クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

石室が遺されている可能性のある板倉の古墳は? ―大塚山古墳―

2018年10月05日 | 考古の部屋
10年くらい前、同級生の姉と会う機会がしばしばあった。
絵描きや元自衛官たちと一緒に飲み会。
その人は埼玉に住んでいたが、
縁あって群馬県の板倉町に移り住んだ。

元自衛官と一緒に、その人の家を訪れたことがある。
たった一度だけのことで、具体的な場所はわからない。
その人とはしばらく会っていないし、
元自衛官も広島へ嫁いでしまった。

同級生の姉が住む家の風景はぼんやり覚えている。
でも、それはどこなのだろう。
ある歴史的な特徴を持っていたから、もう一度目にしたいと思う。

ところで、高鳥天満宮のやや南西側に“大塚山古墳”が佇んでいる。
7世紀頃の築造と推定されている。

墳丘の上には石祠が佇んでおり、
宗教施設だから消滅せずに現存しているのだろう。
直径7メートル、高さ約2.5メートル。
出土遺物は全くないという。
傍らに建つ文化財説明板は次のように記す。

 この大塚山古墳は出土品が全くなく、発掘に関する伝承もないため、
 完全な形で石室が遺されている可能性があります。

大塚山古墳は道路沿いに位置しているが見付けにくい。
表示看板が建っているからそれが目印。

同級生の姉と会っていた頃、
城のことは話しても古墳の話題は出なかった。
時代の流れが早い現代のこと、10年前は「大昔」になる。

古墳は変わらず佇んでいても、
我々は変化を余儀なくされる。
姉の子どもはもう見分けがつかないほど大きくなったのだろう。

板倉と古墳。
歳月と共に記憶が蓄積されて、
古墳のように物言わず佇んでいる。


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