歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

素形材産業と「型」の問題

2006-10-31 00:17:21 | ものづくり・素形材
多くの素形材産業は「型」を使います。多品種少量品の鋳物の場合は木型を使いますが、大抵の場合は金型を使います。型さえあれば原則として同じ製品を繰り返して作ることができるので、素形材産業にとって非常に重要なものです。

いかに効率よく高品質の素形材を成形するかは、型の設計製造にかかっています。素形材メーカーに仕事をお願いするユーザーは、製品の図面は書けても型の図面までは書かない、書けないのが普通です。ですから、素形材メーカーはユーザーからもらった製品図面をもとに、型を設計しますが、ここでいかにうまく設計するか、が素形材メーカーの腕の見せ所です。型は素形材メーカーのノウハウの固まりといっても過言ではありません。

しかし、型は素形材の生産が終了するとその役割を終えます。特定の製品を作るために機能が特化した工具の一種ですから、一般的な工具のように他の製品の生産に転用することは原則としてありません。ですから、その型を使って素形材を生産してきた素形材メーカーと、生産を発注したユーザー以外にとっては、ただの木や鉄の塊に過ぎません。
そんな価値のないもの、とっとと処分したいところですが、そうもいきません。生産が終了した製品モデルでも、しばらくすると修理のために補給部品が必要になることがあります。この補給部品の生産のために、生産中止になったからといって、おいそれと型を処分するわけにはいかないのです。

処分するわけにはいかないのであれば、当然誰かが保管しなければなりません。では、型は誰が保管するのでしょうか。型の所有権は、契約形態によって素形材メーカーであるパターンと、ユーザーであるパターンと、2種類あるのですが、いずれの場合でも保管を要請されるのは素形材メーカーです。そのための保管スペースの確保は大変です。川口のある中小鋳物メーカーでは、木型の保管スペースが足りず、作業場にまで木型があふれていて足の踏み場もなく、それこそ工場なのか倉庫なのか分からないような有様でした。これは極端な例ですが、大抵の素形材メーカーは型の保管スペースの確保に苦労されています。
問題は、そんな素形材メーカーにとって負担の大きい型の保管が、無料でしかも長期間にわたってユーザーから要請される、ということです。日本ダイカスト工業会の資料によると、ダイカストメーカーが保管している金型のうち、20年以上も保管しているものが7%もあることが明らかになっています。

             

しかもユーザーから補給部品の生産を求められた場合、倉庫に眠る大量の型のストックから該当するものを探し出さなければならないので、きちんと管理しなければなりません。無料で倉庫業も営んでいるようなものです。
この型の保管は素形材メーカーにとって大きな経営問題の1つであり、こうした商慣行はできるだけ早く是正されることが望まれます。

(書評)ジム・ロジャース「冒険投資家ジム・ロジャース 世界大発見」

2006-10-29 21:54:20 | 読書
何度かこのブログで述べていますが、私は現場主義が大好きです。海外出張では車と通訳を雇って、まず普通の旅行者が訪れることがないような片田舎を走り、工場ばかりを見て回っていると(まあ、海外に来てまで工場を訪問する旅行者自身、少数派なのですが)、世間で喧伝されていることと現実がかなり異なることに気づかされます。

さて本書は究極の現場主義の本です。ウォール街の伝説の投資家が、改造べンツを運転して110ヶ国以上に及ぶ国々を3年間の月日をかけ見て回った冒険の記録です。ちなみに筆者は自動車による冒険の前にバイクでやはり世界中を旅し、その記録を本にまとめていますが、こちらもお薦めです。
北極圏からアフリカ、南米と、腐敗した政治家とNGOに怒り、絶望的な官僚主義に妨害され、戦闘地域でかなり危険な目に遭いながら、彼はまさに世界中を見て回ります。そしてその国が「買い」か「売り」かを指摘しますが、地べたの視点から現場を眺めている彼の指摘は非常に鋭いものがあります。訳者もあとがきでも述べていますが、彼の旅は1998年から2001年に及ぶものですが、まるで現在のことを記述しているのではないか、と錯覚してしてしまいます。

自分で運転するわけでもなく、またほんの限られた地域しか目にしていない私には、当たり前ですがとうてい彼にはかないません。大投資家になろうという野望は私には毛頭ありませんが、彼のように世界中を見てみたい、そんな気持ちになる本です。

冒険投資家 ジム・ロジャーズの世界大発見 (単行本)
ジム・ロジャーズ (著), 林 康史 (翻訳), 望月 衛 (翻訳)


