クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の“富徳寺”の天井で色とりどりの草花が咲く?

2019年02月18日 | 神社とお寺の部屋
富徳寺(ふとくじ)は南羽生駅から歩いておよそ10分のところにあります。
羽生城代の不得道可が開基したことから、
その名が付いたと言われます。

実際に足を運べばわかりますが、
富徳寺の本堂と客殿は新しくなったばかりです。
数年前から建て替えが始まり、
土足でも入ることのできる本堂と客殿が完成しました。
段差もなく、靴を履いたままでも参詣できる人に優しい造りです。

本堂に入って天井を見上げれば、色とりどりの花々。
そう、富徳寺の本堂には、天井画が新たに描かれたのです。

描いたのは同寺檀家の関根克彦氏。
河田市長の教え子でもあるそうです。
2018年11月26日付の「朝日新聞」によると、
『田舎教師』や『万葉集』に登場する草花をモチーフに描いたといいます。

実際にご本人から話を聞きましたが、
製作年数は構想期間を含めて3年かかったとのこと。
杉板に金箔を貼り、その上に油絵具で草花を描きました。
その数ざっと80枚。

『田舎教師』は主に羽生を舞台にした田山花袋の小説です。
刊行されたのは明治42年で、作品の中には多くの植物が登場します。
関根氏は改めて小説を読み、そこに登場する草花を実際に探し歩きましたが、
すでに見るのが難しい植物も少なくなかったそうです。
それだけ、環境が変化しているということなのでしょう。

ところで、富徳寺は曹洞宗の寺院です。
開基は不得道可で、開山は徳巌という人物。
ちなみに、羽生市稲子の源昌院も開基と開山が同一人物となっています。
おそらく両寺とも同じくらいの時期に創建されたのでしょう。

不得道可は羽生城主木戸忠朝の家臣で、
江戸期に入り、新城主大久保忠隣に仕えました。
富徳寺と源昌院を創建したとき、すでに老齢であったと思われます。
新しく迎えた時代の中で両寺を創建するとき
その胸中にはどんな想いがあったのでしょう。

さて、富徳寺を守るのは源憲雄住職です。
実は、天井画を見せてもらう前から何度かお会いしたことがありました。
富徳寺といえば、僕が高校生のときに行きつけだったお好み焼き店のすぐ近くの寺院です。
前々から親近感がありました。

もしかすると、ご住職とはお店の近くですれ違っていたかもしれません。
僕が16歳だったとき、ご住職は20代。
ご縁とは不思議なものです。
お好み焼き店越しに目にしていた寺院のご住職と、
約20年後に天井画を見上げるのですから……。
店はなくなってしまいましたが、
富徳寺は一新し、天井画も新たな見どころとして加わりました。

富徳寺の天井画はどなたでも見ることができます。
ただ、本堂で法事などが行われているときは遠慮しましょう。

なお、天井画は原則撮影禁止です。
このたびは、ご住職から撮影とブログへの掲載の許可をいただきました。
お寺のご迷惑にならないように見学したいですね。
改めてご住職に御礼申し上げます。




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