歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

戸矢 理衣奈 「エルメス」 (新潮新書)

2010-06-30 23:55:47 | 読書
 戸矢 理衣奈 「エルメス」 (新潮新書) を読みました。エルメスに関する様々なエピソードを紹介している本書は、(私にはその機会は少ないですが)エルメスを支持する若い女性たちとの会話に役立つという実用性に優れているだけではありません。

 私は高級ブランドというものに全く無縁であるため、そもそもエルメスがブランドの中でも「別格」の存在であることを初めて知りました。定番のバッグは70万円、しかも入荷するまで5年も待たされるにもかかわらず、日本人の若い女性たちから圧倒的な支持を受けているとのこと。有名ブランドに群る日本人女性たちの姿は正直理解しがたいものがありましたし、そんな彼女たちからしこたま儲ける欧州の有名ブランドにはあまり良い印象を持っていませんでしたが、本書を読んで高級ブランドに対する考えを改めようと思いました。

 約170年前に馬具工房として創業したエルメスは、馬具製造の伝統を活かした飽きのこないデザインと耐久性に優れたバッグや皮製の小物などで、世界の富裕層(と日本人女性)から圧倒的な支持を得ています。エルメスが他のブランドと一線を画しているのは、「イメージ」「品質」「希少性」を堅持するために、安易なライセンス生産や広告宣伝に走らず、また職人技に徹底的にこだわりデザインや広報活動にも高尚な芸術性を追求している点であるそうです。
 注目したいのは、エルメスが異文化の職人の伝統技術の保護、そして革新を促すことにも熱心であることです。エルメスは日本についても優れた職人技を生み出す国として位置づけ、新たな作品作りのためのコラボレーション先として重視しています。

(以下引用)
 有名外国人デザイナーの作品の一部を製作したという伝統工芸作家は、それを非常に貴重な経験として記憶している。「我々でも似たようなものを作ることができるが、どこかが違う。野暮ったくなる。第一線に立つ外国人デザイナーの無駄を削ぎ落とした、極め尽くしたようなデザインには圧倒される」という。
 また日本人デザイナーであればある程度、技術の限界を考えて注文するところを、外国人はそうしたことを考慮せずにどんどん要求してくる。要請に応えようと努力することによって、技術面での進歩も大きかったという。
(中略)
 「日本では伝統は過去の継承になっている。一方、われわれは伝統に新しい要素を常に取り込み、揺さぶり続けてきた。そこが違う。京都にはエルメスに力を与えてくれるエネルギーの源があるが、日本はそれを生かしていない。われわれはどの国をイメージする時も、消化吸収してエルメスの世界に溶け込ませ伝統と新しさを溶け合わせてきた」
(引用終わり)


 日本には世界に誇る繊細な文化と優れた工芸の技があります。老舗も多く、エルメスのような170年ほどの歴史を持つ会社は山ほどあります。にもかかわらず、日本がエルメスのような高級ブランドを生み出すことができなかったのはなぜなのでしょう。フランスの高級ブランドが日本の優れた伝統工芸の技を見出し革新を促しているというのは、日本人として残念に思います。
 昨今では「感性価値」というものが産業政策の柱の一つを構成し、「ソフトパワー」「クールジャパン」が日本外交の切り札として位置付けられようとしています。これからの日本の行く末にとって「文化力」というものがますます重要になっているわけですが、著者も述べているように、「文化力」について考える上でその成功者であるエルメスの歴史と活動は大いに参考となるでしょう。ものづくりと文化というものを考える上で、本書は非常に役立つものと考えます。

パラグアイという国

2010-06-29 23:53:36 | Weblog
 どうも近所のあちこちでワールドカップの日本-パラグアイ戦をテレビで観戦しているようで、日本のチャンスのときなどにわっと歓声が外からも聞こえます。ものすごい視聴率を上げそうですね。
 今回の対戦相手のパラグアイという国は、ブラジルとアルゼンチンという大国に挟まれた小国ですが、中南米の中でも際立って壮絶な歴史を持つ点で興味深く、また大変な親日国でもあります。個人的にはパラグアイといえばアルパという楽器が気になります。私の好きな歌手(声優でもある)の水樹奈々の「深愛」という曲で使われているハープのような楽器なのですが、これが中南米の民族楽器であり特にパラグアイで演奏が盛んなのだとか。
 まあ勝っても負けても、今回の対戦をきっかけにパラグアイに対する日本人の注目度が上がるといいな、と思います。


