東北に飯豊連峰という大きな山脈があります。私は3年前の夏に3泊4日かけて連峰の南半分を縦走しましたが、山の深さといい、スケールの大きさといい、南アルプスに比肩する日本の大きな山脈の1つだと思います。
さて、この本の舞台になっている新潟県黒川村(現在は胎内市の一部)は、そんな飯豊連峰に抱かれた山深い人口7000人の小さな村です。冷涼な気候で農業生産は貧しく、冬は深い雪に閉ざされるこの村は、典型的な寒村だったのですが、村長として48年間の長きにわたり村政を率いた伊藤孝二郎氏の強烈なリーダーシップにより大きく変貌していきます。国の補助金を実にうまく活用しながら、新たな農地を切り開き、未曾有の大水害を乗り越え、村営のホテル、レストラン、スキー場、ソーセージ工房、ビール工房などなど様々な施設を建設、ついにかつての山深い寒村が佐渡島に次ぐ新潟県第二の観光地となり、「村おこし」の大成功事例の村となったのです。伊藤村長はこうした事業を進めていくため、とにかく情報収集を行います。村中をくまなく見て回る。寝る暇も惜しんで新聞、雑誌、書籍を読みあさり、毎日の睡眠時間は3時間。上京する際には霞ヶ関の課長補佐クラスの官僚をきめ細かく挨拶して回り、東京ディズニーランドに足を運んでサービス業のあり方を学ぶ。すさまじい努力です。
そんな村長の部下である、村役場の職員は大変です。村の構想を実現するための補助金制度はないか、一見使えなさそうな補助金でも書類の表現を工夫することでなんとかならないか、夜中になるまで徹底的に調べあげる。公務員でありながらホテルマンとして、スキーのインストラクターとして、ビール工房の職人として、なりふり構わず働く。のどかな山村の役人というよりも、競争の厳しいサービス業のような働き方です。
伊藤村長は村役場の人材育成にも熱心で、事業の中核を担う人材をドイツやスイスの農村に長期間派遣し、現地の農業、畜産を学ばせます。驚いたことに、黒川村の職員の4人に1人が研修で1年間の外国生活を送った経験を持っているそうです。ちなみに地ビール作りに取り組んだ黒川村は、本物のビール作りを学ぶためにドイツから職人を招くのですが、招かれたドイツの職人は村を訪れてあまりの僻地に驚き、そんな僻地でドイツ語を話す村の職員が多くいることに二度驚いたのだそうです。
かくも多くの職員を外国に長期間派遣するのは村にとって大きな負担であることは間違いないのですが、伊藤村長には以下のような信念がありました。
(以下引用)
「人づくりは、意識してやらないとだめです。村でいろんなことをやろうとしても、やる人間がいないとしょうがない。やっと若者たちが村に定着するようになったといっても、国内にいるかぎりはぬるま湯ですからね。自分とはどういうものか、外国で生活してみてはじめてわかる。自分の価値、置かれた立場、そこから自力で這い上がっていかなければ、まわりはただの一般的な日本人、アジア人としてしか見てくれない。そこで苦労しながら言葉を覚え、コミュニケーションできるようになって、何かをはじめると、周囲の見る目が変わってくる。個人としての注目や尊敬を集めるようになる。私は若い職員にそういう経験をして欲しい、と期待している。日本の、ぬるま湯の中にいたのでは、そんな経験はできないですからね。」
(引用終わり)
p122
本書を読んで強く感じたのは、自治体だけでなく、民間企業も、組織の良し悪しを決めるのはリーダー次第だ、という当たり前のことの重要性です。
そしてもう1つ挙げるとすれば、自らが依って立つ地域への愛の重要性です。困難な状況にあっても逃げない、諦めない、なんとか策はないものか、必死に考えることで黒川村は見事な打開策を見いだすのですが、それを可能としたのは伊藤村長のたぐいまれなリーダーシップに加えて、職員たちの村に対する愛であったと思います。民間企業も私は同じだと考えます。日本はコスト高になったから中国に移ろう、と安易に考えるのではなく、地域社会の一員として地元に残ることにこだわり、必死に生産性を上げる方策や付加価値の高い製品開発を考えてきた企業が、現在高い競争力を発揮しているように思います。
事業の資金を国の補助金に大きく頼るスタイルについては、正直言うと私としては賛成できない点ではあります。しかし黒川村の場合は、大いに観光客を集めて村民の生活を潤し、新潟県の経済にも大きく貢献しているので、良しとしましょう。
