クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“ゆるキャラさみっと”に電車で行ったなら……?

2010年11月27日 | ふるさと歴史探訪の部屋
“ゆるキャラさみっと”に、電車で来られる人もいるだろう。
いま羽生駅構内は、
“藍染め”で彩られている。

羽生は“藍”の町で、
かつて紺屋は300軒近くもあった。
明治5年の青縞の出荷量は4万8304反。

4と9のつく日に立つ“市”では、
やわらかい藍の色で染まった青縞を買いに来る人で賑わっていた。
現在も、羽生市内ではいくつかの紺屋さんがあり、
青縞を買うことができる。
ちなみに、ゆるキャラさみっと初めて登場する“愛情(藍城)弁当”は、
藍染めの町の“藍”から来ている。

羽生駅は、明治36年4月23日の営業開始である。
田山花袋の小説『田舎教師』にも、
「寺の後にはこの十月から開通する東武鉄道の停車場ば出来て、
大工が頻りに鉋や手斧の音を立てている」と描かれている。

現在のベルギー風の駅舎が完成したのは平成16年。
その前までは、『田舎教師』の世界を漂わすような趣ある駅舎が建っていた。

駅は町の玄関口だ。
駅にはたくさんの人の“記憶”が詰まっていることだろう。

ぼくは幼い頃、祖母の自転車の後ろに乗せられて、
よく羽生駅前にあった“東武ストア”へ行っていた。
まだ保育園に上がる前のことで、
そこで買ってもらう弁当が楽しみだったのを覚えている。

祖母は毎日うどんを打っていた。
そのうどんには細く切った大根を入り混ぜていたのだが、
香りをよくするためか、
それとも量を増やす昔の人の知恵だったのかわからない。

うどんの生地はしばらく寝かせなければならない。
その間に、東武ストアに行っていたのだ。
なぜ祖母は東武ストアを選んでいたのだろう。
家から近い距離とは言えなかったし、
スーパーはほかにもあったはずである。
なのに、駅前の東武ストアに毎日出掛けていた。

ぼくは車より自転車に乗ることが多いのだが、
幼い頃に一緒に過ごした祖母の影響だと思っている。
自転車でふらふらしたり、
墓参りが好きなのも祖母がよくしていたからだ。
三つ子の魂百までのことわざは、本当だと思う。

その祖母は、ぼくが小学2年生のときに亡くなった。
若い死だった。
東武ストアもいまはない。
白い建物は残っているが、居酒屋とカラオケ屋が入っている。
駅前の風景もだいぶ変わり、
いまはベルギーの小便小僧が建っている。

あと30年もしたら、
いまの風景も大きく変わっているのだろうか。
それでもぼくは、羽生駅前に立てば、
自転車に乗って東武ストアに出掛けた祖母を思い出すのだろう。

三つ子の魂は百まで続く。
風景がどんなに変わっても。
祖母の打った大根入りのうどんと、
東武ストアの弁当の味と一緒に……



羽生駅前(埼玉県羽生市)


羽生駅自由通路に飾られた藍染め
コメント (2)
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