パラグアイ(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4
パラグアイ:「超」親日国という知られざる一面
http://blogs.itmedia.co.jp/shiro/2010/06/post-287f.html
アルパ(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91
水樹奈々「深愛」
http://www.youtube.com/watch?v=ePVJdev77Gw&feature=PlayList&p=9EE88A98317151E4&playnext_from=PL&playnext=1&index=20

漆田 公一「ゴルゴ13の仕事術―究極のビジネスマン」(祥伝社黄金文庫)

2010-06-28 23:45:56 | 読書
 私が人気漫画「ゴルゴ13シリーズ」を読み始めたのは、浪人時代に予備校の地理の講師から「国際情勢を学ぶ上で役に立つから読め」と勧められたことがきっかけです。確かに、超大国として見られていたソビエトが実は経済がガタガタで軍事技術も米国に大幅に遅れをとっていた、など、当時の受験生がなかなか知りえないことを「ゴルゴ」を読むことで知識を得ることができましたし、国際情勢にも関心を持つようになったことは事実です。
 しかし、国際情勢やその背景となる現代史のことなどをそれなりに知るようになった今となっては、「ゴルゴ」のストーリーの設定にはかなり無理があると思わざるを得ず、今の受験生に対して私は正直あまりお勧めできません。とはいえ、大人のエンターテイメントとしては非常に面白い作品であることは疑いなく、今でも私は「ゴルゴ」は見かけたら手にとって読んでしまう漫画です。

 何しろ長寿の人気漫画ですから「ゴルゴ」を題材にした本は多く見られます。その1つである漆田 公一「ゴルゴ13の仕事術―究極のビジネスマン」(祥伝社黄金文庫) を読んでみました。

(以下引用)
キミは職場でゴルゴたりうるか!?
誰にでもゴルゴのようなパーフェクトな仕事ができるものではない。ゴルゴはあくまでフィクションであるから、現実には存在するはずのない人間なのだが、そしてまた、真似ようと思っても決して真似することなど不可能なことなのだが、それでも、彼の思想と行動、理念と実践、哲学と生きざまは、異様なまでの迫力をもって私たちに迫ってくる。
何がしかの危機感とささやかな志を持つビジネスマンなら、「究極の仕事人」であるゴルゴの「最強の仕事術」を学ぶことは、必ずしも無駄なことではないはずだ。
(引用終わり)


 ビジネスマンも組織に頼らずプロ意識を持つべきであるのは確かですし、ゴルゴ13ことデューク東郷氏の仕事に対する姿勢はプロフェショナルの鑑といってよいでしょう。が、ゴルゴのように「依頼人とは二度会わない」とか「握手という習慣を好まない」とか、まして「背後に立った相手に対して反射的に強烈なパンチを浴びせる」とか、普通のビジネスマンは真似してはいけませんよね(当たり前)。
 しかし、ゴルゴのエピソードを様々なビジネスのシーンに結びつける(というかこじつける)本書の手法は割と面白く、ゴルゴファンのビジネスマンにとっては楽しむことができると思います。本書はビジネス書ではなく、娯楽書として(ゴルゴファンに対して)お勧めします。

純丘 曜彰「きらめく映像ビジネス!」 (集英社新書)

2010-06-27 21:30:15 | 読書
 純丘 曜彰「きらめく映像ビジネス!」 (集英社新書)を読みました。

(以下引用)
 映画作品やテレビ番組の作られ方をエンターテイメントビジネスとして考え、看板作品や人気ドラマ、評判CMから、アニメ、ポルノ、天気予報、料理番組、テレビショッピング、ビデオクリップまで、きらめく多様な映像ビジネスの魅力と内情をスミからスミまであますところなく網羅して解説した画期的な入門書。これをちょっと読むだけで、明日から映画やテレビがさらに百万倍もおもしろくなる!はず?かも。とにかく、とってもお得な一冊です。
(引用終わり)


