歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

関 満博「現場発 ニッポン空洞化を超えて」

2010-11-21 22:27:00 | 読書
週末に暇つぶしのつもりでブックオフに立ち寄ったのですが、ついつい何冊か本を買ってしまいました。そのうちの1冊がこちら。一橋大学教授の関満博氏の「現場発 ニッポン空洞化を超えて」(日経ビジネス人文庫) です。本書は1997年に発刊された単行本の内容を一部アップデートして文庫化したもので、単行本版はサントリー学芸賞を受賞しています。

1997年の発刊当時に私は本書と出会い、ものづくり基盤産業と中国の重要性について開眼し、その後私は専らそれらの分野の調査の仕事に従事することになりました。私にとってはサラリーマン人生を変える一つのきっかけになった重要な本で、今でも時々読み返しては関氏の現場に立脚した分析の鋭さに教えられることが少なくありません。この文庫版は未読だったので、これから時間を作って読んでみようと思います。

五木 寛之 (著)「蓮如―聖俗具有の人間像」 (岩波新書)

2010-09-03 01:15:20 | 読書
 五木 寛之 (著)「蓮如―聖俗具有の人間像」 (岩波新書)を読みました。
 浄土真宗はとりわけ北陸の地に浸透し、かつては門徒たちが一種の独立国家を形成して戦国大名らを圧倒していた、ということはなんとなく知ってましたが、北陸を真宗王国ならしめ、本願寺を日本一の教団に成長させた蓮如については全く知りませんでした。
 本書を読んで蓮如、そして親鸞についてどのような人物であったかを恥ずかしながら初めて理解したのですが、いずれも仏教の大衆化に大きく貢献した人物だったのですね。私は特定の宗教は信じてはいませんが、日本人としての一般教養として、中世の日本には偉大な宗教家、思想家たちがいたことを知っておくべきように思いました。

永 六輔 (著) 「商人(あきんど)」 (岩波新書)

2010-09-02 00:59:57 | 読書
 永 六輔 (著) 「商人(あきんど)」 (岩波新書) を読みました。暇つぶしのつもりで先日ブックオフで纏め買いした新書の1冊です。本書で紹介されている商人(「しょうにん」ではなく「あきんど」と読ませるあたりが筆者らしいところです)の言葉がまるで落語のようで面白く、あっという間に読み終えました。そんな言葉の数々で、ちょっとドキリとしたのがこちら。

「つくるのは、努力をすれば誰でもできますが、売るとなると、才覚がありませんとね」

 製造業を贔屓にし擁護している私ですが、この言葉はかなり当たってます。
 工作機械などの摺動面のキサゲ仕上げは、よほど選ばれた技能エリートにしかできない技だとかつて私は思っていたのですが、努力すれば誰でもできるようになるという趣旨の話を業界の方から聞いて拍子抜けしたことがあります。長年にわたって真面目に一生懸命努力すれば、ものづくりの技能は大抵の人であれば身に付けることができるようです。これに対して、商売は確かに天賦の才能や度胸がモノを言いますね。
 しかし、ものづくりの技能形成に必要な、真面目に一生懸命努力できることも一種の才能でしょう。かつてに比べて最近は劣化してきたとはいえ、これは今も多くの日本人が備えた美徳であり守り続けなければならないものであると思います。

西 炯子 (著) 「娚の一生」(フラワーコミックスアルファ)

2010-08-15 17:06:08 | 読書
 会社の後輩が西 炯子 (著) 「娚の一生」(フラワーコミックスアルファ)を絶賛していたので借りて読んでみました。
 コマ割りが斬新で(少女漫画としては普通なのかもしれませんが)一般的な「漫画の文法」に慣れている読者には少々読みづらいように思いましたが、キャラクターの魅力と緻密に計算されたストーリーの展開に引き込まれ、一気に読みました。

(以下「あらすじ」より引用)
つぐみは会社の長期休暇中に過ごしていた祖母の家で、今後も暮らすことにした。その離れには、亡くなった祖母が大学講師をしていたときの教え子だという海江田が住みつき、ふたりのなりゆき同居生活がはじまる。彼女を好きだという海江田に惹かれながらも、恋に臆病になっているつぐみは素直になれないでいた。海江田の養母が亡くなったという知らせを、つぐみが彼の妻からの手紙だと勘違いしたり、ふたりの関係は迷走しつつも、徐々に距離が近づいていく。つぐみは、海江田が好きだと心に強く思いはじめるが・・・
(引用終わり)


