クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生城ゆかりの場所を巡る半日旅 ―羽生史談会―

2024年07月11日 | 羽生城跡・城下町巡り
6月某日、羽生史談会から依頼を受けて、
羽生市内の羽生城ゆかりの施設を訪ねる研修の講師を務めた。
マイクロバス1台を借りて市内を巡る。
足を運んだのは以下のとおり。

古城天満宮
伝堀越館跡
源長寺
寄居
内手
岩瀬河原合戦場比定地
正覚院
※全て羽生市内。

半日のみのため、このくらいが限度だった。
予定していた小松神社への参拝は叶わなかった。

印象深かったのは、最後に皆さんで冨田勝治先生の墓前に線香を手向けたこと。
羽生史談会は先生を中心に始まった会である。
女性が多いのが特徴で、かつては泊まりで研修旅行へ何度も行っていた。

僕が羽生史談会に関わったのは20代のときで、
当時、冨田先生は90代後半だった。
先生は毎回の講師を務め、80歳から始めたというワープロでレジュメを作っていた。
中休みには必ずお茶とお菓子が出たのは、女性の多い会ならではのことだったかもしれない。

羽生史談会で過ごす時間はとても居心地がよかった。
勉強する内容は固かったが、空気は柔らかかった。
和やかで、冨田先生もくつろいだ雰囲気で、時間はどこかゆっくり流れていたのを覚えている。

そんな大切な居場所の一つだった羽生史談会は、
顔ぶれが変わってもあの頃と同じ空気のままだった。
冨田先生はすでに鬼籍に入られ、十年以上が経つ。
先生の遺志を受け継いだ人たちが定期的に勉強会を開き、慕って線香を手向けた。
先生が亡くなっても慕う人がいる。
この意義は大きいように思う。

恩返しをするつもりで精一杯務めさせていただいた。
史談会との接点は、羽生城が引き合わせてくれた縁だったと思っている。
同城が自落してから450年目。
史談会の人たちと一緒に墓参したのも一つの縁に違いない。
冨田先生が灯した火は、消えることなく燃え続けている。

※最初の画像は正覚院(埼玉県羽生市南三丁目)の鐘楼。
 若き日の冨田勝治氏は、ここに吊り下がっていた鐘の銘を読んで羽生城研究へと歩み始めた。
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