歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

辻井製作所株式会社を訪問しました

2011-01-30 14:45:33 | ものづくり・素形材
 先週金曜日、川口にある鋳物メーカーの辻井製作所株式会社を訪問しました。

 
 辻井製作所が生産しているのは主に産業機械向けの大型の鋳物です。多品種少量生産されるこれらの鋳物を作る上では、ベテランの熟練技能が不可欠であるかのように思われますが、そんな先入観を同社は見事に裏切ってくれます。同社では作業工程の標準化とIT化が進められており、出来る限り勘やコツなどは必要とされない工場を実現しているのです。

 
 溶解の模様です。鋳造作業に必要な溶解作業の成分調整は専用システムで自動計算されます。現場の作業員はその指示に従いながら材料を炉に投入するだけで、求められている製品の湯を用意することが出来るようになっています。


 最新の設備の導入も進んでいます。例えば型バラシには業界の中でもトヨタ自動車よりも早くマニピュレーターを導入し、作業環境の改善を図っています。

 
 作業工程の標準化とIT化が進められた結果、ベテランの方々が不要になっているかというと全く正反対で、辻井製作所では多くのシニアの方々が若い従業員と一緒に働いています。同社では一応定年はあっても本人が気力、体力の限界を感じて自ら引退を口にするまで再雇用し続けており、勤続年数が65年以上に及ぶ大ベテランの方もいます。写真右の鋳型の調整とセットを担当している方はなんと82歳、大変お元気です。

 高齢者の活用についてお話を聞いたところ、高齢者には若い世代と一緒に働く中で生き甲斐と働く喜びを感じてもらいたいとのことでした。実際、高齢者の方々は自分の孫のような若い従業員と一緒に働くことを楽しんでおり、若い従業員たちも年齢が離れていることからかえって高齢の先輩たちに対して気軽に色々と相談できるようで、高齢者と若者の双方にとって楽しい職場になっていることがうかがえました。
 高齢の従業員を厄介者扱いする企業は少なくありませんが、辻井製作所のように高齢者と若者が共に働くことのメリットも少し考えたほうが良いように思います。

川口元郷駅の鋳物プレート

2011-01-28 22:32:41 | Weblog
鋳物の町・川口に出向いてきました。
地下鉄南北線の川口元郷駅にて、鋳物で作られたプレートが地下通路の壁面に飾られているのが目に止まりました。昔の鋳物作りの様々な工程を紹介しています。

市役所、商工会議所など様が地元の鋳造産業を支援してくれるので有難い、と川口の鋳物屋さんはおっしゃいましたが、それでも今では操業しているところは50軒ぐらいしかないのではないか、とのことでした。しかし現在川口で生き残っている鋳物屋さんは、皆それぞれ特徴があり体力があるところのようです。厳しい経営環境が続く中、彼らはどのような事業展開をしていくのか、期待を込めて見守りたいと思います。

先斗町を歩いてきました

2011-01-27 20:26:54 | Weblog
昨日は名古屋、今日は京都に出張しました。
京都は社会人になってから何度か訪れましたが、全て出張による訪問でまともに観光をしたことがありません。今回は四条で阪急から京阪電鉄への乗り換えがあり、その際に祇園界隈を少しだけ歩いてみました。
興味深かったのは先斗町(ぽんとちょう)です。先という字を「ぽん」と読ませる地名は他にあるのでしょうか。先斗という地名の語源はポルトガル語のponto(「先」の意)にあるという説があるらしいです。地名の由来も興味深いですね。

知立駅の「弘法山遍照院遥拝所」

2011-01-26 18:57:58 | Weblog
 出張で愛知県刈谷市を訪れました。刈谷市そして隣の知立市はトヨタ系企業が多く立地するものづくりの町ですが、訪問先企業の最寄り駅である名鉄知立駅の下りホームで珍しいものを見かけました。
 「弘法山遍照院遥拝所」です。駅のホームに寺院の遥拝所が設置されているというのは全国的にも珍しいのではないでしょうか。ちゃんとお賽銭箱も用意されており、実際に参拝されている方も結構いらっしゃいました。
 弘法山遍照院は知立駅から徒歩20分ほどのところにある真言宗豊山派の寺院で、多くの参拝客で賑わうとのこと。刈谷、知立にはこんな名所もあるんですね。
 

ブラジルのお菓子は美味!

