
日本の民話の中で、姥捨山は有名な話であった。
(いまでも有名なのかもしれないが…)

60歳を過ぎた老人は山に棄てるという決まりがあった土地で、ある男が自分の母親をおぶって棄てにいったとさ。
男の背に揺られながら母親は木の枝を折っては道に落としている。
聞いてみると、母親は「おまえが帰りに道を迷わないように」と言うではないか。
こんなにも自分のことを思ってくれる母親を棄てることができず、男は家まで戻ると縁の下にかくまって世話をする。
それが見つかったら厳しいおとがめがあるのを承知のうえだ。
そんなある日、隣国の殿様が灰で縄をなえという無理難題を出してきて、できなければ国を滅ぼすぞと脅してきた。
この無理難題に縁の下に隠れている母親が、塩水につけた縄を焼けば灰でなぞった縄となることを教えてくれる。
このようにして、いくつかの難題を老人の知恵を借りて切り抜ける。
それ以降その国では、老人は大切にすべきものとして、扱われるようになったとさ。

老人介護施設に100歳になる親戚のおばあさんを訪ねた。
面会者は帳面への記帳が義務付けられていたので、同行者5名の名前を連ねた。
パラパラと帳面を捲ってみると、GW中の面会者は毎日ほんの3~4名だった。
100名近くの入居者がいる施設にしては淋しいかぎりだ。
GWだからそうなのか?

介護施設で働く友人が正月返上で働かざるを得ないとぼやいていた話を思い出す。
入居者家族から「正月くらいは家族でゆっくり過ごしたいから施設で面倒を見て欲しい」と押し付けられたらしい。
逆に「正月くらいは家で面倒見てよ」と言いたかったと腹を立てていた。
なにしろ入居したらあとは一切関わりなしの家族もいるらしい。
たしかに認知症の老人を家で面倒見ることは難しい。
縁の下よりも介護施設のほうが暖かいが、放置されるという点では姥捨山とおんなじであまりに冷たい。
ロビーでたむろしていたたくさんのお年寄りの寂しそうな目が忘れられない。

しかしよくよく考えていかないと姥捨山の風習が現実になりかねない。
民話が語られていた時代の子ども(15歳未満)の数と老人(65歳以上)の数を見てみよう。
1950年の子どもの数は2943万人、老人の数は411万人。
(ちなみに私は1951年生まれです)

現在はどうか?
2014年の子どもの数は1633万人、老人の数は3190万人。
老人予備軍(わたし世代)のみなさんもよく考えてください。
自分の面倒はできるまでは自分で、できなくなった老人の面倒見るのも老人同士、そういう社会をつくらないと子どもたちが可哀そうですね。

まずは健康づくりから…まずは足元から…毎日1万歩を目指しましょう!
若い時から心がけていきましょうね。