 ひょんなことから男女の同居生活が始まり恋が芽生える、という設定はラブコメのまさに王道です。私のようなおじさんは、柳沢きみお「翔んだカップル」(かなりの欝展開でした)、あだち充「みゆき」(「妹萌え」ジャンルの嚆矢でもある)がそんな設定だったな、と懐かしく思い出すのですが、この作品はそれらとは全く趣が異なります。舞台設定は都会ではなく南九州の田舎町ですし、何しろ主人公が30歳代半ばの女性と50歳代の男性という大人同士のラブストーリーなのです。

 52歳の哲学科教授であり高名な文人でもある海江田は、振る舞いが実に渋いですし(かっこよく喫煙する姿は私も真似したいものです)、ヒロインのつぐみに投げかける言葉は辛らつですが人生経験に基づいた懐の深さを感じさせます。
 枯れた年代の男性の魅力にはまる女性が最近ひそかに増え、少女漫画においてカレセン(枯れ専)というジャンルも確立されているらしいのですが、本作品の場合、主な読者である女性たちの心を捕らえた理由は、そんな枯れた男性の振る舞いや言動の魅力のみではないと思います。海江田はつぐみをものにするためにかなりストレートで強引な行動を取り、はっきりとは表には出さないのですが彼女の元カレに嫉妬したり、終盤で窮地に陥った彼女のもとに手段を選ばずに駆けつける行動力を示したりします。そんな彼の惚れた女のために頑張る、年代を超えた男の普遍的な姿が前述の枯れた男の姿との相乗効果をもたらし、女性ファンを魅了したのだと考えます。

 また本作品は冒頭で述べたようにストーリーも緻密に作られています。ヒロインのつぐみは理系女子で、総合電機メーカーにて発電所建設などの仕事に関わっていたのですが、このキャラクター設定の伏線はうまく生かされています。電機メーカーの社員としての言動の内容も結構リアルです。ヒロインに思いを寄せていた二世議員、市役所の土木課職員、郵便局の兄ちゃんたちも、しっかり終盤で活躍してくれますしそれぞれ幸せになったようなので安心しました。

 漫画として非常に面白い作品なので、恋愛モノが苦手な方にもお勧めです。

吉岡 忍「技術街道をゆく―ニッポン国新産業事情」 (講談社文庫)

2010-08-06 01:52:17 | 読書
 吉岡 忍「技術街道をゆく―ニッポン国新産業事情」 (講談社文庫) を読みました。文庫版は1993年、ハードカバーは87年に出版されており、いずれも今は絶版になってしまっているようです。私は文庫版をブックオフで100円で購入しましたが、これはお買い得でした。著者は日航機墜落事故や宮崎勤事件、尾崎豊など、幅広いジャンルですぐれたルポルタージュを書いているノンフィクション作家です。読み終わってから気が付いたのですが、彼の代表作の一つ「奇跡を起こした村のはなし」については2006年にこのブログでも紹介していましたね(こちら)。

 さて本書は、北海道から沖縄まで、47の都道府県の工場や建設現場、研究所などを著者が1980年代の半ばに3年間かけて訪問、取材し、都道府県ごとに記録したルポルタージュです。東京では大田区を、大阪では東大阪をどうして訪問していないのか、埼玉では川口の鋳物工場を訪問すべきだったのでは、といったツッコミを入れたいところもありますが、それでも本書は各都道府県における当時のものづくりに関する県民性や現場の雰囲気をよく活写していると思います。特に地方部の様子について興味深く読みました。

 生産現場は本格的なFAの時代を迎えて熟練技能というものが不要になり始めた時代。アジアへの生産拠点の移転と国内の空洞化がそれほど本格化しておらず、異常なバブル景気もまだ迎えていなかった時代。そんな当時の日本のものづくりの現場の様子を知る上で、本書は貴重な資料ではないかと思います。

 また、私は職業柄ものづくりに関する様々な本を読んでいますが、本書のように47都道府県ごとにご当地のものづくりの模様を紹介した本は意外にありません。本書を読むと、日本という国は地方ごとに様々なものづくりがあることを実感させられます。著者も文庫版あとがきに以下のように記しています。

(以下引用)
 ともあれ、最初のこの日本一巡旅行は、日本の広さを実感する旅行でもあった。(中略)私が実感したのは、素朴な事実だった。つまり、どこに行っても、たくさんの人々の暮らしがあり、技術があるということ。それぞれが微妙にちがいながら、それぞれの風土のなかに、人々の生活と技術がある。どこを旅行していても感じられるその存在感の手応えが、広さのほんとうの意味だ。
 その意味で、日本はけっして狭くない。むしろ広大といえるほどの広がりを持っていると私は感じた。そして、何もかもが均質に見えがちな怠惰な感受性は、広い日本の行く先々で叱咤されたように思う。
(引用終わり)