2011-01-24 19:56:44 | Weblog
 以前から取り上げようとしていたのですが、すっかり忘れていたネタを取り上げます。

 上流階級の人々が召し上がるような、高価なお菓子は世界のどこでもそこそこ美味しいのは当たり前でしょう。問題はスーパーや雑貨店などで売られている一般庶民が食べるようなお菓子です。
 欧米のお菓子は色彩がどぎつかったり、強烈に甘かったりでやはり美味しいとは感じません。中国、東南アジアのお菓子も美味しくありません。中国のスナック菓子には、高級イメージを持たせるためなのか日本語が表記されているものが多く、これが思わず笑ってしまうような無茶苦茶な日本語であることがしばしばなので、中国出張の際には面白がって会社や家族へのお土産に何度か買い求めましたが、味の方はひどいもので、同僚、家族からの評判は芳しいものではありません。
 味覚については人それぞれですから、上記は私の独断と偏見に基づく意見に過ぎないのですが、やはりお菓子については、日本のレベルが世界でも群を抜いているのではないか。。。と思っていたのですが、ブラジルのお菓子を食べてその考えを改めることにしました。ブラジルのお菓子は美味です。これは絶対に間違いありません。


 昨年ブラジルを出張した際、南部の町ポルトアレグレのスーパーで買い求めたお菓子です。左上は既に中身を食べ終えた残骸です(笑)


こちらはPaçoca Rolhaという、どうやらピーナッツを原材料にしたお菓子のようです。砂糖不使用(sem acucares)と標記されています。右は食べかけの残骸です。形状はワインのコルク栓のような感じ。外観はあまりよくありませんが、きな粉を固めたような食感で、程よい甘さが癖になります。

 
 こちらはPé de Molequeというお菓子とRapadura Especialというお菓子です。外観ではっきりわかるように、両者ともにピーナッツを蜂蜜かなにかで固めたシンプルなお菓子です。外観は駄菓子といった風情ですが、上品な甘さ、そしてピーナッツ本来の豊かな風味が口の中いっぱいに広がります。実に美味です。


 こちらはMandolate Caseiroという、やはりピーナッツをおそらくココナッツミルクで固めたお菓子です。想像していたよりも甘さは控えめでした。


 こちらはTamarasという、お菓子ではなくドライフルーツです。こちらは強烈に甘かったです。しかし甘味料は一切使っていないとのことで、もともとが甘い果物なのでしょう。味と食感は強烈に甘い干し柿、といった感じ。

 総じてブラジルのお菓子の外観、パッケージに対する配慮は正直言ってイマイチで、ぱっと見た感じではあまり美味しそうには見えませんが、召し上がるチャンスがあれば是非口にしてみてもらいたいですね。ブラジルのお菓子がなぜ美味しいのか、その理由としては、人口甘味料や着色料は使用せずに素材本来の風味を生かしたシンプルなものであること、そしてブラジルが豊かな農業国であり素材そのものの品質が高いことではないかと思います。手の込んだ製法により美味を追求した日本のお菓子とは対極的な存在ともいえますが、その味の水準の高さは日本のお菓子と十分に肩を並べる存在であるように私は感じます。

燕市の磨き屋一番館を訪問しました

2011-01-23 19:48:05 | ものづくり・素形材
 燕市と三条市に出張した際、燕市の燕市磨き屋一番館を訪問しました。ここでも大変印象的なお話をうかがうことができました。
 少し前になりますが、AppleのiPod nanoの鏡面加工は燕市でしかできない、ということで、燕市の磨き屋さんが総出で鏡面加工を請け負ったことはマスコミでも広く報じられましたね。こうした燕市に伝わる高い研磨技術の後継者を育てているのが燕市磨き屋一番館です。

