

土岐門内から 登城道 振り返る
門内も 石で敷き詰められている
石段と共に施工されたものですね
門から 上側を 見ますと
さらに
土岐門からも 石畳が続いてます
両脇は 遺構のように見えます

門から上へ
右にカーブして 森の中に

檜の木の間から 石垣が

がさがさ 行くには 下草が 深い
登城道は 石畳が なくなりました

山城らしくなってきましたよ
ワクワク

もともと こんなんだった… かと

もともとの 登城道だ

と、思い込んでました
疑いもせず

お
折れ ですか?
おおー

虎口か 門か
振り返ります

山城ですから
切通
土塁
なんて 思います
石垣の 角

門櫓台 と 思いましたら

どいうこと?
これ見て すぐに 現地と つながりませんでした
説明板が 石垣の角
まさに 虎口か?
という所に 設置されてるから
石垣が なんで 橋?
と 思ってしまいました
バカでした

〇 現在地
〇 棟門
〇 追手門
〇 石段 ※
登城道と思って登ってきたのは 新設の見学道でした
土岐門から 知らない間に 畳橋の下に来てたのです
現在地は 空堀 ということです
さらに 見学道は 畳橋をくぐって
新しく造られた 見学用の ※石段
枡形へと上がるのでした


では 現地と 見比べてみましょう

畳橋が 架かっていた 石垣
算木積み 以前の角です

いい角だ
ここから 架かっていた 橋の 追手側
枡形の 石垣ですね

向こうの石垣には 三重櫓があり
この方向に 畳橋が架かっていた

もしかしたら これが 畳橋の 追手側 土台かも?

とすると
橋の幅は 一間 ほどでしょうか?
この土台から 橋脚が出て
橋の床は もっと高い位置にあり
枡形の 棟門に 入れた

橋を 潜りぬける 位置から 三重櫓の石垣
もうちょっと 伐採してほしいです
畳橋土台

畳橋 潜りぬける辺り 空堀から 見たのですが
土岐門から 馬出 を 通ると
この 石垣の 上に 来なければいけないのです
畳橋 追手桝形の石垣の角

ここの角は 切り石の 算木積み
江戸時代に 補修したのかもしれません
畳橋も 廃城まで 存在したのでしょうかね

角は 算木積み 中ほどは 野面積み
こういのは 関ケ原前後の頃ですが…
おつやの方 以降のような気がします

⇧ 見学道 .
土岐門から 見学道を来ると 空堀
これは 遺憾 であります
周囲に 立派な檜があります
ぜひ 畳橋 復元
土岐門から 畳橋に 来るように
してもらいたいものです
金かかるな~
最初見た時は感激ものでしたが、今見ると後の時代の作業っぽいかも。
でも苔の具合とか良いんですよ。
出丸に直接車で行けるようなったのと、この辺の補修は同時期だったのかもしれませんね
今となったら整備化の方向が違ってたようにも思います。