歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

モジュラージャックの変換プラグの思い出

2010-12-30 00:04:45 | Weblog
仕事納めということで机の中を整理していたら、懐かしいものを見つけました。電話のモジュラージャックの変換プラグです。私はこれらを今からもう15年近く前、私にとって初めての海外出張先のイギリス、フランス、ドイツ、イタリアで使いました。

当時はまだネットといえばニフティなどのパソコン通信サービスに電話回線を通じてアクセスして、電子メールの送受信をしたりデータベースを利用したりすることでした。特定のテーマについて情報交換し合うBBSは、なんだかとても敷居が高く、入りにくかったように思います。
通信速度も1200bpsや2400bpsが普通で、9600bpsになると非常に高速だと感じたものです。データ通信速度はメガ単位が当たり前の今では信じられませんね。

海外から日本のパソコン通信サービスのアクセスポイントに接続しようとすると電話料金が高くついてしまいます。このため私は海外出張中、ニフティと提携していた海外のパソコン通信サービス会社のアクセスポイントにホテルの電話回線からアクセスして、ニフティのサービスを利用しました。こうすれば電話料金は国内通話なのでコストを大幅に安くすることができたのです。

しかし、国によって電話のモジュラージャックの形状が日本と異なるところがあり、日本から持ち込んだケーブルが差し込めないようでは電話回線に繋ぐことができません。そこで出張前に秋葉原で買い揃えたのが、これらの変換プラグでした。

このほか、海外ではアクセスポイントに繋ぐためのコマンドが日本とは異なるなど、海外でのネットへの接続は結構大変でした。しかしそれだけに現地で無事にネットに繋げられるだけで非常に嬉しくなり、沢山メールを送ってしまったことが懐かしく思い出されます。

姫路駅の駅弁

2010-12-29 09:00:50 | Weblog
今年最後の出張は、神戸、岐阜、姫路、野洲を順に巡るという、東海道・山陽新幹線で行ったり来たりする、なんとも移動の効率が悪いものでした。しかし、年末の忙しい時期に企業の方々が時間を割いて下さったことは本当に有難く、文句などとても言えません。
写真は姫路駅で買った駅弁です。作っているメーカーは、日本で初めて幕の内弁当を駅弁として販売した会社とのこと。幕の内弁当の駅弁は姫路駅が最初なんですね。知りませんでした。

450年の歴史を持つ鋳造メーカー

2010-12-27 21:30:22 | ものづくり・素形材
 
 神戸の金属プレスメーカー訪問後、岐阜に移動して鋳造メーカーの株式会社岡本を訪問しました。この会社が創業したのはなんと1560年、織田信長が桶狭間の戦いに勝利した年です。日本には古い歴史を持つ老舗企業が多数ありますが、私がこれまで訪問した企業の中では株式会社岡本は老舗の中の老舗といえる存在です。
 同社は老舗らしく寺の梵鐘などの鋳造も請け負いますが、金属工学の最先端技術を駆使した鋳造も行っています。耐摩耗性と共に靭性に優れた同社の「スーパーメタル」は、金型材、破砕ハンマーなどに用いられており、鋳物といえば脆いという従来の通念を覆す素材です。老舗だからといって伝統に安住せず、果敢に新たな領域に挑戦し続ける株式会社岡本の姿勢は素晴らしいと思います。

経験重視の金属プレスメーカー

2010-12-27 20:49:19 | ものづくり・素形材
 神戸で金属プレスメーカーの村元工作所を訪問しました。金属プレス業界において優れた開発力と技術力で知られる同社ですが、経験を重んじる並々ならぬ姿勢には圧倒されました。
 世界各地に進出している村元工作所では、入社すると海外工場での研修を含む新人研修を受けることになります。この海外研修は一般職の女性事務員も受けると聞いて、どうして?と思ったのですが、彼女たちは海外に赴任させられることはなくても、仕事を覚える上で海外工場での業務を知っておくことが不可欠だからなのだそうです。
 また、協力会社に外注していた成形や塗装などについても、自らもやってみることを重んじる同社はこれらの技術を学び、そのうちいつの間にかこれらの工程も内製するようになってしまったと言います。さらに、工場を移転した時に自家用車を持たない社員の送迎用バスを走らせることが必要になった際、最初の数ヶ月間は何人かの社員が大型運転免許を取得して自らバスを走らせ社員の送り迎えをやったのだそうです。そこまでやるのか、と驚いたのですが、自らバスを運転することでどのようにすればバス会社への委託費を安くできるかがわかった、とのことでした。
 今は何事も「選択と集中」が重んじられる世の中だからこそ、かえって村元工作所のような経験重視主義が大きな成果につながるのかもしれません。
 

北野★工房のまち

2010-12-26 21:02:00 | Weblog
 
 神戸市の移住ミュージアムを見学した後、JR元町駅に向かって歩いていると、北野★工房のまちという看板が目に止まりました。よく見るとこの建物の入口には「神戸市立北野小学校」の表札が掛かっています。廃校になった小学校の校舎を改装して、神戸の様々な職人たちがテナントとして入居する施設になっていたんですね。

