歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

グローバル時代の自動車メーカーと地域社会

2006-09-30 20:24:49 | ものづくり・素形材
入交さんの講演の続きです。話は、空冷エンジンに本田宗一郎氏がこだわったために経営危機に陥った話、CVCCエンジンを開発してビッグ3に挑戦した話が続きました。これらの話はかなり有名かと思いますのでここでは省略します。

今や日本の自動車メーカーは国内生産台数を海外生産台数が上回るまでになっており、グローバリゼーションへの対応は自動車メーカーのみならず、関連産業にとっても必要不可欠なものになっています。こうした中、Honda Americaの社長として、日本の自動車メーカーの海外法人として初めて本格的な現地生産に取り組み、そして成功を収めた入交さんのお話は興味深いものでした。
日本のメーカーが米国で自動車を作るということはどういうことなのか、それはビッグ3の真似ではだめだし、日本流の押しつけでもだめだ、だと入交さんは語ります。現地における柔軟性は現地メーカーに比べて決定的に劣るわけだから、現地の良さを生かしながらどこまで本国の強みを生かすかがポイントなのだと言います。このため入交さんは現地の人間と徹底的に議論を行い、日本側がどうしても妥協できない点は残しつつ、現地の人間がリーダーシップを発揮できるHonda Wayというものを確立したのだそうです。
さらに、現地法人が日本に依存することなく、自活能力を持つことが必要であると言います。年間50万台が部品メーカーがHonda Americaの仕事に専念できる最低ライン、100万台が現地での研究開発を行う最低ラインなのだそうです。そして、様々なノウハウ、問題解決能力、自己開発能力を誰に蓄積させるか、がポイントである、と述べました。こうした努力があってこそ、現在のHonda Americaの成功があるわけですね。

さて、産業のグローバリゼーションが進展する中、勝者と敗者が明確になり、経営者の判断というものの重要性は一層高いものになっています。こうした状況の下、「企業の繁栄と地域経済が離れていく」という、いやな現象が起きています。入交さんはドイツを例に取り上げて説明します。ベルリンの壁崩壊から間もないころ、もはや我々が旧西独地域に投資することはあるまい、と語ったドイツメーカーの幹部に対し、入交さんが「それでは企業としての地域社会に対する責任はどうなるのか」、と尋ねたところ、件の幹部氏から、それでは競争に敗れてしまう、と反論されてしまったそうです。そして現在、ドイツの自動車メーカーは繁栄していても、統一以
後のドイツは高い失業率に悩み、経済はかつてのような力強さが見られ
ないというのはご承知の通りです。このほか世界の様々な地域で、同様な現象が見られるようになっています。
そんな中、企業の繁栄と地域社会の繁栄が見事に一致している唯一の地域が、日本の東海地区であると入交さんは言います。トヨタ自動車はすごい会社ですね。

さて、以下は私の意見です。
トヨタ自動車に限らず、ほとんどの日本のメーカーは多かれ少なかれ、雇用面での地域社会への責任を意識していると思います。すべてがそうだとは言いませんが、そもそも伝統的な日本のメーカーは、単なる利益追及集団とは言いがたく、地縁や血縁といった関係性が色濃く組織に反映した、一種の共同体に近い性格を持っています。中小のものづくり企業の場合は、一層そのような性格が濃厚です。十分に海外に進出できる実力を持ち、海外でのビジネスチャンスが大きいことを認識しつつも、地域社会への責任感から敢えて日本にとどまっている中小企業は少なくありません。
ものづくり中小企業がたくさん集まった地域を、産業集積と表現しますが、単なる「産業の集積」ではなく、こうした共同体の集積でもあり、地域社会そのものであると思います。地域社会は国民にとって重要なセーフティーネットですが、産業集積は我が国製造業にとって重要なセーフティーネットと言えるのではないでしょうか。明らかに海外に比べて比較劣位となった企業が産業集積から姿を消すことはやむを得ないとは思います。しかし比較優位を十分保っている企業が、より大きなビジネスチャンスを得るために自発的に海外に出るというのならともかく、「今時海外に出ないとは、なんと時代に遅れていることか」と、彼らを無理に産業集積から海外に
出そうという昨今の風潮は、将来の日本の製造業を危ういものにしかねない、と私は思います。