景信山に登りました

2006-10-28 22:26:06 | 自然
大学時代に在籍していたワンダーフォーゲル部のOB会のイべントで、高尾山に近いい景信山に行ってきました。高尾山周辺というと小学生の遠足というイメージが強く、景信山なんて…と少々ナメていたのですが、思っていた以上に登りはキツく、美しい自然が多く残されていることに驚きました。



飯豊連峰について

2006-10-27 22:52:47 | 自然
さきほど投稿した(書評)吉岡忍「奇跡を起こした村のはなし」ですが、1つ本書で非常に気に入らない点があります。それは、冒頭で吉岡氏が飯豊連峰のことを「日本一小さな連峰」と表現していることです。これは明らかに誤りです。飯豊連峰は南アルプスにも比肩しうる大山脈です。黒川村に近い、飯豊連峰の前衛に当たる櫛形山脈のハイキングコースが「日本一小さな山脈」として宣伝されています。吉岡氏は明らかにこの櫛形山脈と飯豊連峰を混同しているものと思われます。

私は飯豊の山の深さには強い印象を受けました。日本は狭い国なので、見晴らしの良い稜線上でキャンプをすると、夜は遠くに町の夜景が見えたり、町の夜景は見えなくともぽつりぽつりと人家の灯りが見えたりするものですが、飯豊の場合はほとんどそんな灯りが見えませんでした。それだけ山が深いのです。咲き乱れる高山植物も美しく、私がまた是非訪れたい山の1つです。飯豊連峰を水源とする胎内川を遡行する沢登りもチャレンジしてみたいですが、険悪なゴルジュ帯、真夏も残る巨大なスノーブリッジを突破できるほどの力量はとてもないため、夢に終わりそうな気がします。

                
                真夏でも残る巨大な雪渓

                
                花が咲き乱れる稜線
        
                
                本当に雄大な山脈です。

(書評)吉岡忍「奇跡を起こした村のはなし」

2006-10-26 23:24:36 | 読書
東北に飯豊連峰という大きな山脈があります。私は3年前の夏に3泊4日かけて連峰の南半分を縦走しましたが、山の深さといい、スケールの大きさといい、南アルプスに比肩する日本の大きな山脈の1つだと思います。

さて、この本の舞台になっている新潟県黒川村(現在は胎内市の一部)は、そんな飯豊連峰に抱かれた山深い人口7000人の小さな村です。冷涼な気候で農業生産は貧しく、冬は深い雪に閉ざされるこの村は、典型的な寒村だったのですが、村長として48年間の長きにわたり村政を率いた伊藤孝二郎氏の強烈なリーダーシップにより大きく変貌していきます。国の補助金を実にうまく活用しながら、新たな農地を切り開き、未曾有の大水害を乗り越え、村営のホテル、レストラン、スキー場、ソーセージ工房、ビール工房などなど様々な施設を建設、ついにかつての山深い寒村が佐渡島に次ぐ新潟県第二の観光地となり、「村おこし」の大成功事例の村となったのです。伊藤村長はこうした事業を進めていくため、とにかく情報収集を行います。村中をくまなく見て回る。寝る暇も惜しんで新聞、雑誌、書籍を読みあさり、毎日の睡眠時間は3時間。上京する際には霞ヶ関の課長補佐クラスの官僚をきめ細かく挨拶して回り、東京ディズニーランドに足を運んでサービス業のあり方を学ぶ。すさまじい努力です。
そんな村長の部下である、村役場の職員は大変です。村の構想を実現するための補助金制度はないか、一見使えなさそうな補助金でも書類の表現を工夫することでなんとかならないか、夜中になるまで徹底的に調べあげる。公務員でありながらホテルマンとして、スキーのインストラクターとして、ビール工房の職人として、なりふり構わず働く。のどかな山村の役人というよりも、競争の厳しいサービス業のような働き方です。

伊藤村長は村役場の人材育成にも熱心で、事業の中核を担う人材をドイツやスイスの農村に長期間派遣し、現地の農業、畜産を学ばせます。驚いたことに、黒川村の職員の4人に1人が研修で1年間の外国生活を送った経験を持っているそうです。ちなみに地ビール作りに取り組んだ黒川村は、本物のビール作りを学ぶためにドイツから職人を招くのですが、招かれたドイツの職人は村を訪れてあまりの僻地に驚き、そんな僻地でドイツ語を話す村の職員が多くいることに二度驚いたのだそうです。
かくも多くの職員を外国に長期間派遣するのは村にとって大きな負担であることは間違いないのですが、伊藤村長には以下のような信念がありました。

