歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

出張の季節

2009-09-28 23:43:41 | Weblog
 今週末は新潟、金沢。すぐ来週頭からシンガポール、タイ。帰ってきてすぐに名古屋、大阪。。。乗り物好きな私は出張があまり苦になりませんが、そんな私でもちょっと大変なことになりそうです。

川端裕人「夏のロケット」(文春文庫)

2009-09-26 22:33:25 | 読書
 川端裕人「夏のロケット」(文春文庫)を読みました。友人から「古本屋で100円で買った本だけど、面白かった。お前にやるよ」と言われてもらった本ですが、これは儲けものでした。科学技術、ものづくりに興味がある人には是非一読をお勧めしたい小説です。

(以下引用)
内容(「BOOK」データベースより)
火星に憧れる高校生だったぼくは、現在は新聞社の科学部担当記者。過激派のミサイル爆発事件の取材で同期の女性記者を手伝ううち、高校時代の天文部ロケット班の仲間の影に気づく。非合法ロケットの打ち上げと事件は関係があるのか。ライトミステリーの筋立てで宇宙に憑かれた大人の夢と冒険を描いた青春小説。第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞受賞のデビュー作。
(引用終わり)


 ちょっとネタバレになりますが、主人公の「ぼく」はかつての仲間たちと過激派との関係を疑いつつも、手作りのロケットを作って打ち上げる、という仲間たちの非合法ロケット計画に結局は参加してしまいます。彼らの目標はなんと有人宇宙飛行です。果たして無事に成功するのか、は読んでのお楽しみです。

 このロケット制作の模様の描写や、設計から材料、金属加工、燃料などのものづくり、ロシアやアメリカのロケット開発の歴史、商社の宇宙ビジネスの実情など、主人公や仲間たちによって語られるロケットの開発の歴史や技術の話の内容は、非常に具体的かつわかりやすいものになっています。著者はもともとテレビ局で科学技術担当記者などを務めた経験の持ち主であるため、こうした話題については得意分野なのかもしれませんが、著者が膨大かつ綿密な調査を行っていることは疑いないでしょう。
 私も本書を読んで初めて「傾斜機能材」とはどのような材料なのかよく理解することが出来ましたし、今まで「どうせ戦後にソ連がドイツから強奪した技術が基盤になっているんでしょ」と思っていたロシアのロケット技術は、実は帝政ロシア時代から世界でも最先端を走っていたということを知りました。本書は宇宙開発に関する技術と歴史について知る入門書としても使えるような気がします。

 ストーリーはよくできており、ついつい引き込まれてしまいます。私は通勤電車の中で読んだのですが、すっかり没頭してしまったため、電車が下車駅を過ぎたことに気がつかずに2駅ほど乗り過ごしてしまったほどです。
 「小型とはいえ、成層圏にまで達するようなロケットを何度も試射で打ち上げていたら、航空管制当局や米軍などによってあっという間に補足されて計画がバレるんじゃないの?」とか、「マッドサイエンティストのような天才技術者とか、職人気質の町工場の親父さんとか、人物の描き方がちょっと安易すぎないかなあ(良く言えばキャラが立っているからアニメ化とかはやりやすいだろうけど)」など、ちょっとツッコミを入れたくなる点もあります。しかし、そこは良質な大人のためのファンタジーとエンターテイメントだと割り切って、一気に読んでしまうことをお勧めします。

シルバーウィーク最終日ですが

2009-09-23 21:49:00 | Weblog
 私は会社で仕事でした。まあ静かな環境だったので仕事ははかどりましたが。
 帰宅途中、東京駅で成田エクスプレスをやり過ごしましたが、夜遅い時間にも関わらずかなりの乗車率でした。この連休を海外で過ごした方が多かったんですね。羨ましい。。。

ブラジルでの工場見学(その14) Moto Honda da Amazonia Ltda.(後編)

2009-09-22 08:32:33 | ものづくり・素形材
  Moto Honda da Amazonia Ltda.は敷地面積56万平米、床面積15万3,000平米と広大で、ダイカスト、プレス、成形、溶接、組立までを一貫して行っています。組立工場は操業を2シフト、機械加工、ダイカストは3シフトの勤務ですが、土日は操業を停止して休みにしています。



 同社における生産設備には日本製が多いのですが、100トンクラスの小型プレスマシン、メッキ設備、金型の熱処理炉はブラジル製の設備が使われています。従業員数は6,141人で、うち二輪車組立工場が4,984人、部品製造工場が1,041人、金型部門が116人です。平均年齢は32歳で、女性は少なく6%に過ぎません。工場見学では、従業員が皆きびきびとした動作で作業に専念していたのが印象的でした。同社によると、ブラジル人は、勤勉、器用さで世界でもトップレベルであり、動作の速さ、リズム感の良さ、性格の明るさもあり、高く評価できるとのことでした。