 これまで仕事と遊びでかなり多くの都道府県を訪問しましたが、ものづくりの現場には足を運んでいない県が結構あります。私も全都道府県の現場を踏破してみたいですね。

トニー・クラーク, モード・バーロウ「「水」戦争の世紀」(集英社新書)

2010-08-03 00:37:40 | 読書
 トニー・クラーク (著), モード・バーロウ (著), 鈴木 主税 (翻訳) 「「水」戦争の世紀」(集英社新書)を読みました。

(以下引用)
水は無尽蔵にあると、我々は思いがちだ。しかし人類が利用できる淡水は、実は地球の総水量の〇・五%にも満たない。しかも、その淡水資源は、環境破壊や都市化などによって急激に減り続けている。それだけではない。いまや石油よりも貴重な天然資源となった水は、グローバル企業や世界銀行、IMFなどにより、巨大なビジネスチャンスの対象とされ、独占されつつあるのだ。今、生きるための絶対条件である水を得られない人びとが、大幅に増えている。地球のすべての生命体の共有財産である淡水資源が枯渇すれば、人類の未来はない。世界の「水」をめぐる衝撃の実態を明らかにし、その保全と再生のための方途をさぐる、必読の書。
(引用終わり)


 最近やたらと「水ビジネス」という言葉を雑誌などで目にします。経済産業省の「産業構造ビジョン2010」においても「水ビジネス」は今後の戦略分野の1つとして挙げられています。私は水ビジネスについては素人ですが、国が今後力を入れようとしている戦略分野となるとこれは勉強しておかなくては、と思い本書を読んでみたのですが、少々違和感を覚える内容でした。
 本書は終始一貫して、水道事業の民営化に対して反対の論陣を張っています。生命の維持に不可欠な水は公共財であるべきで、利潤を追求する民間企業の手に委ねると貧困層は安全な水を得ることができなくなり、水資源は枯渇する、というのが著者の主張であるようです。しかし、民間企業よりもむしろ無責任な政府がもたらした害の方がひどいのではないかという気がします。典型的な例が本書の冒頭でも述べられているアラル海の問題であり、持続的に儲けようという民間企業としては当たり前の発想を旧ソビエト政府が持ってさえいれば、ずさんな灌漑計画により巨大な湖が消滅の危機に瀕するという事態にはならなかったのではないでしょうか。また、アフリカなどの途上国の中には、自国の富を収奪することしか考えていないひどい為政者によって支配されている国もあるようですが、そうした国々では水をはじめとする資源の開発は政府よりも経済原理で動く民間企業に委ねた方がマシであるように思います。
 もっとも、市場を一社が独占すると当然弊害も生じるでしょうから、著者の主張を全面的に否定することはできません。「水ビジネス」は興味深いテーマであるので、今後も暇を見て追い続けていこうと思います。

村上春樹, 吉本由美, 都築響一(共著) 「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」(文藝春秋)

2010-07-19 01:02:57 | 読書
 5年ほど前、友人と一緒に谷川岳に登って下山した後、「どこかで飯を食べようや」ということで車で水上の温泉街を訪れたことがあります。スナックやショーパブなどの店舗が随所に見られたのですが、とにかく温泉街全体に寂れた雰囲気が漂っており、扇情的な店の看板がかえって我々をやるせない気持ちにさせたのでした。ここに限らず、男性中心の団体旅行客を当て込んだ歓楽型の温泉街はもはや時代のニーズにそぐわず、全国どこも同じような状況ではないかと想像します。正直言って水上の温泉街は面白いとは思いませんでしたが、同時に地元の人々に対して「もうちょっとなんとか頑張ってくれよ」と思わざるを得ませんでした。
 
 さて、先日、「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」(文藝春秋)という本を読みました。本書は、名古屋、熱海、ハワイ(ワイキキ)、江ノ島、サハリン、清里という、上記の水上温泉のようにあまり面白くない場所を、作家の村上春樹氏をリーダーとする「東京するめクラブ」が訪問してなんとか面白がろうと努力する、というルポルタージュです。確かに本書では知られざる面白いスポットの紹介もあれば、トホホな状況にある観光地の再建に向けた提言もあるのですが、どうも「東京するめクラブ」の面白がり方は都会の文化人の方々の「上から目線」が基本であり、観光客の誘致に一生懸命な地元の観光協会の方々が聞いたら憤慨しそうな内容が随所に見られます。

