クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“赤穂浪士”もなかなか討ち入れない狭き門は? ―ハカセと礼乙己―

2009年12月15日 | ブンガク部屋
ここ数日、学校のテストがあった。
12月中旬のテストは少しだけ懐かしい。

1995年の2学期の期末テストも、ちょうど12月中旬だった。
ほかはすっかり記憶から飛んでいるが、
95年の2学期だけは覚えている。
なぜなら、赤穂浪士が討ち入る前日に、
期末テストが終わったから……

ところで、テストの代名詞のような存在に“科挙”がある。
言わずと知れた、隋の文帝が始めた官吏登用試験である。

1300年以上も続いた制度で、
設立当初のシステムが継承されたわけではなく、
宋代で改良され、皇帝が直接諮問する“殿試”が加えられた。
明・清代には、学校在籍者に受験資格が与えられている。

科挙の受験勉強はすさまじい。
そのスタートは3歳くらいから始まる。
「超」の字がつく程の狭き門を何度も通らなければならない。

そもそも、科挙の受験資格を得るためのテストもパスしなければならず、
郷試→会試→殿試(明・清代)と3段階をクリアする必要がある

科挙の研究は、宮崎市定氏が一冊の本にまとめている(『科挙』中公新書)。
その扉絵には、“カンニング下着”が掲載されている。
表裏合わせて70万字が下着に書かれている凄まじさ!
官吏への道は険しくもあり、憧れの的であったことが窺える。

合格者がいれば、落ちてしまう者がいる。
後者を描いた『礼乙己』という魯迅の短編小説がある。

勝てば官軍、負ければ賊軍。
『カイジ』(福本伸行)に登場する“利根川”が述べているように、
棋士の羽生は勝ち続けているから“羽生”なのであって、
負け続けていたら「根暗」となってしまう。

いくら秀才でも、科挙の狭き門を通らなければ、
人々の笑い者になってしまう。
礼乙己のように……
そんなやりきれなさと切なさを魯迅は描いている。

かつて、羽生市には“ハカセ”と呼ばれる人がいた。
『木のぼり男爵』(イタロ・カルヴィーノ)に登場する“男爵”のように、
誇り高くもあり、地に足がついていないような人だった。
ハカセのことを人はあまりよく言わなかったが、
ぼくは好きだった。

愛嬌があったし、
“予言”を告げたこともある。
しかし、ハカセは男爵のごとく、
数年前に空高く飛んでいった。
そんなハカセは、
どこか「礼乙己」に似ている……

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