 映像ビジネスの入門書としてこれは確かにお得な一冊です。例えば、映像コンテンツの「製作」と「制作」の違いを私は意識していませんでしたが、映画が映像作品の「製作(プロデュース)」であるのに対し、テレビは放送時間枠の「制作(コントロール)」である、として用語が区別されるということを、本書を読んで初めて知りました。

 本書で繰り返し強調されるのは、映像ビジネスには制作現場から資金調達、営業など、実に様々な人々の協力を必要とするチームプレイである、ということです。しかし、YouTubeやニコニコ動画に投稿される個人の自作動画が、映像ビジネスにとって深刻な脅威となることは本書では全く予見されていません。本書が出版された当時(2004年)、まだこれらの動画投稿サービスは登場していなかったので仕方がないとは思うのですが、しかし映像ビジネスに携わる人間には、まさか映像を消費する立場にあった素人たちが作る作品群が、プロ集団のチームプレイによる映画やテレビ番組を脅かすとは想像もつかなかったのではないでしょうか。
 動画投稿サイトにアップされる動画には「才能の無駄遣い」としか思えないような作品も見られますが、実態としてはそのクオリティは玉石混合というよりも「石」だらけといってよいでしょう。映画やテレビ番組などの違法コピーは明らかに映像ビジネスにとって脅威ですが、プロが作った映画やテレビ番組に比べると「石」の水準でしかない素人による他愛ないホームビデオの類も映像ビジネスにとって脅威となっていると思います。確かに映像の質としては「石」のレベルではありますが、視聴者にとって興味のあるジャンルの作品であればそこそこ鑑賞に堪えるものは少なくありません。そして何より、誰もが1日には24時間しか持たない中で、消費者がコンテンツを視聴する時間をそうした素人の映像作品に少なからず奪われてしまうことは、映像のプロ集団にとって困ったことであるに違いありません。

 動画のみならずブログのテキストなど消費者が自ら生成したメディアをCGM(Consumer Generated Media)と呼びますが、映像ビジネスはこのCGMとどのように対抗していくのか、あるいは共存していこうとしているのか、私は関心があります。

秋葉原散策、iPadのことなど

2010-06-26 23:04:55 | 日常
 埼玉で用事があり、その帰りに秋葉原に立ち寄ってきました。大変な人ごみでした。

 家電量販店でiPhone4とiPadを触ってきたのですが、かなりの人だかりで順番待ちでちょっと待たされました。触ってみた感想としては「それほど大騒ぎするほどのものかな」というものです。高精細な液晶画面を備えたiPhone4は確かに写真の表示は美しいのですが、私の感覚では早く3GSから買い換えたい思うほどではありません。そしてiPadも、ノートパソコンに比べて入力がやりにくいですし、iPhoneのように気軽にwebやアプリケーションを楽しむためのデバイスにしてはでかいので、なんだか「帯に短し襷に長し」な製品のように思われました。


 中央通りにて共産党が消費税増税反対の街頭演説をしてました。線路を挟んだ反対側のヨドバシカメラ前では民主党の街宣車を見かけました。そういえば参議院選挙が近いんですね。萌え系の看板が立ち並び、メイドさんや外国人観光客たちが行き交い、そして政党が参議院選挙での支持を訴える。この混沌とした秋葉原の雰囲気はなんとも魅力的です。


 「週刊アスキー 秋葉原限定版」を家電量販店で無料で配っていたので一部頂きました。表紙は人気ゲームソフト「ラブプラス」の「姉ヶ崎寧々」。一人で複数部持っていく若い紳士が見受けられました。観賞用、保管用、そして布教用かしら?