(以下引用)
村上 うん、たとえば女の子を誘って箱根にでも行こうか、という感じはあるけど、熱海へ行こうか、と言っても逃げるよね。スマートボールいいのがあるよ、とか言って所詮限界があるし(笑)。
都築 まあ、よほど練れたカップルじゃないとね(笑)。でも、僕たちが熱海で見かけた若いカップルって、決して練れちゃいないよね。むしろアイデアなくてここに来ちゃった、みたいなさ。
村上 箱根と熱海の違いもわからないまま、来てるんじゃないかっていう感じのカップル多いよね(笑)。それからさ、熱海の街を歩いているおばさんの団体って、関西弁の人がやたら多かった。関西の人は今の熱海がどれくらいさびれているかよくわかってないから、旅行代理店に騙されて連れてこられるんだよ、きっと。
(引用終わり)


 ノーベル文学賞に最も近い作家からここまで言われてしまう熱海は気の毒ですね。熱海はかなり頑張っており、最近ではAR(拡張現実)という時代の最先端を行く技術を使ったこんな誘客キャンペーンも展開していますし・・・先を行き過ぎて逆効果にならないか、ちょっと心配ではあるのですが。

この夏、熱海をラブ色に染める「熱海 ラブプラス+現象(まつり)」がいよいよスタート!(IT media, 2010.07.12 20:13)



森 博嗣「スカイ・クロラ」 (中公文庫)

2010-07-17 01:36:41 | 読書
「創るセンス 工作の思考」(集英社新書)を読んで森 博嗣という作家に関心を持ち、彼の 「スカイ・クロラ」 (中公文庫)を読んでみました。

 「シャッタ」、「メータ」といった独特の言葉遣い、飛行機や自動車のメカに関する正確な描写は理系の作家ならではですが、情景描写や主人公の感情表現は必要最小限に抑えられており、まるで詩人が書いたような文章です。とりわけ戦闘機同士の空中戦の描写などはまるで散文詩を読むようです。また世界観に関する説明が少なく、本書の内容説明に書かれた「戦争がショーとして成立する世界に生み出された大人にならない子供」が登場人物であることを頭に入れておかなければ、この作品の面白さはわかりにくいと思います。さらに、各章の扉の部分にはサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の一節が引用されているのですが、サリンジャーは全く未読である私にはこの引用がもたらす効果というものが残念ながらイマイチ伝わってきませんでした。
 「スカイ・クロラ」 はシリーズ化されており、一連の作品を読めば作者が作品にこめた深い意味を理解することができるそうです。結構気に入った作品なので、時間があれば読んでみたいと思いました。

 こちらのアニメ化された映画のトレーラー動画も見てみましたが、この作品を映像化した監督の押井守はつくづくすごい才能の持ち主ですね。


溝口 敦「パチンコ「30兆円の闇」」(小学館文庫)

2010-07-03 23:55:45 | 読書
 溝口 敦「パチンコ「30兆円の闇」」(小学館文庫) を読みました。

(以下引用)
国内のパチンコ人口、1500万人。全国には1万店を優に超すホールがある。「鉄火場」では日々巨額のカネが動く。その市場規模は米カジノ産業をはるかに凌ぎ、自動車などの基幹産業にさえ匹敵する。しかし、位置付けはあくまで「ギャンブルではなくレジャー」。警察による裁量行政と業界支配は揺るがない。結果、ホールは「巨大な密壺」と化し、無数のアリがたかる。結果的に割りを食うのはファンである。ホール経営者、メーカー幹部、カバン屋、ウラ屋、ゴト師から警察官僚まであらゆる「業界関係者」に直撃取材。パチンコ産業に潜む「闇」を浮き彫りにする。
(引用終わり)