「技術はサイエンスではない」(本田宗一郎)

2006-09-29 18:52:09 | ものづくり・素形材
本田技研でレーシングカーのエンジン設計に活躍された入交さんは、社長であり、天才技術者であった本田宗一郎氏から、ある言葉を聞きます。
本田宗一郎氏は

・サイエンスと社会を繋ぐものが技術である。
・サイエンスの真理は1つしかない。
・しかし、サイエンスと社会をどのようにつなぐか、その道は無数にあるはずだ。
・どの道を見いだすか、そこに技術者の独創性が活かされるのだ。

といった趣旨の話をして、そして冒頭の「技術はサイエンスではない」と語ったのだそうです。この言葉は「絶対忘れられない」と入交さんは言います。
そんな本田宗一郎氏に率いられた本田技研は、新しいこと、他社がやらないことに果敢に挑戦していきます。一介の浜松の町工場に過ぎなかった本田技研が、国際レースに出場し、優勝を目指したということは典型的な例でしょう。このレースで学んだことは大きい、と入交さんは語ります。
レースで学んだこととは、

1) Challenge
これはコメントするまでもないでしょう。特に本田技研は、このチャレンジを重視する会社だと思います。

2) Ready on time
レースはスタートの日時、場所が決っています。このスタートに間にあわなければ、いくら良いものを作っても何の意味もない。

3) Team Work
レースには様々な人々が関わります。ドライバー、メ力二ック工ンジ二ア、設計投術者、監督など。彼らがコミ二ュケーションを円滑に行い、チームワークでレースに臨まなければ勝てない。

4) Flexibility
完璧に準備をしても、必ず本番には何か思いがけないトラブルなどがおこる。そんな時にいかに柔軟に適切な対処ができるかが勝つためには重要である。

5) Winner take all
日本語にすると「勝てば官軍」なのだそうです。レースで負ければ何の意味もない。勝たなければならない。

Honda Americaの社長となった入交さんは、このレースで学んだ哲学を現地での経営に活かします。結果は見事なもので、現地で生産されたホンダ車は、今や完全にアメリ力車としてすっかり現地に根付いています。実に立派な経営哲学だと思います。(続く)


日本は子供たちに科学技術への夢を与えているか

2006-09-28 22:58:17 | ものづくり・素形材
前回の投稿でも書きましたが、入交昭一郎さんの講演のことを書きたいと思います。
入交昭一郎さん(1940年生まれ)は本田技研のエンジニアとして活躍し、その後、ホンダ・アメリカ社長、本田技研副社長に就任、本田技研退社後はゲーム業界に転じ、セガの社長を務めた方です。エンジニア出身で、機械系とIT系の両方に通じた経営者は、日本では非常に珍しい存在だと思います。そんな入交さんのお話は実に面白く、とてもためになったので、何回かに分けて講演の内容をこのブログで紹介します。

入交さんは、小学校4年生の時、ある航空機に関する本を読んで衝撃を受け、これがきっかけで航空機のエンジニアを志します。大学進学先も、航空工学科のある東京大学か九州大学のどちらかしか考えず、東京大学工学部航空工学科に入学しました。しかし、当時の日本は飛行機を作ることができなかったため、卒業後の進路として入交さんは自動車業界を選びます。
入社したのはまだ町工場に毛が生えたような本田技研。ここで彼はいきなりレーシングカーのエンジン設計を担当します。そして24歳の時に彼が設計したエンジンを積んだレーシングカーが優勝を飾ります。大学出たての若者に、いきなり大きな仕事を任せた本田宗一郎氏は実にすごい人だと思います。また、入社後すぐにそんな大きな仕事をこなした入交さんもすごいと思います。
また、そもそもエンジニアを志したのが小学校4年生の時だった、ということも、私はすごいことだと思いました。「将来はエンジニアになる」という夢を少年が抱く、そんな環境が、今の日本にどれだけあるのでしょうか。ものづくりの復権が叫ばれていますが、まずは子供たちに科学技術に対する夢を持たせることが大切なのではないかと考えます。(続く)