 マナウスでの同社の調達先は19社あり、うち10社が日系企業です。部材金額の約50%はマナウスでの調達で、残りはほとんどサンパウロから調達しています。
 ちなみにサンパウロからの調達といっても、同じ国の他の地方から調達するというイメージとはほど遠いものです。前回の投稿でも述べたように、マナウスはサンパウロまで直線距離で2,700km、大西洋の港町ベレンまで1,300kmもあります。ホンダがサンパウロから調達する部品は、ベレンまで陸送され、ベレンからマナウスまでアマゾン川の水上輸送で運ばれているのですが、この輸送に実に10日間を要するのです。また、ブラジル国内の工業製品の大市場はサンパウロを始めとする南部地方ですから、マナウスで作られた二輪車の多くはこの遥かな道のりを逆に辿って運ばれるのです。
 気が遠くなりそうな非効率な物流条件ですが、前の投稿で述べたような理由により、これがブラジルでは合理的な産業立地なのです。不思議な国です。

※なお上記の内容は2006年1月に同社を訪問したときに伺ったお話を基にしており、現在は 事情が変わっている点があると思います。

鎌倉アルプスを歩いてきました

2009-09-21 21:24:41 | 自然
 あまり天気は優れませんでしたが、鎌倉の代表的なハイキングコースの鎌倉アルプスを息子と一緒に歩いてきました。



 観光客でごった返す円覚寺の前を通り過ぎ、さらにあじさいで有名な明月院を通り過ぎます。ハイキングコース入口まではひたすら舗装道路の上り坂を歩くのですが、この段階で早くも「もうやだ」状態の息子をお菓子やジュースでなだめすかしながら歩きます。



 舗装道路からハイキングコースに入ると不思議と息子のペースが上がります。時々甘えてくるのが困りものですが、岩場もしっかり歩いてくれるので頼もしいです。



 ハイキングの目的地、標高157メートルの大平山の山頂に到着しました。山頂近くの尾根の左側にはゴルフ場が広がっているため正直言って興醒めなのですが、やはり眺めの良い山頂に到着するのは嬉しいものです。今日はあいにくの曇り空でしたが。山頂直下に広がる草原で休憩し、息子としばし仮面ライダーごっこに興じた後、下山することに。



 下山ルートは天園から二階堂川源流の沢筋を下って鎌倉宮に出る道を選んだのですが、なかなか山深い雰囲気が味わえたので良かったです。息子も沢にかかる小さな滝を見て喜んでいました。しかしここは雨が降ったら確実に足元がぬかるんで難儀するコースでしょう。



 ただしこの下山ルートは舗装道路に出てから鎌倉駅までの道のりがやや長いのが難点です。息子は鎌倉宮近くでバス停を見つけると動かなくなり、仕方なくここから鎌倉駅までバスに乗って帰りました。それでも4歳の子供が歩行距離にして5km近い山道をしっかり歩いたのですから、結構頑張ったかな。

ブラジルでの工場見学(その13) Moto Honda da Amazonia Ltda.(前編)

2009-09-21 08:24:43 | ものづくり・素形材
 ホンダの二輪事業のブラジル進出は1968年にさかのぼります。当時二輪車がほとんど普及していなかったブラジルでは、輸入税105%という厳しい輸入規制の壁があったのですが、ホンダは販売台数を伸ばし続け、1971年には現地法人Honda Motors do Brasilを設立、さらに1975年にマナウスにMoto Honda da Amazonia Ltda.を設立、翌1976年から現地生産を開始しています。
 当初順調に増加し続けた現地生産は、80年代後半から90年代初頭までのブラジル経済の混乱期には業績不振が続き、一時は同社の閉鎖も検討されたのですが、ホンダはリストラを敢行したものの生産設備は維持し続けました。このため、その後のブラジル経済の再生と二輪車市場の復活に対し、ホンダは即座に対応することが出来、ライバルメーカーを大きく引き離す契機となったのです。

 現在、ブラジルの二輪車市場は、ほぼホンダとヤマハの2社によって占められていますが、中でもブラジル市場の先駆者であるホンダは圧倒的な地位を確立しており、そのシェアは2005年で81.6%(二輪自工会)に達します。さらに、ホンダは2006年からアルゼンチンに二輪車工場を設立しましたが、部品はマナウスの同社から供給することが予定されている(注:2006年の取材当時)など、マナウスにおけるホンダの二輪車事業はさらに拡大を続けていくことが見込まれています。
 こうしたホンダの二輪車事業の成功と、故アイルトン・セナのF1レースでの輝かしい戦跡によってブラジルにおいて確立された「ホンダ」ブランドの抜群の知名度は、90年代末から本格化したブラジルにおけるホンダの四輪車事業の拡大に大きく貢献しています。


