昔々、僕が若いしだったとき
農家であってもサラリーマンだった父も息子の僕も
相当の釣り好きだった。
明治生まれの僕のおじいちゃんがごっつい釣り好きだったから、一家は
おじいちゃんの影響が大だった。
そのおじいちゃんが亡くなっても、釣りはずっと続けていた。
年末、大掃除を終えて、父、僕、弟、そして親戚のおじさんらが
近くの磯へ釣りに行くのが恒例になっていた。
昔のことやから、エサは琵琶湖産のエビ、道具だって貧しいもの
一度、季節はずれの大波に、遠い町からやってきたおじさんが
さらわれそうになったことがあった。
ブルブル寒さと恐怖に震えるおじさんを尻目に
釣りを続けたことを覚えている。
「チヌ」「グレ」「ゴンタ」「たかのは」など
何かが釣れて、我々家族の笑顔を満たしてくれた。
そんな納会も何年も続いたけど
ある年から一家の釣り納会は、なんやかやの忙しさで
行われなくなってしまった。
父もおじさんも弟の一人も数年前に他界した。
この時期になればその「磯釣り」を思い出すことがある。
人生はなんという早さで過ぎていくのであろう。
農家であってもサラリーマンだった父も息子の僕も
相当の釣り好きだった。
明治生まれの僕のおじいちゃんがごっつい釣り好きだったから、一家は
おじいちゃんの影響が大だった。
そのおじいちゃんが亡くなっても、釣りはずっと続けていた。
年末、大掃除を終えて、父、僕、弟、そして親戚のおじさんらが
近くの磯へ釣りに行くのが恒例になっていた。
昔のことやから、エサは琵琶湖産のエビ、道具だって貧しいもの
一度、季節はずれの大波に、遠い町からやってきたおじさんが
さらわれそうになったことがあった。
ブルブル寒さと恐怖に震えるおじさんを尻目に
釣りを続けたことを覚えている。
「チヌ」「グレ」「ゴンタ」「たかのは」など
何かが釣れて、我々家族の笑顔を満たしてくれた。
そんな納会も何年も続いたけど
ある年から一家の釣り納会は、なんやかやの忙しさで
行われなくなってしまった。
父もおじさんも弟の一人も数年前に他界した。
この時期になればその「磯釣り」を思い出すことがある。
人生はなんという早さで過ぎていくのであろう。