入交昭一郎氏の講演会に出席してきました

2006-09-27 18:52:07 | ものづくり・素形材
東京大学アジア自動車産業研究会主催の講演会を聞きに行きました。講演者は本田技研元副社長の入交昭一郎氏で、「グローバル時代のエンジニア」という演題でした。第一線のエンジニアを経て経営者となった入交氏のお話は、大変興味深く、勉強になりました。
今夜はこれから飲み会なので、内容については明日以降、述べたいと思います。

日本にとってのマレーシアの位置づけ

2006-09-26 21:19:36 | 海外ものづくり事情
上海の中心部に豫園という地区があります。東京で例えれば浅草のようなところで、近代的な高層ビルが建ち並び、今や東アジアの巨大なビジネス都市となった上海の中で、昔ながらの伝統建築が残り、たくさんの土産物屋が軒を連ねる観光スポットです。数年前の夏、中国での企業ヒアリングを終え、最終日にこの豫園を訪れ、家族のための土産を探したところ、ふと中国の伝統的な剪紙(切り絵)に目が止まりました。
年輩の職人がその場で客のリクエストにあわせて作る剪紙のコーナーには、中国人観光客がたくさん集まっていました。私もその人垣の中に割って入ったのですが、職人の後ろに掲げられたサンプル品を見て、かわいい犬を描いた図柄と、女の子が描かれた図柄が気に入りました。犬の図柄と女の子の図柄を組み合わせ、さらに誕生日を近く迎える私の娘の名前を入れてもらいたい、と思いましたが、私の拙い中国語では意図を職人に伝えられません。仕方なく英語でその旨を伝えたのですが、彼は全く英語を理解してくれません。
困り果てていると、後ろに並んでいた青年が助け船を出してくれました。彼が私の意図を中国語に翻訳して職人に伝えてくれたおかげで、私は無事に娘への素敵な土産物を買うことができました。私は青年に礼を述べ、流暢な英語を話す彼に「香港人ですか?」と聞くと、自分はマレーシアに住む華僑で、中国には観光で訪れている、とのことでした。
こうした経験があることから、マレーシア華僑の若者は英語と中国語の両方に堪能で、かつ考え方は普通の中国人よりもはるかに西洋化されていて、日本人にとって付き合いやすいな、という印象を持っています。

現在アジアで日本の製造業が注目している国は、まず言うまでもなく中国であり、次いで自動車産業が伸びているタイ、そして中国の次としてのベトナム、インドといったところです。マレーシアはかつて家電産業を中心に日系企業の進出が相次いだのですが、経済成長に伴い人件費が上昇し、また市場としても小さいために、投資先としての魅力は大きく低下してしまいました。このため日本の製造業にとってマレーシアは、アジアの中でも「過去の国」というイメージが強いことは否定できません。
ところが、アジアの金型産業について精力的な調査を行っており、旧知の間柄である松本大学助教授の兼村智也さんから、非常に面白い話をうかがいました。マレーシアは中国、インドへの事業展開の足がかりとして最適の地である、というのです。なるほど、と思いました。
マレーシアはマレー系、中国系、インド系からなる多民族国家で、ブミプトラ政策に基づきマレー系が優遇されているとはいえ、各民族がそれぞれの文化を保ちながら平和に共存している「多民族国家の成功事例」(兼村氏)です。日本企業は、マレーシアを起点に、中国系を使うことで中国へ、インド系を使うことでインドへ、それぞれ事業を展開する道が開かれている、というわけです。
「世界の工場」としてますます重要性を高めている中国、日本勢がやや出遅れてしまったもう一つのアジアの大国インド、この双方を睨むことが出来るマレーシアは、今後注目して良いと思います。