(以下引用)
 燕市の、工業振興分野の主要プロジェクトに位置づけられている「燕市磨き屋一番館」は、2007年5月1日にオープンしました。
 ここは、モノづくりのまち燕市特有の基盤技術である、金属研磨業の後継者育成や新規開業の促進、体験学習による金属研磨技術の普及などを目的とした施設です。
 施設内には、研修生が実際に作業を行いながら研修や指導を受ける「技能訓練室」や、新規開業を目指す人たちを対象とする「開業支援室」、チタンやマグネシウムなどの新素材に対する研磨技術を研究する「研究開発室」などがあります。
  『磨き屋一番館』には、『磨き屋』を目指す研修生が、県内外から集まります。技術指導の中心となるのは、県から認定された卓越した技能を有す る「にいがた県央マイスター」。研修生は3年間の研修期間修了後、金属研磨仕上げ単一等級の取得と新規開業を目指します。
(引用終わり)



 この燕市磨き屋一番館はよくある公的な職業訓練学校のような存在かと考えていたのですが、実態は大きく異なりました。
 燕市磨き屋一番館は燕市から事業経費の2/3の助成金を得ながら外部から磨きの仕事を受注しているのです。利益もしっかり上げており、その一部を測定器などの設備投資に回しているほか、一部を財政事情が厳しい燕市に寄付しています。仕事の内容としては、オリジナル商品のチタン製ビアタンブラーの研磨が有名ですが、最近は航空機の翼の先端部分を研磨する仕事が主力事業になっています。

 
 工場で実際に研磨したものを見せてもらいましたが、鏡面加工によってリベットを打った跡を消すことで空気抵抗を大幅に少なくすることが出来るのだそうです。 

 現在、燕市磨き屋一番館では6名の研修生が在籍していますが、彼らは授業料を払う必要がありません。逆に彼らは月給15万円の給料をもらいながら3年間、県央マイスターの指導を受けながら研磨の仕事をしてOJTで技を習得しています。安いとはいえ給料をもらえることで、研修生は生活に不安を感じることなく技能習得に専念できるのです。このように給料をもらいながら技能が習得できる職業訓練施設は、燕市磨き屋一番館以外には伝統工芸の金沢卯辰山工芸工房(金沢市)しか私は知りません。おそらく工業系の職業訓練施設では日本ではここだけでしょう。
 また、研修生を指導している県央マイスターは引退した方ではなく、自分自身の工房も持つ現役の方です。つまり、県央マイスターは自分の工房の仕事をこなしながら燕市磨き屋一番館で研修生の指導を行っているのですが、研修生に担当させる仕事を作るために自分の工房の仕事の一部を燕市磨き屋一番館に回したと言います。このため自分自身の仕事は減り、収入も減ったと思うのですが、それでも県央マイスターは研修生の育成にかなりのエネルギーと時間を割いています。

 厳しい財政事情にもかかわらず熟練技能の後継者を育てるために予算を割いている燕市、そして自らの仕事量の減少にもかかわらず研修生の指導に当たり、燕市磨き屋一番館の利益の一部を燕市に還元している県央マイスター。熟練技能を次世代に伝えていきたい、という双方の高い志には心を動かされました。

収穫した餅米で餅つきをやりました

2011-01-23 17:40:02 | 自然
 昨日、週末農業で収穫した餅米で餅つきをやりました。

 息子も餅つきをやらせてもらいました。



 

 
 焚き火を使った焼きマシュマロ作り、パン作りもやりました。子どもたちは焚き火が大好きですね。
 天気にも恵まれ、とても贅沢な一日を過ごすことが出来ました。

名古屋でよく見かける広告

2011-01-21 23:21:12 | Weblog
製造業の調査をやっているという職業柄、名古屋はよく訪れます。この街も、滑走路のように広い道路、発達した地下街、異常に充実した喫茶店のモーニングセットなど、他の都市にはない特徴を持っていますが、美容整形外科の広告の多さも特徴の一つであると思います。
私の印象では、駅の広告看板、地下鉄の車内広告において美容整形外科の占める割合は、東京、大阪に比べて際立って高いです。データを取って都市別に比較してみると面白いかもしれません。