自治体関係者だけでなく、民間企業の方にとっても得るものが多い1冊だと思います。
吉岡忍「奇跡を起こした村のはなし」ちくまプリマー新書
さて、この本の舞台になっている新潟県黒川村(現在は胎内市の一部)は、そんな飯豊連峰に抱かれた山深い人口7000人の小さな村です。冷涼な気候で農業生産は貧しく、冬は深い雪に閉ざされるこの村は、典型的な寒村だったのですが、村長として48年間の長きにわたり村政を率いた伊藤孝二郎氏の強烈なリーダーシップにより大きく変貌していきます。国の補助金を実にうまく活用しながら、新たな農地を切り開き、未曾有の大水害を乗り越え、村営のホテル、レストラン、スキー場、ソーセージ工房、ビール工房などなど様々な施設を建設、ついにかつての山深い寒村が佐渡島に次ぐ新潟県第二の観光地となり、「村おこし」の大成功事例の村となったのです。伊藤村長はこうした事業を進めていくため、とにかく情報収集を行います。村中をくまなく見て回る。寝る暇も惜しんで新聞、雑誌、書籍を読みあさり、毎日の睡眠時間は3時間。上京する際には霞ヶ関の課長補佐クラスの官僚をきめ細かく挨拶して回り、東京ディズニーランドに足を運んでサービス業のあり方を学ぶ。すさまじい努力です。
そんな村長の部下である、村役場の職員は大変です。村の構想を実現するための補助金制度はないか、一見使えなさそうな補助金でも書類の表現を工夫することでなんとかならないか、夜中になるまで徹底的に調べあげる。公務員でありながらホテルマンとして、スキーのインストラクターとして、ビール工房の職人として、なりふり構わず働く。のどかな山村の役人というよりも、競争の厳しいサービス業のような働き方です。
伊藤村長は村役場の人材育成にも熱心で、事業の中核を担う人材をドイツやスイスの農村に長期間派遣し、現地の農業、畜産を学ばせます。驚いたことに、黒川村の職員の4人に1人が研修で1年間の外国生活を送った経験を持っているそうです。ちなみに地ビール作りに取り組んだ黒川村は、本物のビール作りを学ぶためにドイツから職人を招くのですが、招かれたドイツの職人は村を訪れてあまりの僻地に驚き、そんな僻地でドイツ語を話す村の職員が多くいることに二度驚いたのだそうです。
かくも多くの職員を外国に長期間派遣するのは村にとって大きな負担であることは間違いないのですが、伊藤村長には以下のような信念がありました。
(以下引用)
「人づくりは、意識してやらないとだめです。村でいろんなことをやろうとしても、やる人間がいないとしょうがない。やっと若者たちが村に定着するようになったといっても、国内にいるかぎりはぬるま湯ですからね。自分とはどういうものか、外国で生活してみてはじめてわかる。自分の価値、置かれた立場、そこから自力で這い上がっていかなければ、まわりはただの一般的な日本人、アジア人としてしか見てくれない。そこで苦労しながら言葉を覚え、コミュニケーションできるようになって、何かをはじめると、周囲の見る目が変わってくる。個人としての注目や尊敬を集めるようになる。私は若い職員にそういう経験をして欲しい、と期待している。日本の、ぬるま湯の中にいたのでは、そんな経験はできないですからね。」
(引用終わり)
p122
本書を読んで強く感じたのは、自治体だけでなく、民間企業も、組織の良し悪しを決めるのはリーダー次第だ、という当たり前のことの重要性です。
そしてもう1つ挙げるとすれば、自らが依って立つ地域への愛の重要性です。困難な状況にあっても逃げない、諦めない、なんとか策はないものか、必死に考えることで黒川村は見事な打開策を見いだすのですが、それを可能としたのは伊藤村長のたぐいまれなリーダーシップに加えて、職員たちの村に対する愛であったと思います。民間企業も私は同じだと考えます。日本はコスト高になったから中国に移ろう、と安易に考えるのではなく、地域社会の一員として地元に残ることにこだわり、必死に生産性を上げる方策や付加価値の高い製品開発を考えてきた企業が、現在高い競争力を発揮しているように思います。
事業の資金を国の補助金に大きく頼るスタイルについては、正直言うと私としては賛成できない点ではあります。しかし黒川村の場合は、大いに観光客を集めて村民の生活を潤し、新潟県の経済にも大きく貢献しているので、良しとしましょう。
自治体関係者だけでなく、民間企業の方にとっても得るものが多い1冊だと思います。
吉岡忍「奇跡を起こした村のはなし」ちくまプリマー新書