「タモリ倶楽部」の現場主義に注目する

2006-09-25 21:16:36 | ものづくり・素形材
「タモリ倶楽部」という金曜深夜のテレビ朝日系の番組をご存じでしょうか。
「貨物時刻表を参考に貨物列車をウォッチング」とか「下仁田ネギを食べながら下ネタで一杯飲む」といった、ゴールデンタイムではまず取り上げられないテーマについて、タモリがゲストのタレントらとクイズを交えながらトークを展開することを基本としています。そしてその合間に、歌詞の一部がおかしな日本語に聞こえる洋楽をオリジナルのビデオクリップで紹介するコーナー「空耳アワー」が挿入される、という実に深夜番組らしい構成で制作されています。20年以上の歴史を有する、深夜番組としては異例の長寿番組で、学生時代の頃から私が見続けている数少ない番組です。タモリの才能が最大限に発揮されている番組である、との評価は多く、私もそれには全く異論はありません。
さて、この「タモリ倶楽部」ですが、大きな特徴として、低予算のためにスタジオを使わず毎回ロケで収録されている点が挙げられます。ですから、例えば前掲の貨物列車の企画はJR貨物の線路脇、下仁田ねぎの企画はどこかの居酒屋で、それぞれロケが行われていたと記憶しています。
また、工場見学ネタも目立ち、訪問先の工場で作業着を着て、その職業の人になりきるという企画が多いのも大きな特徴の一つです。ちなみに先週の放送内容は、「台本が間に合わなかったので「自分で製本しよう!!」」という企画で、製本会社で1からハードカバーの本を作ることを体験する、というものでした。プレス機械や裁断機械が並ぶ製本会社の現場はまさに工場そのもので、改めて印刷製本業界は産業分類上は製造業に位置づけられる、ということを改めて認識させられました。
また素形材関係では、鍛造用金型メーカーの工場に出向き、鏡面研磨加工の技をタモリとゲストのふかわりょうらが競いあう、という企画がありました(2004年8月6日放送)。その模様は、ロケ地となった江北機械製作所のホームページでも紹介されています。
工場ネタは、不器用なボケ役タレントやテレビカメラに慣れない工場の技術者をタモリがいじるなど、基本的には笑いを取る内容ですが、ものづくりの奥深さはしっかりと伝えてくれます。おそらく芸能界広しといえども、タモリこと森田一義氏ほど工場の現場を知っている芸能人はいないのではないでしょうか。笑いだけでなく、ものづくりの奥深さをオールロケという現場主義で伝える(こともある)、「タモリ倶楽部」の放送が今後も続くことを願っています。

 タモリ倶楽部(Wikipedia)
 タモリ倶楽部(ファンサイト)
 

地域コミュニティーは機能しているか

2006-09-24 23:14:16 | Weblog
天気も良かったので近所の祭りに参加してきました。自分が住んでいる地域であるにも関わらず、「餅つき歌保存会」なるものがあるなど、知らなかったことが多いことに気づかされ、ちょっと地域コミュニティーというものを考えてみようと思いました。