昨年末からやたらと出張の機会が増えました。神戸、岐阜、姫路、名古屋、燕三条、大阪、そして今日は高崎を訪れました。出張するとこうした地域ごとの特徴に気付かされるなど、
楽しいことが多いのですが、さすがにそろそろ落ち着きたくなってきました。

傘をさして両手で自転車が運転できるアイデアグッズ

2011-01-20 19:21:31 | Weblog
 大阪に出張してきました。
 今まであまり意識してなかったのですが、大阪ではサドルに見慣れないプラスチック製の棒を取り付けている自転車を多く見かけました。これは傘を装着するための器具で、これがあれば雨の日でも両手で自転車が運転できるので安心、という優れもののアイデアグッズなのです。大阪のおばちゃん御用達、ということで結構有名なようですね。
 調べてみたところこのアイデアグッズの名称は「さすべえ」と言い、株式会社ユナイトという名古屋の会社が製造販売をしています。しかし名古屋でこの「さすべえ」を取り付けて走っている自転車を見た記憶が私にはありません。名古屋人は外見を気にする一方、大阪人は多少格好悪くても実利を重視するので、大阪でこの「さすべえ」が普及した、のでしょうか。
 日本は狭い国のようでいてまだまだ地域の特色は残っているんですね。まあ特に大阪は我が国でも際立って特徴的な地域であることは間違いないと思いますけど・・・

「ただならぬおじさん」は未来を語る

2011-01-20 09:07:40 | Weblog

シニアによるコミュ二ティビジネスの起業の先駆けとして知られる、シニアSOHO三鷹の元代表の堀池喜一郎氏のお話を伺う機会がありました。日立製作所のエンジニアとして勤めていた堀池氏は、在職中にSOHOというビジネススタイルに関心を持ち、退職後に三鷹市でシニアのSOHOによるパソコン教室などのコミュニティビジネスを立ち上げ、三鷹市の地域活性化に貢献した方です。

今ではシニアによる地域活性化の伝道師のように見なされ、全国各地での講演に招かれ忙しい日々を過ごしておられます。 この堀池氏のお話で特に印象に残ったのが、「ただならぬおじさん」という言葉です。以下、堀池氏のお話の要旨を記します。

 

  • かつて日本がまだ貧しかった時代は、あっさりと人が死ぬのが当たり前だった。
  • そんな状況の中で生き残るためには、大人は「ただのおじさん」ではなく「ただならぬおじさん」でなければならなかった。体力が劣る老人は生きていくためにとりわけ特殊な能力が求められた。
  • しかし戦後の日本は豊かになり、人々の多くが企業に勤めるようになると、特殊な才能はあまり必要とはされず、平均的であることが求められるようになった。「ただのおじさん」になった多くの大人たちは、生き残るための知恵を子どもたちに教えることを怠ってきた。そのつけが現代の地域社会の様々な問題につながっている。
  • 生き残るための知恵を子どもたちに教えることを怠ってきたシニアたちは地域社会に回帰し、「ただならぬおじさん」として能力を発揮していくべきだ。
  • 「ただのおじさん」は過去の話をする。しかし「ただならぬおじさん」は未来を語る。

 

「ただならぬおじさん」ですか・・・いいですねー。おじさんだけでなく、おばさんも「ただならぬおばさん」になることが必要ですね。また地域社会だけでなく、ビジネスの社会でも大人たちは「ただならぬ」ことが求められるようになっているように思います。かつての右肩上がりの時代はとっくに終わり、競争環境が厳しく、そして先行きが不透明な時代になっていますから、そんな中でサラリーマンとして生き残っていく上では「ただのサラリーマン」ではなく「ただならぬサラリーマン」にならなければならないのではないでしょうか。

現在の私はなかなか地域社会に貢献する余裕がないのですが、いつかは「ただならぬサラリーマン」として身に着けたものを、「ただならぬおじさん」として地域社会で発揮していきたいものです。ちょっと気が早いかもしれませんが、第二の人生に向けた目標ができたかな。