 明日は雨が降らなければ外で遊ぶ予定です。

ロシアパン

2010-06-25 21:24:14 | Weblog
夕方、空腹感に襲われてコンビニで買ったのがこれ。ロシアのパンといえば黒パンだと思うのですが、この「ロシアパン」はとにかく安くて大きいだけが取り柄のパンです。それもまたロシアらしいといえば確かにロシアらしいかもしれません。

森 博嗣 「創るセンス 工作の思考」(集英社新書)

2010-06-25 01:36:20 | 読書
 森 博嗣 「創るセンス 工作の思考」(集英社新書)を読みました。大変面白かったです。
 本書は、木村英紀 「ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる」 (日経プレミアシリーズ) と読み比べてみることをお薦めします。森氏も木村氏も大学の研究者としてのキャリアを有する工学博士で、両者共に日本のものづくりが抱える課題について事例を挙げながら指摘をしているのですが、その視点は全く異なり、示す方向性も正反対です。しかし、どちらも日本のものづくりに対して重要なメッセージを発していることは間違いありません。

制御工学の大家である木村氏は、「ものつくり敗戦」において第二次大戦での失敗例を引きながら、「技」や「匠」を過度に重視することの危険性、そして「理論」、「システム」、「ソフトウェア」の持つ重要性を指摘しています(同書についてはかつてこのブログでも書きました。こちらをご覧ください)。これに対し、かつては工作少年で、現在でも自宅に旋盤やフライス盤を備えて、趣味で模型飛行機を作って飛ばしたり庭に自作の「庭園鉄道」を走らせる森氏は、木村氏とは逆にものづくりのセンスの重要性を強調します。

 本書を読むと、昔の小学生の工作のレベルの高さに驚かされ、そして現在のエンジニアたちが工作の能力とセンスを失っていることを思い知らされます。「それまで伝統的な「工芸」であったものを、「工学」として、教えることができるもの、伝えることができるものなっていった」、しかも「あっという間に技術分野が広まり、知識の量が爆発的に増加したので、どうしても知識入力が大部分にならざるをえなかった」、このため「数字や文字に展開されたデジタルのデータだけで、もの作りをしなければならなくなった」、このため、それは仕方が無いことなのかもしれない、と自らも工学を大学で教える立場にあった森氏は認識する一方で、モジュール化されたユニットを組み合わせるのが本当の技術なのか、それでは次世代のものを作り出す原動力が生まれない、と指摘します。

 「どんな物体であっても、計算どおりにものが出来上がることは奇跡だと言ってよい」のであり、「技術というのは、自然のばらつきを知ることであって、人間や生物を扱うことと全く同じ」、「このばらつきを知るには、作る事の繰り返し、試行錯誤からわかってくる」という著者のメッセージは、自らものを作ることから遠ざかって久しい私にとって新鮮に感じられました。また、現代の若者の多くが「やりたいことがない」ことに悩んでいる背景として、著者は工作の経験の乏しさを指摘しますが、これも非常に印象に残りました。日本社会が再び活力を取り戻すには、工作を復活させることが必要ではないでしょうか。

(以下引用)
 工作から学ぶことは、いろいろなことに広く活かすことができる。ほかのものを作るときにはもちろん応用できる。社会にだって活かすことができる。そして、それ以前に、自分に活かすことができるのだ。
 自分の人生が、つまりは毎日の工作と同じだ、と気づくことになるだろう。だから、工作のセンスは、そのまま「生きるセンス」にもなる。
 このように考えると、現代の若者が見失いがちなものが、だんだんと見えてくるのではないだろうか。作らない世代は、生きるセンスを持っていない世代だともいえる。あらゆる「既成の楽しさ」に囲まれて育ってきたゆえに、「与えられた楽しさ」に手一杯で、自分の楽しさを、自分の新しさを、作ることができない。それがやりにくい環境が現代社会なのだ。
(引用終わり)


 ちなみに著者の森博嗣氏は、建築構造材料の研究者であり、押井守監督によってアニメ化されて話題になった「スカイ・クロラ」シリーズで有名な作家でもあります。本書では「メーカ」、「デザイナ」など、いかにも理系の人らしい表記が目立ちますが、プロの作家であるだけに読者を惹き付け一気に読ませます。「スカイ・クロラ」も読んでみたくなりました。

ブラジル経済の本2冊を読みました

2010-06-20 22:36:50 | 読書
 二宮康史「ブラジル経済の基礎知識」(JETRO、2007/12)鈴木孝憲「ブラジル 巨大経済の真実」(日本経済新聞社、2008/06)の2冊を読みました。二宮氏はJETRO職員としてサンパウロに赴任していた経験を持ち、鈴木氏はブラジル東京銀行の元頭取で現在はブラジルでコンサルタントとして活躍されている方なので、両氏共にブラジル経済を見る目は確かであることは疑いありません。