今年春、秋田県の山あいの静かな町で、母親が娘を殺害し、さらに隣家の男の子まで殺害した事件は、あまりに衝撃的でした。犯人である母親の異常な行動、そして秋田県警の捜査の不手際など、マスコミで連日のように報道されたので、改めて詳しいことは説明するまでもないと思います。
私にとってショックだったのは、この事件が秋田県藤里町という、日本の中でも特に自然環境が豊かな町で起こってしまったことです。藤里町は、世界遺産に登録された白神山地の南側に位置し、登録区域の約4分の1(秋田県側の全て)が藤里町の町域内にあるという、まさに「世界遺産白神山地の郷」(藤里町のウェブサイトより)です。私は学生時代にワンダーフォーゲル部の合宿で、まだ世界遺産に指定される前の白神山地を訪れ、1週間ほど沢を遡行し、ブナ原生林の中を歩き、その豊かな自然のすばらしさに強い印象を受けただけに、今回のような悲惨な事件が起こった舞台としては藤里町はあまりにミスマッチであると感じました。
従来、親が子を殺害する、といった悲惨な事件は、専らストレスが多く近所づきあいも希薄な都会で起きるものであって、豊かな自然に日常的に触れあい、地域コミュニティーがしっかり機能している田舎ではありえない、という印象がありました。しかし、秋田県藤里町の事件だけでなく、悲惨な殺人事件が最近は地方で、それも中山間地域と呼ばれるような田舎で多発しているような気がします。これはなぜなのでしょうか。
地方を訪れるたびに思うのですが、特に中山間地域の衰退は本当に深刻です。こうした地域は、土建業がほとんど基幹産業と言ってよいのですが、これが公共事業の大幅な削減によって大きな打撃を受けています。
商店街の店が軒並みシャッターを下ろしている中、唯一活況を呈しているのは消費者金融とパチンコ屋ぐらいだけ、という町は決して珍しくはありません。経済的な疲弊は、地域住民に精神的なストレスを相当与え、地域コミュニティーにも大きく影響しているのだろうな、とそんな光景を見ると感じてしまいます。田舎で起こる悲惨な殺人事件の背景には、そんな経済的な背景もあるのではないでしょうか。
首都圏に住み東京で働く納税者の一人として、意味がないような林道やダムの建設のために税金が地方にばらまかれることについては、私は不満を持っていました。しかし荒む一方の日本の中山間地域の実態を知るにつれ、これまでの公共事業に対する私の考え方も揺らぎつつあります。安倍新首相は、格差の再生産を避けるため「再チャレンジ」を基本政策に掲げていますが、「負け組」に位置づけられてきた地方にどのような「再チャレンジ」のチャンスを与えるのか、私は注目したいと思います。

とはいうものの、やはり変だよ中国流

2006-09-23 17:53:29 | ものづくり・素形材
とはいうものの、中国の経営者の商売人根性には驚かされます。
会社が大きくなると、彼らの多くは多角経営に熱心になります。関連業種に進出するのであれば理解しやすいのですが、儲かると見るやホテルやレストランなどまるで畑違いのビジネスに手を出し、これが結構成功していて本業が何かわからないような企業も見られます。
中でも私が呆れてしまったのは以下の記事です。

(以下引用)
熱帯びる金型投資、自動車用で競争激化[車輌]
中国 - 水 Apr 12 ( 2006 )
自動車産業の急速な発展に伴い、重要なすそ野産業の1つ金型産業への投資が激化しているようだ。
(中略)
既に外資系、地場系を問わず、自動車用金型生産への投資はここ数年、活発さを増している。日系を例にとると、ホンダ系のホンダトレーディングは2004年に山東省煙台市にプレス金型の製販を手掛ける煙台駿輝模具を設立している。
また主要株主のホンダのほか、トヨタ自動車、日産自動車、三菱自動車工業の各グループとも取引する丸順は、プレス部品と金型の製販法人を01年に広東省広州市、03年に湖北省武漢市にそれぞれ設立済みだ。丸順はまた、03年には自動車産業進出を進める白酒(パイチュウ)メーカーの四川宜賓五糧液集団などと金型についての技術指導契約を結び、五糧液の金型生産基地計画に協力もしている。
(引用終わり)
http://nna.asia.ne.jp.edgesuite.net/free/city/nagoya/bn/20060412.html

引用箇所の最後に出てくる五糧液集団という会社は、中国四川省の大手酒造メーカーです。アルコール度数の強い白酒(パイチュー)では有名で、中国ではよく見かけます。この会社が日本企業から技術を導入し、自動車部品製造のための金型を生産するというのです。
酒造メーカーが自動車部品ですよ。金型ですよ。中国で急成長している自動車産業に商機あり、と見た経営者が、金型メーカーを買収し技術者をスカウトしたのでしょうけれども、いくらなんでもこんな発想は日本人にはできません。
日本の行き過ぎた「ものづくり原理主義」も問題ですが、中国企業の節操のない商売人根性にもいささか問題があるように思います。