 
 レトロな雰囲気でとてもオシャレです。テナントのスペースは教室を半分に仕切った狭いものですが、単なる商品の販売だけでなく職人たちのものづくりの様子も見学できるようになっています。

 オープンしたのは平成10年で、今では神戸の人気観光スポットの1つになっているのだとか。神戸市役所は実に商売が上手い役所だと思います(神戸空港については疑問が多いのですが)。

神戸の移住ミュージアムを訪れました

2010-12-26 20:07:06 | Weblog
 明日の朝、神戸市にある金属プレスメーカーを訪問するため、今日から神戸に来ています。せっかくなので神戸市の移住ミュージアムを訪問してきました。こちらはブラジル出張の際にサンパウロにある日本人移民の資料館を見学して以来、気になっていた場所なのです。

(以下引用)
ブラジルは、日本のちょうど反対側に位置し、とっても遠い国のように思えますが、実は日本とはとても親密な国なのです。この結びつきをもたらしたのが、多くの移住者です。そして、この移住者を送り続けたのが神戸の港です。

日本人のブラジル移住は1908年(明治41年)から始まりました。それから20年後の1928年・昭和3年に、「国立移民収容所」が誕生しました。全国から集まってきた移住者が1週間から10日間ここで移住の準備をしながら、別れを惜しみ、はるかかなたの異国の地に想いを馳せたのでした。希望と不安が交錯する、彼らの人間ドラマがこの建物には深く刻まれているのです。

この建物は、その後、歴史の流れとともに何度か名称変更を繰り返しましたが、1971年・昭和46年に閉鎖されるまで、移住者保護を目的にした国の施設「神戸移住センター」として、親しまれてきました。
日本でただ1つ残った、海外移住の歴史を刻んだ建物。2009年6月3日、「海外移住と文化の交流センター」として、リニューアルオープンしました。ここは、文字通り、移民の歴史を語る"語り部"なのです。
(引用終わり)

出所:財団法人日伯協会 移住ミュージアムのご紹介


 こちらの建物は1928年に開設された古い建物ですが、阪神・淡路大震災の際も健在で、被害を被った神戸海洋気象台が一時この建物の一部を借りていたのだそうです。


 興味深い展示品をたくさん見ることができます。


 移住者の方たちのインタビューのビデオが視聴できます。時間があまりなかったので、戦前に移住された上原幸啓氏(サンパウロ大学名誉教授)のインタビューしか見ることができませんでしたが、わずか8歳で両親と別れて兄弟と一緒にブラジルに渡った、出航の日に船の上から見た六甲山の姿が忘れられない、といったエピソードの数々に思わず引き込まれました。


 期間限定でブラジルのクリスマスの展示をやっていました。こちらは展示品が少なくちょっと寂しい感じでした。


 日本中から多くの方々がこの神戸の「国立移民収容所」に集まり、ブラジルをはじめとする南米諸国に移住していきました。このため移民にはこの建物に格別に思いを抱く方々が少なくありません。この建物を国内で唯一現存する移住関連施設として保存する際には、多くのブラジル移民の方々から神戸市に寄付金が寄せられました。館内には寄付者のリストが掲示されていますが、そこには私がブラジル出張の際に現地でお世話になった和田好司さんのお名前もありました。

 神戸市の移住ミュージアムは、異人館が立ち並ぶ観光スポットである北野地区にも近い場所にあります。「国際都市・神戸」の歴史について理解を深めるため、神戸観光のついでに立ち寄ることをお勧めします。

ブラジルの地酒「東麒麟」

2010-12-25 09:33:16 | Weblog
 この時期、業務終了後の会議室や打ち合わせスペースで宴会を開く会社は多いと思います。先日、私の職場でも有志が集まり酒と肴を持ち寄ってささやかな酒盛りを開いたのですが、私はブラジル出張中に現地で入手した日本酒「東麒麟」を持ち込みました。
 この「東麒麟」は海外の日系移民たちによって作られているおそらく世界唯一の日本酒ですが、ブラジルでは日本食が人気であることもあって非日系のブラジル人たちからも親しまれています。実際、「東麒麟」はブラジル国内の酒店では普通に見ることができ、私も日系人が少ないブラジル南部のポルトアレグレのスーパーマーケットで購入しました。5合瓶で確か日本円で1000円もしなかったと記憶しています。味はすっきりとしていて飲みやすく、仲間たちからもなかなか好評でした。
 なお、ブラジルでは醤油や味噌、豆腐など、様々な日本食の食材も、現地で得られる材料を元に日系人たちが生産、販売しています。日本食は今や世界各地で人気を集めていますが、日本酒、そして食材のかなりの部分が現地で調達可能なブラジルは、世界でもかなりユニークな国であるといえると思います。

(参考)
「東麒麟」好調持続=東山が創業70年=新旧副社長が抱負(ニッケイ新聞2004年3月27日)
INDÚSTRIA AGRÍCOLA TOZAN LTDA.(東麒麟を生産している東山農産加工のホームページ)

