クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「風林火山」。ナンバー2の“武田信繁”の死は痛い?

2007年12月10日 | 戦国時代の部屋
――決戦の時。
大河ドラマ「風林火山」もいよいよ大詰めです。
“武田信玄”(市川亀治郎)率いる武田軍と、
“上杉政虎”(Gackt)の上杉軍が川中島でついに激突。
世に名高い第4次川中島合戦です。

キツツキ戦法を用いようとする信玄に、
鞭声粛々と夜河と渡る政虎。
そして両雄の一騎打ち……。
川中島合戦は魅せる合戦と言えるでしょう。
通説の真偽はともかく、
戦国合戦史上類い希な激戦が繰り広げられます。

午前は政虎の勝ち、
午後は信玄の勝ちと言われるこの合戦で、
両軍とも多くの死傷者を出しました。
12月9日放送の「風林火山」で、
その死が華々しく描かれていたのは“武田信繁”(嘉島典俊)。
武田典厩(てんきゅう)とも呼ばれ、周知のように信玄の弟です。

父信虎に可愛がられ、家督を継ぐ噂もありましたが、
信玄が父を追放してからは兄に忠節を尽くしました。
信繁はいわば信玄の補佐役・副将として活躍します。

兄弟同士で争うことが珍しくなかったこの時代、
武田家では共に力を合わせて勢力を拡大。
「ナンバー2の優劣が、戦国大名として成長発展できるかどうかのカギを握っていた」(小和田哲男)とも言われ、
武田家にとって信繁はなくてはならない存在だったのでしょう。

信玄が制定した「甲州法度之次第」を補うものとして、
「古典厩より子息長老江異見九十九箇条之事」を規定。
兄弟に対していささかも疎略にしてはならないと戒めるのでした。

信玄の片腕となって尽力した武田信繁。
しかし、川中島合戦の激戦の中で討ち死にしてしまいます。
37年の波乱に満ちた人生でした。
その死に怒って敵陣に乗り込んだという“諸角虎定”も、
この合戦で戦死。
81歳という高齢でしたが、武士としてその生涯を全うしました。
そんな乱戦の中、
“山本勘助”(内野聖陽)も終焉のときが迫っています。

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