技工貿と貿工技 日中ものづくりスタイルの違い

2006-09-22 23:04:44 | ものづくり・素形材
ちょっと古いのですが、富士通総研上席主任研究員の金堅敏さんが、実に面白いレポート(*)を書いています。日本企業は技工貿(技術開発 ⇒ 工場生産 ⇒ 貿易取引販売)、中国はその逆で貿工技だ、というのです。

(以下引用)
そもそも、中国地場企業の出発点は販売から始まっている。日系の一般的な企業はまず技術を開発し、その技術を製品化して商品を生産して、消費者に販売するという順番で戦略を考える。これは中国で言えば「技工貿モデル」(技術開発 ⇒ 工場生産 ⇒ 貿易取引販売)と名付けられる。
他方、数多くの中国地場有力企業は、資本蓄積や技術蓄積が乏しいがゆえに、まず多国籍企業或いは地場先行企業の製品・サービスの代理販売を行う。次に、代理販売の中で資本蓄積(販売利益)や技術の取得(多国籍企業による技術研修等)が進み、自らその商品の模倣品或いは改良品の生産を行うようになる。さらに、その資本、技術、人材の蓄積が相当程度に達したら、自社色を強め技術やサービスの独自開発へ進む。
これは「技工貿モデル」と対比して、「貿工技モデル」(貿易取引販売 ⇒ 工場生産 ⇒ 技術開発)ともいうことができる。「技工貿モデル」の下では、経営者や技術開発人員、工場生産管理者、販売営業部員は、当該製品の技術に対する理解は深いが、市場サイドへの理解は浅くなりがちである。これに対して、「貿工技モデル」の下では、経営者を始め社員は技術志向よりも市場志向の傾向が強い。
(引用終わり)

これまで私が訪問した日本と中国の中小企業で受けた印象を思い返しながら、実にわかりやすい説明だな、と感心しました。
確かに日本のものづくり中小企業の創業者には、もともと優秀な技術屋さん、叩き上げの職人さんが多く、とても技術にこだわりを持っています。しかし、すごい技術を持っているのに、職人気質なのでしょうか、その製品をできるだけ高く売り込もう、という商売人根性をあまり感じないことが多いのです。そもそも営業部門がない中小企業は少なくありません。
これに対し、中国のものづくり中小企業の経営者はまるで逆です。浙江省あたりの民営企業では特に顕著なのですが、創業者にはもともとは商売人だったという人物が目立ちます。そして、素人目で見てもたいした技術を持っているとは思えない企業でも、経営者は実に雄弁で、いかに将来性があるか、製品が優れているか、有名企業との取引関係があるか、国際認証を得ているか、をアピールします。厚かましいな、と思いつつ、ちょっと日本の奥ゆかしい経営者も彼らを見習ったらどうかな、と思ったりもします。
そしてある程度の規模になると、技術を持とうとしますが、わざわざ一から自社で開発するような面倒なことはあまりしません。金を払ってよそから技術とノウハウを買う、いっそのこと会社ごと買収するというのが、彼らの間で多く見られるやり方です。
このため、中国の経営者には、あまり「ものづくりへのこだわり」というものが感じられません。彼らにとっては、ものづくりは金儲けの手段の1つにすぎず、とにかく、いかに素早く多く儲けるか、が重要であるように思われます。彼らはここぞという時には、びっくりするような設備投資をしたりもしますが、それは「ものづくりへのこだわり」のためではなく、あくまでも素早く多く儲けるためなのです。このあたりの商売人としてのセンスはたいしたものです。
日本人は、なんとなく職人気質を崇高に、商売人根性を卑しく捉えがちですが、これはおかしな話です。金儲けは二の次でこだわりの逸品に精魂込める職人気質の頑固親父、というのはドラマの題材としては面白いのですが、現実社会の企業としては失格です。さすがにそこまで極端な経営者はいませんが、もっと日本のものづくり経営者は商売熱心になって欲しいと思います。

