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ここ数日、学校のテストがあった。
12月中旬のテストは少しだけ懐かしい。
1995年の2学期の期末テストも、ちょうど12月中旬だった。
ほかはすっかり記憶から飛んでいるが、
95年の2学期だけは覚えている。
なぜなら、赤穂浪士が討ち入る前日に、
期末テストが終わったから……
ところで、テストの代名詞のような存在に“科挙”がある。
言わずと知れた、隋の文帝が始めた官吏登用試験である。
1300年以上も続いた制度で、
設立当初のシステムが継承されたわけではなく、
宋代で改良され、皇帝が直接諮問する“殿試”が加えられた。
明・清代には、学校在籍者に受験資格が与えられている。
科挙の受験勉強はすさまじい。
そのスタートは3歳くらいから始まる。
「超」の字がつく程の狭き門を何度も通らなければならない。
そもそも、科挙の受験資格を得るためのテストもパスしなければならず、
郷試→会試→殿試(明・清代)と3段階をクリアする必要がある
科挙の研究は、宮崎市定氏が一冊の本にまとめている(『科挙』中公新書)。
その扉絵には、“カンニング下着”が掲載されている。
表裏合わせて70万字が下着に書かれている凄まじさ!
官吏への道は険しくもあり、憧れの的であったことが窺える。
合格者がいれば、落ちてしまう者がいる。
後者を描いた『礼乙己』という魯迅の短編小説がある。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
『カイジ』(福本伸行)に登場する“利根川”が述べているように、
棋士の羽生は勝ち続けているから“羽生”なのであって、
負け続けていたら「根暗」となってしまう。
いくら秀才でも、科挙の狭き門を通らなければ、
人々の笑い者になってしまう。
礼乙己のように……
そんなやりきれなさと切なさを魯迅は描いている。
かつて、羽生市には“ハカセ”と呼ばれる人がいた。
『木のぼり男爵』(イタロ・カルヴィーノ)に登場する“男爵”のように、
誇り高くもあり、地に足がついていないような人だった。
ハカセのことを人はあまりよく言わなかったが、
ぼくは好きだった。
愛嬌があったし、
“予言”を告げたこともある。
しかし、ハカセは男爵のごとく、
数年前に空高く飛んでいった。
そんなハカセは、
どこか「礼乙己」に似ている……
12月中旬のテストは少しだけ懐かしい。
1995年の2学期の期末テストも、ちょうど12月中旬だった。
ほかはすっかり記憶から飛んでいるが、
95年の2学期だけは覚えている。
なぜなら、赤穂浪士が討ち入る前日に、
期末テストが終わったから……
ところで、テストの代名詞のような存在に“科挙”がある。
言わずと知れた、隋の文帝が始めた官吏登用試験である。
1300年以上も続いた制度で、
設立当初のシステムが継承されたわけではなく、
宋代で改良され、皇帝が直接諮問する“殿試”が加えられた。
明・清代には、学校在籍者に受験資格が与えられている。
科挙の受験勉強はすさまじい。
そのスタートは3歳くらいから始まる。
「超」の字がつく程の狭き門を何度も通らなければならない。
そもそも、科挙の受験資格を得るためのテストもパスしなければならず、
郷試→会試→殿試(明・清代)と3段階をクリアする必要がある
科挙の研究は、宮崎市定氏が一冊の本にまとめている(『科挙』中公新書)。
その扉絵には、“カンニング下着”が掲載されている。
表裏合わせて70万字が下着に書かれている凄まじさ!
官吏への道は険しくもあり、憧れの的であったことが窺える。
合格者がいれば、落ちてしまう者がいる。
後者を描いた『礼乙己』という魯迅の短編小説がある。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
『カイジ』(福本伸行)に登場する“利根川”が述べているように、
棋士の羽生は勝ち続けているから“羽生”なのであって、
負け続けていたら「根暗」となってしまう。
いくら秀才でも、科挙の狭き門を通らなければ、
人々の笑い者になってしまう。
礼乙己のように……
そんなやりきれなさと切なさを魯迅は描いている。
かつて、羽生市には“ハカセ”と呼ばれる人がいた。
『木のぼり男爵』(イタロ・カルヴィーノ)に登場する“男爵”のように、
誇り高くもあり、地に足がついていないような人だった。
ハカセのことを人はあまりよく言わなかったが、
ぼくは好きだった。
愛嬌があったし、
“予言”を告げたこともある。
しかし、ハカセは男爵のごとく、
数年前に空高く飛んでいった。
そんなハカセは、
どこか「礼乙己」に似ている……
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