 工場の入り口と事務棟の玄関です。


 社長室に飾ってあったアマゾンの巨大魚「ピラルクー」の剥製です。本当に大きいです。ちなみに私は現地でこれを刺身で食べましたが、巨大な姿からは想像も付かない上品な味でした。(続く)

※なお上記の内容は2006年1月に同社を訪問したときに伺ったお話を基にしており、現在は 事情が変わっている点があると思います。

学園祭の季節(その2)

2009-09-20 21:34:48 | Weblog
 近所の公立中学校の文化祭に行ってきました。



 中学校の文化祭では、衛生上の観点から食べ物系の模擬店の出店はかなり制限されていることが多いようです。しかしこちらの公立中学校の文化祭は、「研究発表」のような文化的な出し物や「迷路」などのありがちな出し物よりも、食べ物系のお店ばかりが目立つお祭りでした。とはいえ、それはそれでお祭りらしい雰囲気が大いに出ていて、私と子供は楽しませていただきました。



 食べ物系の出し物のポスターの一部です。公立中学校の文化祭で「いか焼き」を出すところはそうめったにないでしょうね。



 「フランクフルト」の綴りがちょっとアレですがまあご愛嬌。「わたがし」のポスターに登場しているキャラクターは「初音ミク」かしら?

ブラジルでの工場見学(その12) アマゾンの工業都市・マナウスの不思議

2009-09-20 21:05:07 | ものづくり・素形材
 アマゾン河流域に広がるジャングルはあまりに広大で、「緑の魔境」という言葉もあるぐらいです。そんなアマゾンのど真ん中に、マナウスという人口約150万人の大都市があります(地図はこちら)。アマゾン河の水運の重要な拠点で、かつて19世紀に天然ゴムの生産をアマゾンが独占していた時代に大いに繁栄したという歴史を有します。天然ゴムの生産は東南アジアでも行われるようになり、さらに石油化学によって合成ゴムが作られるようになるとマナウスの経済は一気に衰えていったのですが、20世紀中盤にこの都市の工業に優遇税制が適用されたことから工業化が急速に進み、現在ではブラジルを代表する工業都市の1つとなっています。


 ホテルの窓から撮影したマナウスの町並みです。

 しかしマナウスは、ブラジルの大市場であり部材供給基地でもあるサンパウロまで直線距離で2,700km、大西洋の港町ベレンまで1,300kmという、物流面で極めて不利な場所にある都市です。そんな辺鄙な都市だとたかが優遇税制を適用したところでとても産業が立地するとは思えない、というのが日本人の常識だと思いますが、ブラジルではそうではないのです。税制が複雑でかつ税率が高いブラジルの中にあって、マナウスでの大幅な減税措置は企業にとって大変な魅力なのです。しかも、一昔前のブラジル政府は極端な国内産業を保護する政策を敷いていて、輸入品に対して高い税率を課していたのですが、マナウスだけは自由な貿易が許されたのです。このため、部品を輸入してブラジルで加工組立型のものづくりをしようという多くの外資系企業がマナウスを目指したのです。
 このブラジル政府の政策は、産業誘致の大成功事例として数える学者もいるそうですが、なんのことはない、あまりにもブラジル政府の国内産業保護政策がきつすぎて、輸入部品に大きく依存する業種の外資系企業はマナウスにしか進出する余地がなかっただけの話です。


 町の中を歩いてみました。

 現在、マナウスにはブラジルにおける二輪車産業の生産能力の9割以上が集中しています。また、電機産業の状況も二輪車に近いものがあります。マナウスの中心市街地に近い工業団地には、二輪車関連メーカーと共に、松下電器、ソニー、サムスン、LG、そしてEMSのジェイビルサーキット、フォックスコーン、フレクストロニクスなどの工場がずらりと立ち並んでいます。日本人の感覚では秘境そのものの大アマゾンのど真ん中に、世界を代表する大メーカーの工場が立ち並んでいる様は壮観です。


 市街地から郊外の工業団地に向かいます。


 有名メーカーの工場がたくさんあります。

 なお、マナウスの工業団地では、外界から半ば隔絶された特殊な立地条件もあって外資系企業同士で助け合う伝統が根付いている、という話を現地で聞きました。
 かつて日系エレクトロニクスメーカーが、ホンダの二輪車工場の成形機を借りてテレビの筐体を生産したことがあったのだそうです。逆に、プレス機械の故障で部品生産に支障を来したホンダが、韓国の家電メーカーのプレス機械を借りることによって部品生産を続けたこともあったそうです。このように業種や国籍を超えて外資系企業が助け合うという例は、他所ではなかなかありえないでしょう。

 こんな世界でも稀な、不思議な工業都市・マナウスに進出している日系企業の姿を、次回以降紹介したいと思います。

※なお上記の内容は2006年1月に訪問したときに伺ったお話を基にしており、現在は 事情が変わっている点があると思います。