(以下引用)
「人づくりは、意識してやらないとだめです。村でいろんなことをやろうとしても、やる人間がいないとしょうがない。やっと若者たちが村に定着するようになったといっても、国内にいるかぎりはぬるま湯ですからね。自分とはどういうものか、外国で生活してみてはじめてわかる。自分の価値、置かれた立場、そこから自力で這い上がっていかなければ、まわりはただの一般的な日本人、アジア人としてしか見てくれない。そこで苦労しながら言葉を覚え、コミュニケーションできるようになって、何かをはじめると、周囲の見る目が変わってくる。個人としての注目や尊敬を集めるようになる。私は若い職員にそういう経験をして欲しい、と期待している。日本の、ぬるま湯の中にいたのでは、そんな経験はできないですからね。」
(引用終わり)
p122

本書を読んで強く感じたのは、自治体だけでなく、民間企業も、組織の良し悪しを決めるのはリーダー次第だ、という当たり前のことの重要性です。
そしてもう1つ挙げるとすれば、自らが依って立つ地域への愛の重要性です。困難な状況にあっても逃げない、諦めない、なんとか策はないものか、必死に考えることで黒川村は見事な打開策を見いだすのですが、それを可能としたのは伊藤村長のたぐいまれなリーダーシップに加えて、職員たちの村に対する愛であったと思います。民間企業も私は同じだと考えます。日本はコスト高になったから中国に移ろう、と安易に考えるのではなく、地域社会の一員として地元に残ることにこだわり、必死に生産性を上げる方策や付加価値の高い製品開発を考えてきた企業が、現在高い競争力を発揮しているように思います。

事業の資金を国の補助金に大きく頼るスタイルについては、正直言うと私としては賛成できない点ではあります。しかし黒川村の場合は、大いに観光客を集めて村民の生活を潤し、新潟県の経済にも大きく貢献しているので、良しとしましょう。
自治体関係者だけでなく、民間企業の方にとっても得るものが多い1冊だと思います。

吉岡忍「奇跡を起こした村のはなし」ちくまプリマー新書

中国のウォームビズ

2006-10-26 22:35:47 | 海外ものづくり事情
朝晩は冷えるようになりましたね。東京でもそろそろ冬物を着ていこうという気候になりました。
クールビズはすっかり日本に定着したようで、真夏の会社訪問の際に上着を着ていくことはまずなくなりました。省エネの観点からとても良いことです。クールビズに続いて、冬場は暖房温度を下げて上着を着る、ウォームビズの普及を政府は狙っているようですが、これも良いことだと思います。
寒がりな私は冬場は下半身の保温のために股引を愛用しています。親父臭いなどと周囲からの批判も多いのですが、他人に見せるわけでもないのだから、勝手にさせてもらいたいものです。しかし、外を歩く分には誠に快適な股引なのですが、困ったことに暖房の利いたオフィスで仕事をしていると暑いのです。かといって上着のコートやマフラーのように簡単に脱げるものではありません。
仕方ないので、オフィスで仕事をする際にはトイレの個室に入って股引を脱ぎ、外出する際にはまたトイレの個室に入って。。。ということをしていますが、非効率極まりないです。ウォームビズの導入により、私の股引ライフが快適になることを期待しています。

さて、上には上があるもので、中国のウォームビズは過激です。それを今年年初の山東省への出張で思い知らされました。
山東省は地理的に海に突き出た半島ということで、なんとなく温暖なイメージがあります。特に東シナ海に面した青島は、温暖なところなのでは、と思っていたのですが、海からの風は冷たく、冬は非常に寒いところなのです。しかも近郊の工場を訪れてみると、火の気が全くなく、震えながらコートを着たまま、片手をポケットに突っ込みながらヒアリングを行うという、日本では考えられないスタイルでのヒアリングを余儀なくされました。
さすがにホテルやレストランには暖房が入っていたので、おそらく政府による方針ではなく、どうも訪問した会社が単純にエネルギー代をケチっているだけのようです。それにしても、よくも我慢しているものだと関心しました。

