クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

夜泣きに向かうは鶴ヶ塚古墳?

2024年04月27日 | 考古の部屋
東北自動車道の側道から見える古墳がある。
その名も“鶴ヶ塚古墳”(埼玉県加須市町屋新田)。
墳頂には稲荷神社をはじめとする社が鎮座していて、「稲荷塚」とも呼ばれている。
築造年代は不明で、かつて墳丘から靫形埴輪の下半部が出土したという。

周囲は見渡す限りの水田である。
かつては、鶴ヶ塚古墳以外の塚もあったのだろうが、その面影はどこにもない。
鶴ヶ塚古墳にしろ、だいぶ変形しているようだ。
神社が鎮座しているから唯一生き残ったのだろう。
陸の孤島と呼ぶにふさわしい。

いまだから言えることだが、子どもの夜泣きがひどいとき、鶴ヶ塚古墳まで足を延ばしていた。
近所というわけではない。
車を使わなければ行けない距離である。

田園地帯だからかなり暗い。
子どもがすぐに泣き止むような場所でもなかった。
それなのに、引かれるように鶴ヶ塚古墳へ向かった。

確かに、ここでどんなに泣こうと近所迷惑にはならなそうではある。
車通りはほとんどないし、漆黒の闇が妙に心地いい。

ただ、自分はいいとして、夜中に古墳周辺から子どもの泣き声が聞こえるのはホラーだったかもしれない。
パトカーが通れば、職務質問コースだっただろう。

泣く子どもを抱いて、古墳前の道をゆっくり歩いた。
古墳の横には手子堀川が流れ、近くには遊水地が広がっている。
南北に流れる水路も夜闇に包まれ、子どもの泣き声と対比してひどく静かだった。
古墳から見える高速道路は、車のライトがいくつも流れていた。

しばらくして、子どもは泣き止んだ。
時間にして、10~15分くらいだったか。
子どもをそっと車に乗せ、古墳をあとにした。

東北自動車道の側道を通ると、その頃のことをたまに思い出す。
子どもは小さかったから、夜泣きで古墳まで連れてこられたことなど覚えていないに違いない。
景色はあの頃と何も変わっていないように見える。
鶴ヶ塚古墳は陸の孤島のように佇み、その脇を手子堀川が流れている。
子どもは夜泣きする年ではなくなり、歴史の年号を諳んじるようになった。
月日の流れは速い。
古墳は物言わずそこにあるのに、人や時代はどんどん変わっていく。



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