歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

戦艦三笠とチェコの機械工業

2006-10-18 23:25:49 | 海外ものづくり事情
今年は日本が日露戦争に勝利してから101年になります。アジアの小国が欧米列強のロシアに勝利したということは、世界史でも特筆すべき歴史的事件だと思います。日本海海戦で、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を完全に打ち破ったことが、日本の勝利を決めたということはあまりにも有名な話ですよね。この時、旗艦として連合艦隊を率いた戦艦三笠の姿は、今も横須賀で見ることができます。

さて、私は思わぬところでこの三笠の話を聞きました。

チェコにプルゼニという町があります。ドイツ風に発音するとピルゼンというこの町は、まずはビールで有名です。ピルスナーというビールの種類がありますが、もともとはこのプルゼニが発祥の地です。最近では外資系企業も多く進出しており、日系では松下電器がフラット型テレビを生産しています。なぜ松下電器がこの町に進出したのか、同社のプルゼ二工場で話をうかがったところ、1つはドイツとの国境に近いという地理的な優位性、もう1つの理由はこの町は伝統的に機械工業が盛んで、優秀なエンジニア、労働者を確保しやすい、ということでした。

プルゼニを機械工業の町たらしめたのは、チェコを代表する機械メーカーのシュコダの存在が大きいです。チェコがオーストリア・ハンガリー帝国に支配されていた時代、プルゼ二のシュコダは鉄道車両や発電機、武器などを生産する、欧州を代表する総合機械メー力ーでした。その後、ナチによる接収、共産主義政権による国営化を経験しますが、戦後は自動車の生産が増加し、自動車部門は東側を代表する自動車メー力ーとなります。シュコダの自動車工場はプルゼニから離れた、ムラダ・ボレスラフという町にあり、現在はVWの傘下の下で小型乗用車を生産しています。一方、プルゼ二のシュコダ本社は、町の中心にある広大な工場で機械生産を続けていますが、この町を私が訪問した2年前は、工場の周りの雰囲気はいかにも寂れており、共産主義の失敗を実感させるものでした。

アポがなかったので残念ながらシュコダへの企業訪問はできません。残念だな、と思っていると工場の隣に”Skoda Museum”という看板がかかった建物を発見、入ってみることにしました。
狭い館内には、展示品と説明パネルが飾られていますが、そもそも外国人が訪れることは想定していないのか、説明文のほとんどはチェコ語でさっぱりわかりません。しかし写真からシュコダの栄光の歴史を感じることができました。ボンヤリと展示を眺めていると、年老いた学芸員が英語で「日本人か?」と話しかけてきました。そうだ、と応えると、「そうか。日本人だったらガンシップ・ミ力サを知っているだろう。ミ力サの部品はここシュコダで作られたのだ。」と彼は言いました。
これは驚きでした。戦艦三笠の話をまさかチェコで聞くとは思ってもみませんでした。しかし、帰国してからネットで三笠のことを調べても、イギリスのヴィッカース社で製造された、とあるだけで、シュコダのことは全く記載がありません。彼の言葉は本当なのかな、と思いましたが、月日が立つうちにそのことは忘れてしまいました。

       シュコダ博物館の入口
       
       壁の一部が崩れ落ちています。

       博物館の内部
       
       シュコダの栄光の歴史を伝えています。

しかしその後、私は意外なところでシュコダの話を聞き、シュコダ博物館の老学芸員の言葉はやはり正しかった、と確信しました。
今年の夏、私は神戸の岡本鉄工という自由鍛造メー力ーを訪問しました。同社は船舶用工ンジンの部品を主に製造しています。真っ赤に熱せられた巨大な鋼塊が、飴細工のように製品として加工されていく自由鍛造の製造現場は迫力があり、見学の価値は大きいものでした。
工場見学を終えて、社長の岡本さんに話をうかがうと、最近は外国勢との競争が厳しい、とのことでしたので、やはり中国か、と思っていたら、彼がライバルの望頭に挙げたのは意外にも東欧でした。そうです。シュコダです。低コストを武器に、シュコダは韓国メー力ーと並んで船舶用エンジンの分野で日本の自由鍛造メー力ーを脅かしているというのです。
戦艦三笠が建造された時代は、シュコダは絶頂期にありました。イギリスの造船メー力ーが外注に出していたとしても全く不思議ではありません。100年の歴史を経て、再びシュコダは日本にとって身近になったのだな(日本の自由鍛造メーカーにとっては大変ですが)、とプルゼ二の町を思い出しながら、不思議な感慨を覚えたのでした。