クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

新聞に報じられた“羽生城”は?

2010年11月11日 | お知らせ・イベント部屋
11月11日付の「埼玉新聞」に、
現在羽生の資料館で開催されている「冨田勝治展」が報じられている。
この展示は、羽生城研究に生涯を捧げた冨田氏の軌跡を追ったもの。
恐縮ながら、ぼくが取材を受けた。
ぜひ同企画展に足を運んでほしい。


web埼玉
「羽生城に生涯捧げる 郷土史家、故冨田さんの企画展」
http://www.saitama-np.co.jp/news11/11/05.html


<企画展「「放課後の羽生城」のモデル 冨田勝治の蔵書から」>
期間:平成22年10月23日(土)~11月28日(日)
会場:羽生市立図書館・郷土資料館展示室
開館時間:9時~17時
入館料:無料
休館日:毎週火曜日(11月23日は開館)、10月28日、11月24日、11月25日が休館


羽生市立図書館・郷土資料館ホームページ
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/

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“伊奈忠次”の夢が眠っている場所は? ―伊奈陣屋―

2010年11月11日 | 城・館の部屋
埼玉県内で“障子堀”が検出された城跡はいくつかある。
その一つに“伊奈陣屋”がある。
“伊奈忠次(いなただつぐ)”の陣屋である。

障子堀とは、堀の中に畝があるものを言う。
騎西城や花崎城、深谷城で検出され、
城を堅固にする用法だ。

伊奈忠次は徳川幕政を支えた人物で、
天正10年に徳川家康に仕えた。
武蔵国小室領1万石を領すと、
ここを拠点に新田開発や治水に尽力。
治水をやると必ずぶつかる人物である。

その伊奈忠次の陣屋跡は、現在民家が建っている。
しかし、堀や土塁が現存しており、
往時の面影を伺い知ることができる。
障子堀が検出されたという意味で、
比較的特異な城ということができるだろう。

障子堀は、埋め立てられて目にすることはできない。
こぢんまりと広がる空き地になっている。

ここには忠次の夢が眠っている。
この場所で、忠次は関東の行く末を思い描いていたのだろうか。
そしていまの日本を見たとき、
忠次は何を思うのだろう……。



検出された障子堀(埼玉県伊奈町)


障子堀跡


二の丸跡




水堀






コメント (2)
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