小学生の頃、父と朝釣りに出かけたことがある。
場所は星川。
行田市を流れる星川で父と並んで釣り糸を垂らした。
星川は熊谷市を起点としている。
父とぼくが使っていたのはへら竿で、
ほかにも釣り人がいたがみんなへら師だった。
バス釣りは一人もおらず、
あの頃はへら師の方を多く見かけたものだ。
コンビニで買ったおにぎりを朝食にして、
昼近くまで釣り糸を垂らした。
最初は不調だったが、時間を追うごとに魚が食いついてきて、
結果的には大漁だったのを覚えている。
いまその場所へ足を運ぶと、
雰囲気が異なっていることに気付く。
橋が新しく架け替えられたのだろうか。
当時とは違ってだいぶ人工的な匂いがする。
釣り人の姿もない。
行田で講演をする前に何とはなしに足を運んだのだが、
川面に映るネクタイ姿の自分に時の流れを感じた。
星川は古代荒川の流路の可能性がある。
父と釣りに行ったときはそんな視点で見るはずもなかった。
星川を下るとやがて見沼代用水路と合流する。
ここまでの流れを上星川という。
見沼代用水路を下っていくと、
菖蒲図書館(久喜市)の近くで分水される。
そこから元荒川に合流するまでの流れを下星川という。
古代、この星川と会の川がつながっていた可能性がある。
さきたま古墳群をはじめとする流域に造成された古墳は、
川で結ばれていたと言える。
いわば点は線で結ばれる。
釣り糸を垂らしていた頃は魚に夢中だった。
でも、視点を変えて川を眺めれば古代ロマンが底流にあった。
川はいわば歴史につながる道。
遠い昔に遡ることのできる一本道。
同時にそれは未来にもつながっている。
星川に架かる橋に立ったとき、
そのことを感じずにはいられない。
星川の流れは、父と釣りをしたときと同じように思える。
しかし、実際は異なっているのかもしれない。
川の顔は時代によって異なる。
流路も変わるし、その影響もそれぞれ違う。
川は難しくて懐の深い存在だが、
我々を歴史と未来にいざなってくれる。
星川(埼玉県行田市)
場所は星川。
行田市を流れる星川で父と並んで釣り糸を垂らした。
星川は熊谷市を起点としている。
父とぼくが使っていたのはへら竿で、
ほかにも釣り人がいたがみんなへら師だった。
バス釣りは一人もおらず、
あの頃はへら師の方を多く見かけたものだ。
コンビニで買ったおにぎりを朝食にして、
昼近くまで釣り糸を垂らした。
最初は不調だったが、時間を追うごとに魚が食いついてきて、
結果的には大漁だったのを覚えている。
いまその場所へ足を運ぶと、
雰囲気が異なっていることに気付く。
橋が新しく架け替えられたのだろうか。
当時とは違ってだいぶ人工的な匂いがする。
釣り人の姿もない。
行田で講演をする前に何とはなしに足を運んだのだが、
川面に映るネクタイ姿の自分に時の流れを感じた。
星川は古代荒川の流路の可能性がある。
父と釣りに行ったときはそんな視点で見るはずもなかった。
星川を下るとやがて見沼代用水路と合流する。
ここまでの流れを上星川という。
見沼代用水路を下っていくと、
菖蒲図書館(久喜市)の近くで分水される。
そこから元荒川に合流するまでの流れを下星川という。
古代、この星川と会の川がつながっていた可能性がある。
さきたま古墳群をはじめとする流域に造成された古墳は、
川で結ばれていたと言える。
いわば点は線で結ばれる。
釣り糸を垂らしていた頃は魚に夢中だった。
でも、視点を変えて川を眺めれば古代ロマンが底流にあった。
川はいわば歴史につながる道。
遠い昔に遡ることのできる一本道。
同時にそれは未来にもつながっている。
星川に架かる橋に立ったとき、
そのことを感じずにはいられない。
星川の流れは、父と釣りをしたときと同じように思える。
しかし、実際は異なっているのかもしれない。
川の顔は時代によって異なる。
流路も変わるし、その影響もそれぞれ違う。
川は難しくて懐の深い存在だが、
我々を歴史と未来にいざなってくれる。
星川(埼玉県行田市)
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