(*)No.136 May 2002. 中国有力地場企業の競争戦略と日系企業への示唆. 主任研究員. 金 堅敏. 富士通総研(FRI)経済研究所

「ものづくり」いろいろ

2006-09-21 23:43:38 | ものづくり・素形材
日本語はとても表現力が豊かな言語で、同じ言葉でも表記を漢字にするか、ひらがなにするか、カタカナにするかによって読み手が受けるイメージは大きく変わります。例えば、「ラーメン」と「らーめん」と「拉麺」とでは、なんとなく違いがあるような印象を受けませんか。個人的には、「ラーメン」は醤油、「らーめん」は豚骨、「拉麺」は味噌、というイメージなのですが。。。

さて、製造業の強さこそ日本の国際競争力の源泉、という認識が高まってきたことにより、様々な有識者やメディアが「ものづくり」の重要性を指摘するようになりました。実に喜ばしいことです。しかし、この「ものづくり」、ラーメン以上に表記は様々なのです。試みに「ものづくり」を様々な表記でgoogleで検索してみたところ、以下のような結果になりました。

 「ものづくり」約 6,040,000 件
 「モノづくり」約 1,680,000 件
 「モノ作り」 約 752,000 件
 「物作り」  約 711,000 件
 「もの作り」 約 481,000 件
 「物づくり」 約 292,000 件
 「物造り」  約 81,200 件
 「もの造り」 約 67,800 件
 「モノ造り」 約 65,100 件
 「モノヅクリ」約 37,000 件

「ものづくり」の圧勝で、「モノづくり」がそれに続き、「モノ作り」以下は両者に大きく引き離されている状況です。「ものづくり」でヒットした項目を眺めてみると、

 中小企業のものづくり基盤技術の高度化に関する法律(平成十八年四月二十六日法律第三十三号)
 2006年版ものづくり白書(経済産業省、厚生労働省、文部科学省)
 ものづくり日本大賞内閣総理大臣表彰(平成17年8月4日)

といったページが見られます。やはり国としての公式な表記は「ものづくり」なんだなー、と思いきや、中小企業庁がこんな事業を実施していました。

 中小企業庁:元気なモノ作り中小企業300社

あれ、「ものづくり」じゃなくて「モノ作り」なんですね(笑)
国としての表記が統一されていない中、前に掲げたように世の中では様々な表記が使われています。例えば、財団法人大田区産業振興協会と名古屋商工会議所は、「ものづくり」でも「モノ作り」でもなく、「モノづくり」を使っています。「日本モノづくり学会」という学会も存在します。

 モノづくり見聞録 大田・品川の中小企業を巡って
 モノづくりブランドNAGOYA(名古屋商工会議所)
 日本モノづくり学会

研究者の方も表記は統一できないようです。例えば、東京大学ものづくり経営研究センターのセンター長、藤本隆宏教授の著作は非常に面白く、私も多くの刺激を受けました。その彼の代表的な著書の1つが「日本のもの造り哲学」です。ご自身が所属するセンターの名称に使われている「ものづくり」ではなく、表記としてはマイナーな「もの造り」を使っています。

 東京大学ものづくり経営研究センター
 藤本 隆宏「日本のもの造り哲学 」

「ものづくり」の表記が様々で、統一性がないことを、問題視したり揶揄するつもりは私は毛頭ありません。
冒頭に述ベた、ラーメンの表記が様々であるのは、私は日本の食文化の豊かさの現れであると考えます。同様に、「ものづくり」の表記が様々であるのは、日本の製造業の層の厚さ、奥の深さの現れではないでしょうか。外国では英語でManufacturing Industriesと一言で表現されるのかもしれませんが、そう簡単にはいかないのが、きっと日本のすごいところなのです。