旧吹上町(現埼玉県鴻巣市)に唯一残る前方後円墳があります。
その名は三島神社古墳。
墳頂に三島神社が祀られているためその名が付いたのでしょう。
息子は古墳やハニワが好きなので、
クリスマスイヴに旧吹上町と東松山市の古墳へ2人で足を運びました。
娘は発熱のためお休み。
周囲は住宅街で、隔世の感を否めません。
往古はもっと多くの古墳があったはずで、
三島神社古墳は社が鎮座していたために生き残ったのでしょう。
現存しているとはいえ、だいぶ破壊が進んでいます。
墳頂には何基もの石碑が並び、
例え合祀されたものとしても、
古くからこの場所が宗教施設だったことが窺えます。
地元の人には、「古墳」よりも「神社」のイメージなのではないでしょうか。
境内には、石室の一部とおぼしきものが横たわっています。
ということは、被葬者も副葬品はとっくに消えてなくなっている可能性が高いのでしょう。
古墳1基につき、石室が1つだけとは限りませんが、
見た目からしてもう眠っている人はいない気がします。
古墳の築造年代は6世紀後半と推察されています。
ところで、管見によりますが三島神社の鎮座は珍しく感じられます。
氷川神社や久伊豆神社、鷲宮神社ではなく「三島神社」。
祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)で、商売繁盛や家庭円満、
病気平癒のご神徳があるそうです。
創建は不明です。
ただ、村を開墾した鶴間氏の鬼門除けに祀られた可能性があるとのこと。
同家が勧請したのでしょうか。
明治6年に村社となり、いまに至っています。
息子と訪ねたときは寒風が吹きすさび、
昼間とはいえ長居できませんでした。
古墳よりも、キャラ化しているハニワの方が心をくすぐられるのかもしれません。
帰りたがる息子をなだめ、
後ろ髪を引かれる思いで古墳をあとにしました。
その名は三島神社古墳。
墳頂に三島神社が祀られているためその名が付いたのでしょう。
息子は古墳やハニワが好きなので、
クリスマスイヴに旧吹上町と東松山市の古墳へ2人で足を運びました。
娘は発熱のためお休み。
周囲は住宅街で、隔世の感を否めません。
往古はもっと多くの古墳があったはずで、
三島神社古墳は社が鎮座していたために生き残ったのでしょう。
現存しているとはいえ、だいぶ破壊が進んでいます。
墳頂には何基もの石碑が並び、
例え合祀されたものとしても、
古くからこの場所が宗教施設だったことが窺えます。
地元の人には、「古墳」よりも「神社」のイメージなのではないでしょうか。
境内には、石室の一部とおぼしきものが横たわっています。
ということは、被葬者も副葬品はとっくに消えてなくなっている可能性が高いのでしょう。
古墳1基につき、石室が1つだけとは限りませんが、
見た目からしてもう眠っている人はいない気がします。
古墳の築造年代は6世紀後半と推察されています。
ところで、管見によりますが三島神社の鎮座は珍しく感じられます。
氷川神社や久伊豆神社、鷲宮神社ではなく「三島神社」。
祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)で、商売繁盛や家庭円満、
病気平癒のご神徳があるそうです。
創建は不明です。
ただ、村を開墾した鶴間氏の鬼門除けに祀られた可能性があるとのこと。
同家が勧請したのでしょうか。
明治6年に村社となり、いまに至っています。
息子と訪ねたときは寒風が吹きすさび、
昼間とはいえ長居できませんでした。
古墳よりも、キャラ化しているハニワの方が心をくすぐられるのかもしれません。
帰りたがる息子をなだめ、
後ろ髪を引かれる思いで古墳をあとにしました。
本年も先生の御著書やブログを通して勉強させていただきましたこと、深く感謝申し上げます。良い年をお迎え下さい。
若松氏が講師では、興味深いものがたくさん聞くことができたと思います。
三島神社古墳は住宅街なので、その周囲には多くの古墳があったと思います。
水運を司った者が眠っているとしたら、そこにはどんな組織や社会が営まれていたのでしょうね。
一緒に連れていった息子のようなちびっ子が、当時も駆けまわっていたのかな……
私などの拙ブログや拙著がご参考になれれば幸いです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。