          青島の町にて
          
          韓国人が多く、町中の看板にはハングルが目立ちます。

          訪問した某鋳鋼メーカーにて
          
          応対してくれた担当者もダウンジャケットを着たままです。

          訪問した某鋳鋼メーカーにて
          
          零下10度の寒空の下での型ばらし作業です。よく耐えているものです。

今年の冬も中国出張を控えています。股引をはじめ冬物の装備は怠らずに臨まなければ。。。

秋空の下の東京タワー

2006-10-25 22:59:52 | 日常
東京タワーの前に「機械振興会館」というビルがありますが、このビルにはたくさんのものづくりに関連する業界団体が入居しています。ものづくりの分野の調査を仕事にしている私は、ある団体での打ち合わせのついでに、別の団体に立ち寄り営業活動にうかがうことができるわけで、実に便利です。
私は東京に住み始めて30年近くになりますが、いまだにこの東京タワーに登ったことがありません。変わり者ですね。

愛読紙はニッケイ新聞です

2006-10-24 22:48:01 | 海外ものづくり事情
私が贔屓にしている新聞の1つが二ッケイ新聞です。日経新聞ではありません。ブラジル・サンパウロで発行されている最大の日本語新聞で、現地の日系人の方々に広く読まれています。日本で働く日系ブラジル人のためなのか、ネットでかなり詳しい内容の記事を無料で読むことができます。
私は過去に2回、仕事でブラジルに出張しましたが、この陽気なラテンの国が気に入ってしまい、以来、ニッケイ新聞の見出しだけは毎日チェックするようにしています。BRICsの中では情報量が格段に少ないブラジルの貴重な情報源ですし、時々日本ではありえないような珍二ュースに出会えることも楽しみです。
さて、以下は先日見つけたあきれ返るようなニュースです。

(以下引用)
■犯罪人を強請る悪徳警官=目こぼしの見返り=中銀襲撃の上前はねる=獲物を襲
うハイエナ                   2006年10月20日(金)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙十五日】昨年八月に金庫室の地下にトンネルを
掘り、現金一億六四七〇万レアルを奪って国内史上最大の銀行強盗として注目を浴
びたフォルタレーザ市の中銀事件の実行犯らが、警官と名乗る集団に脅迫されて、
現金を強奪されていることが明らかになった。連警が中銀事件を捜査している過程
で判明したもので、警官らは逮捕を見逃す代わりに現金を強要したり、実行犯やそ
の身内を誘拐して身代金をせしめている。中には家に押し込んで暴行を加えた上で
現金を強奪する手口もあり、中銀事件の犯人らは戦々恐々としている。それにも増
して強盗の分け前をピンハネする悪徳警官の出現に世間は呆れ返り、司法当局に非
難が集中している。
(引用終わり)
 出所:http://www.nikkeyshimbun.com.br/061020-31brasil.html

盗賊団がトンネルを掘って銀行の金庫から巨額の力ネを盗み出す、というのもブラジル的ですが、盗賊団のメンバーの家に警官が押し入って強盗を働くは身内を誘拐して脅迫するは、というのも実にブラジル的な話です。
この話、ブラジルの治安が相当に悪いことの証左であり、ちょっと笑えません。記事の続きを読むと、

(以下引用)
 昨年十一月、中銀事件実行犯の一人、通称ペドロンのスザノ市内の家に警察と名
乗る六人組が押し入り、二〇〇万レアルを持ち去った。警察に連行するのを見逃す
代償だった。その数日後、別の四人が現れて四五万レアルを持ち去った。中銀事件
の取調べでペドロンは連警にこの事実を告発したにもかかわらず、現在に至るまで
犯人は捕っていない。
(引用終わり)

この盗賊、盗んだ金を奪われた、と連邦警察に訴えたんですね。だからこそ、警察の悪行が世間に知れた訳ですが、悪徳警官のあまりの非道ぶりに盗賊メンバーに思わず同情してしまいます。
治安さえ良ければブラジルはとても楽しい国なのですが、治安を守る警察がこれでは先が思いやられます。

鋳物の町 川口

2006-10-23 20:40:37 | ものづくり・素形材
川口に行ってきました。この町は、吉永小百合の「キューポラのある街」の舞台になった鋳物の町として有名です。しかし鋳物屋は廃業が続いており、工場跡には高層マンションが建ち並び、今では東京のベッドタウンとしての性格が濃厚です。
川口鋳物工業協同組合でいただいた資料によると、川口の鋳物生産のピークは昭和48年の約40万8千トンです。以後は減少が目立ち、バブル最盛期の平成2年には約35万9千トンにまで一時的に盛り返したもの、その後は減少が止まらず、平成17年は約12万2千トンにまで落ち込んでいます。
駅前もすっかり再開発され、働く鋳物工のモニュメントがちょっと周囲の雰囲気から浮いている感じです。