クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の“夏祭り”はどんな歴史? ―八雲神社―

2010年06月11日 | ふるさと歴史探訪の部屋
今年も羽生の“夏祭り”がやってくる。
“御輿”と“山車”が出るのは7月10日(土)の晩。
タイミング的には期末テスト中か、
終わったくらいのときに開催される。

後者の場合、夏休みを待つだけだからテンションは高いと思う。
比較的、好きな人を誘いやすいのではないだろうか。

この羽生の夏祭りとは、“八雲神社”の例祭である。
祭りへ行った際は、この神社に参拝したい。
八雲神社の創建は古く、
天禄3年(972)に簑沢村に建てられたという。
つまり、平安時代の創建ということになる。

その後、現在地に移され、
寛永2年(1625)から“御輿渡御”が始まった。
現在、この御輿渡御は羽生市指定の文化財となっている。
夏祭りの活気は、
羽生の文化そのものと言えよう。

ちなみに、御輿渡御がはじまった頃は、
祭りの期間はやたら長かった。
6月7日の御輿渡御から6月末日の大祓いまで、
24日間も祭りが行われていたのである。
町の人たちは、この祭りを心待ちにしていたことだろう。

ところで、羽生の夏祭りを象徴するものがある。
それは“おんな天王”。
享保8年(1723)に奉納された最も大きな御輿である。
見るからに重量感たっぷりで、
羽生の歴史の重みを表しているかのよう……

なぜ、“おんな天王”という呼び名になったのかは定説はなく、
“おとこ天王”もかつてはあったと小耳に挟んだことがあるが、
定かではない。
そもそも、おんな天王の呼び名が使われたのは、
そう古くはなさそうである。

ちなみに、昭和初期に撮影した羽生夏祭りの古写真が何枚か現存している。
昭和11年頃撮影の古写真には、
おんな天王を囲む多くの人々、荒物商「亀屋」の白い塀や、
現松屋牛乳あたりに建つ火の見櫓も見える。
道はアスファルトではないし、浴衣姿の子どもの姿もある。

八雲神社の宮司であり、郷土史家でもあった“柳八重”の姿もあり、
当時の祭りの賑わいをいまに伝えている。
それらの古写真は、『行田・加須・羽生の100年』(郷土出版社)に収録されているので、
興味のある人は参考にされたい。

羽生の夏祭りに、本格的な夏の到来を感じる人も多いだろう。
そうした感覚もまた伝統なのだと思う。

期末テストは終わっているだろうか。
それとも真っ最中だろうか。
テストがない人も、その日は慌ただしいだろうか。
忙しくても体が空いていても、
羽生の祭りで歴史の風と“夏”を感じたい。



八雲神社(埼玉県羽生市)



同上



おんな天王。
6月7日~7月6日まで、
羽生市役所1階ロビーにて展示されている。


羽生市ホームページ
http://www.city.hanyu.lg.jp/index.html

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