![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/04/3ff53464ff70261b453dbf3a41209ec4.jpg)
10年くらい前、同級生の姉と会う機会がしばしばあった。
絵描きや元自衛官たちと一緒に飲み会。
その人は埼玉に住んでいたが、
縁あって群馬県の板倉町に移り住んだ。
元自衛官と一緒に、その人の家を訪れたことがある。
たった一度だけのことで、具体的な場所はわからない。
その人とはしばらく会っていないし、
元自衛官も広島へ嫁いでしまった。
同級生の姉が住む家の風景はぼんやり覚えている。
でも、それはどこなのだろう。
ある歴史的な特徴を持っていたから、もう一度目にしたいと思う。
ところで、高鳥天満宮のやや南西側に“大塚山古墳”が佇んでいる。
7世紀頃の築造と推定されている。
墳丘の上には石祠が佇んでおり、
宗教施設だから消滅せずに現存しているのだろう。
直径7メートル、高さ約2.5メートル。
出土遺物は全くないという。
傍らに建つ文化財説明板は次のように記す。
この大塚山古墳は出土品が全くなく、発掘に関する伝承もないため、
完全な形で石室が遺されている可能性があります。
大塚山古墳は道路沿いに位置しているが見付けにくい。
表示看板が建っているからそれが目印。
同級生の姉と会っていた頃、
城のことは話しても古墳の話題は出なかった。
時代の流れが早い現代のこと、10年前は「大昔」になる。
古墳は変わらず佇んでいても、
我々は変化を余儀なくされる。
姉の子どもはもう見分けがつかないほど大きくなったのだろう。
板倉と古墳。
歳月と共に記憶が蓄積されて、
古墳のように物言わず佇んでいる。
絵描きや元自衛官たちと一緒に飲み会。
その人は埼玉に住んでいたが、
縁あって群馬県の板倉町に移り住んだ。
元自衛官と一緒に、その人の家を訪れたことがある。
たった一度だけのことで、具体的な場所はわからない。
その人とはしばらく会っていないし、
元自衛官も広島へ嫁いでしまった。
同級生の姉が住む家の風景はぼんやり覚えている。
でも、それはどこなのだろう。
ある歴史的な特徴を持っていたから、もう一度目にしたいと思う。
ところで、高鳥天満宮のやや南西側に“大塚山古墳”が佇んでいる。
7世紀頃の築造と推定されている。
墳丘の上には石祠が佇んでおり、
宗教施設だから消滅せずに現存しているのだろう。
直径7メートル、高さ約2.5メートル。
出土遺物は全くないという。
傍らに建つ文化財説明板は次のように記す。
この大塚山古墳は出土品が全くなく、発掘に関する伝承もないため、
完全な形で石室が遺されている可能性があります。
大塚山古墳は道路沿いに位置しているが見付けにくい。
表示看板が建っているからそれが目印。
同級生の姉と会っていた頃、
城のことは話しても古墳の話題は出なかった。
時代の流れが早い現代のこと、10年前は「大昔」になる。
古墳は変わらず佇んでいても、
我々は変化を余儀なくされる。
姉の子どもはもう見分けがつかないほど大きくなったのだろう。
板倉と古墳。
歳月と共に記憶が蓄積されて、
古墳のように物言わず佇んでいる。
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