 
 「ブラジル経済の基礎知識」はデータが豊富に盛り込まれ、資料として「使える」内容になっています。ただし、ブラジル経済の問題点の指摘については同書はやや弱いように感じます。JETRO(日本貿易振興機構)という、投資や貿易振興を目的とした機関の職員である著者としては、ブラジルの負の側面を突っ込んで言及することはやりにくかったのかもしれません。
 一方、「ブラジル 巨大経済の真実」は、前半は”いかにブラジルが経済パートナーとして魅力的か”という著者の主張が目立ちますが、バランスを取るかのように後半でしっかりブラジル経済の問題点(低い成長率、税金、財政、高金利、過大評価の為替レート)について1章を割いてわかりやすく説明しています。

 どちらも最近出たブラジル経済の概説本ではお勧めできる内容です。これからブラジル経済を学ぶ方は両方を読んでみてはどうでしょうか。

2010年初めての海水浴

2010-06-19 23:25:54 | Weblog



 息子のリクエストにより、本日の遊び場は海になりました。まだちょっと水は冷たいので私は全身が濡れてしまうのは躊躇してしまうのですが、息子はお構いなしに波打ち際で水と戯れていました。波が荒かったのですが、かえって彼は面白がっていたようでした。子どもって本当に元気です。

「はやぶさ」地球帰還とものづくりの擬人化

2010-06-15 01:07:32 | ものづくり・素形材
 小惑星探査機「はやぶさ」が数々の困難を乗り越えながら任務を遂行し、自らは大気圏に突入する中で燃え尽きたものの、小惑星の試料を納めた可能性がある内蔵カプセルは無事に回収されたようです。「はやぶさ」の成功は、日本の技術のレベルの高さと研究者と技術者たちの並々ならぬ情熱を世界に知らしめた偉業であり、宇宙に対する夢を国民に与えたという意味でも日本の科学史上特筆すべきことだと思います。
 なお、「はやぶさ」の活躍は多くの天文ファンたちから注目されただけでなく、初めてのおつかいに出された女の子「はやぶさタン」として擬人化され、サブカルチャーの世界の人々からも注目されていたようです。擬人化されたイラストやフィギュアなどは、本物の「はやぶさ」とは似ても似つかない可憐な美少女そのものです(たとえばこれ)。しかし、これらについてはモノを擬人化する我が国の伝統を考えれば特段不思議なことではありません。

(以下引用)
 どのような職業であれ,仕事で使う道具には思い入れがあるもの。以前のブログでも書いたが,宮大工の巨匠・西岡常一氏(1908~1995)の槍鉋(やりがんな)は,今すぐに使えそうなほど手入れが行き届いている。筆者が教わった和裁の先生は,裁ちばさみに敬称を付けて「長太郎さん」(「長太郎」は,日本橋の刃物の老舗・木屋の製品名)と呼んでいた。自分で作ったものに関してはなおさらだろう。取材で,製品や技術に対して「こいつ」「この人」という呼称を使う方に出会うことがある。そうした人々にとって丹精込めて造った製品や技術は,もはや「モノ」ではないのだなと思う。
(引用終わり)

出所:「人がモノを擬人化するとき,それらはどのような人格を持つか」(日経ものづくり雑誌ブログ)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20080331/149758/

 JAXAのスタッフの方々のメッセージを見ても、彼らは「はやぶさ」を擬人化し、単なる探査機とは考えてなかったことが伺えます(こちら)。「はやぶさ」は内蔵カプセルを地球に向けて放出した後、大気圏突入の直前に地球の姿を写真撮影していますが、これは「もう一度地球を見せてあげたい」という研究者の「はやぶさ」への思いやりだった(こちら)ということを知り、ちょっと胸が熱くなりました。世界に類を見ない日本の丁寧なものづくりは、モノを単なるモノと見ないで擬人化する日本人の優しさ、感性があるからこそではないでしょうか。

 ところで、今回の「はやぶさ」の帰還について早速擬人化してマンガにした方がいます(こちら)。これは・・・じーんときました。はやぶさタン、本当にご苦労様でした。