安房鴨川に行ってきました

2010-12-09 00:59:46 | Weblog
 出張で安房鴨川に行ってきました。千葉県に行ってくる、というと「なんだすぐそこじゃないか」と思われがちですが、房総半島の先のほうとなると時間距離的には名古屋や仙台よりも遠く感じます。
 訪れたのは鴨川シーワールドの近くにある亀田総合病院です。浅田次郎氏の「天国までの100マイル」で主人公が目指した病院のモデル、と説明するとピンと来る方もいらっしゃるかもしれませんね。私はこれまでそれほど多くの病院を訪れたわけではありませんが、美しい外房の海岸を見下ろすこの病院は別格の存在で、人生の最期を迎えるのであればこんなところがいいなと感じました。
 写真は帰京する際に安房鴨川駅で買った駅弁です。もう少しボリュームが欲しかったですね。

某美容整形外科を訪問しました

2010-12-08 01:31:25 | Weblog
 都内の某美容整形外科クリニックを訪問してお話を聞いてきました。

 観光のついでに現地の医療機関で治療してもらうという「メディカルツーリズム」に関するヒアリングです。中国人女性の患者の来訪が増えているとのことで、このクリニックでは中国の医師免許を持つ中国人スタッフを雇って対応していました。最近では中国から20歳の女の子が訪れてきて、200万円をかけて豊胸手術を受けたとのこと。中国人の富裕層のリッチぶりには驚くしかありません。

 美容整形のメディカルツーリズムの受け入れは韓国が有名です。訪れたクリニックによると技術的には日本のほうが上とのことですが、受け入れの人数では日本はとても韓国には及びません。韓国でもやはり中国からの美容整形目的の観光客の来訪が増えています。中国人女性がなぜ韓国を目指すかというと、韓国政府が国を挙げて受け入れ環境の整備とPRに努めていること、コストが安いこと、そして現地では韓流ドラマが大人気で、「チェ・ジウをはじめとする韓流スターのように私もなりたい、だって彼女たちも整形しているのだから」、と多くの中国人女性が受け止めているからなのだとか。中国も韓国も儒教の本場であって、儒教の伝統的価値観からすれば「親から授かった体をいじるなんてとんでもない」ということになると思うのですが、どうして両国ともこうなってしまったのでしょうね。

 最近はものづくりに関する仕事が少なく寂しい思いをしていましたが、ものづくり以外の分野、それも今まで足を踏み入れたことが無い分野のヒアリングもなかなか面白いと感じている今日この頃です。

リオの麻薬戦争

2010-12-03 00:55:52 | Weblog
 リオデジャネイロのスラム(ファベーラ)が麻薬組織の根城となっており、非常に危険な場所であることは以前にこのブログでも述べましたが(こちら)、つい最近、警察が大規模な掃討作戦を行いました。ちょうどその頃、地球の裏側の東アジアでは北朝鮮による韓国の島への砲撃事件で騒然としていたため、この事件は日本ではほとんど報じられませんでしたが、TV報道された動画を見るとまるで戦争です。




(以下引用)
当局、アレモン丘を制圧 10/11/30 (10:20)
次の標的はロッシーニャ丘
 【既報関連】リオ州政府による過去最大規模の麻薬組織撲滅作戦が始まって1週間。当局側は28日、特殊部隊や装甲車、応援の軍兵士ら約2700人規模で北部のアレモン丘に進攻。1時間半あまりで、同丘の組織ボスと、隣のペンニャ丘から逃げ込んだボスを逮捕。ほぼ無抵抗のままファベーラを完全制圧した。
 麻薬組織掃討作戦開始から1週間、これまでに一般市民を含む少なくとも49人が死亡した。ビラ・クルゼイロ丘制圧の翌26日から踏み込んだアレモン丘では、同日の銃撃戦で3歳の女児を含む5人の市民が負傷。28日も散発的な銃撃戦で組織メンバー3人が死亡する事態となっている。
 当局が掴んだ情報によれば、アレモン丘に潜んでいた500人余りの「コマンド・ベルメーリョ(CV)」メンバーは、南部ロッシーニャ丘を本拠地とする敵対組織「アミーゴ・ドス・アミーゴス」(ADA)に逃げ込んだとされ、当局側は次の標的は同丘とビジガル丘だと発表。一気に解体をねらう方針だ。
 28日の作戦では、組織ボスらを含む20人を逮捕。制圧後のファベーラ捜索では、大麻40トン、コカイン150キロ、銃器50丁などが押収された。
 なおファベーラの住人らは、数百人単位の武装警察部隊が行き来する非常事態に疲労困ぱいの様子。学校は休校が続き、突発的な銃撃戦や車両焼き討ちに脅える毎日に、「平和が欲しい」と訴える垂れ幕などを掲げている。
(引用終わり)

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/2458/cat/1

 この記事に出てくる「ロッシーニャ丘」というのは、私がリオで訪れたファベーラ、ホシーニャ(Rocinha)のことですね。。。今から思えばかなり自分は危険な行動を取っていたんですね。ぞっとします。