 私はギャンブルというものはどうも生理的に受け付けません。これまで1回だけ知人に誘われてパチスロを経験したことがありますが、こんな金の無駄としか思えないものに何故多くの人が夢中になるのか、全く理解できませんでした。
 とはいえ、たとえ自分が生理的に受け付けず理解不能であったとしても、ギャンブルにも小市民のストレス発散などそれなりの社会的な意義というものがあるでしょうし、そもそもパチンコ・パチスロは1500万人のユーザーを抱え売上高は30兆円にも達する(今は22兆円ぐらいに縮小しているらしい)巨大産業ですから、その存在をにべもなく否定する気持ちは持っていなかったつもりです。しかし、本書を読むと、もう日本人はパチンコ・パチスロをボイコットすべきではないか、と真剣に思います。
 公営ギャンブルの競馬や競輪、競艇などで得られた収益金の一部は、それなりに公共の福祉に役立つ事業に使われているのに対し、パチンコ・パチスロホールといえば脱税の常連ですし、得られた利益はホール経営者などを利するだけどころか、一部は北朝鮮に送金されて金日成・金正日父子の独裁体制を支えてきたと言います。また、事実上換金を伴うギャンブルであるにもかかわらず、「特殊景品」と「交換所」を介して換金させることによって「ギャンブルではない」と言い逃れるのはどう考えてもおかしいですし、そんな業界を警察が保護しそして見返りを得るという癒着の構造は、先進国ではかなり稀有なものではないでしょうか。
 パチンコ産業に潜む「闇」どころか、あまり見たくも無い日本社会の「闇」が見えてくるような本だと思います。

戸矢 理衣奈 「エルメス」 (新潮新書)

2010-06-30 23:55:47 | 読書
 戸矢 理衣奈 「エルメス」 (新潮新書) を読みました。エルメスに関する様々なエピソードを紹介している本書は、(私にはその機会は少ないですが)エルメスを支持する若い女性たちとの会話に役立つという実用性に優れているだけではありません。

 私は高級ブランドというものに全く無縁であるため、そもそもエルメスがブランドの中でも「別格」の存在であることを初めて知りました。定番のバッグは70万円、しかも入荷するまで5年も待たされるにもかかわらず、日本人の若い女性たちから圧倒的な支持を受けているとのこと。有名ブランドに群る日本人女性たちの姿は正直理解しがたいものがありましたし、そんな彼女たちからしこたま儲ける欧州の有名ブランドにはあまり良い印象を持っていませんでしたが、本書を読んで高級ブランドに対する考えを改めようと思いました。

 約170年前に馬具工房として創業したエルメスは、馬具製造の伝統を活かした飽きのこないデザインと耐久性に優れたバッグや皮製の小物などで、世界の富裕層(と日本人女性)から圧倒的な支持を得ています。エルメスが他のブランドと一線を画しているのは、「イメージ」「品質」「希少性」を堅持するために、安易なライセンス生産や広告宣伝に走らず、また職人技に徹底的にこだわりデザインや広報活動にも高尚な芸術性を追求している点であるそうです。
 注目したいのは、エルメスが異文化の職人の伝統技術の保護、そして革新を促すことにも熱心であることです。エルメスは日本についても優れた職人技を生み出す国として位置づけ、新たな作品作りのためのコラボレーション先として重視しています。

(以下引用)
 有名外国人デザイナーの作品の一部を製作したという伝統工芸作家は、それを非常に貴重な経験として記憶している。「我々でも似たようなものを作ることができるが、どこかが違う。野暮ったくなる。第一線に立つ外国人デザイナーの無駄を削ぎ落とした、極め尽くしたようなデザインには圧倒される」という。
 また日本人デザイナーであればある程度、技術の限界を考えて注文するところを、外国人はそうしたことを考慮せずにどんどん要求してくる。要請に応えようと努力することによって、技術面での進歩も大きかったという。
(中略)
 「日本では伝統は過去の継承になっている。一方、われわれは伝統に新しい要素を常に取り込み、揺さぶり続けてきた。そこが違う。京都にはエルメスに力を与えてくれるエネルギーの源があるが、日本はそれを生かしていない。われわれはどの国をイメージする時も、消化吸収してエルメスの世界に溶け込ませ伝統と新しさを溶け合わせてきた」
(引用終わり)


 日本には世界に誇る繊細な文化と優れた工芸の技があります。老舗も多く、エルメスのような170年ほどの歴史を持つ会社は山ほどあります。にもかかわらず、日本がエルメスのような高級ブランドを生み出すことができなかったのはなぜなのでしょう。フランスの高級ブランドが日本の優れた伝統工芸の技を見出し革新を促しているというのは、日本人として残念に思います。
 昨今では「感性価値」というものが産業政策の柱の一つを構成し、「ソフトパワー」「クールジャパン」が日本外交の切り札として位置付けられようとしています。これからの日本の行く末にとって「文化力」というものがますます重要になっているわけですが、著者も述べているように、「文化力」について考える上でその成功者であるエルメスの歴史と活動は大いに参考となるでしょう。ものづくりと文化というものを考える上で、本書は非常に役立つものと考えます。