遺構の消えた羽生城は、
一体どんな姿をしていたのだろうか?
この謎を解くヒントに“絵図”がある。
現在、羽生城絵図と呼ばれるものは2種類ある。
「浅野文庫蔵諸国古城之図」と、
「武陽羽生古城之図」だ。
もう一つ、「東谷の絵図」と呼ばれるものがあるが、
これは正確に言うと、羽生城跡の図。
幕末に城跡に陣屋を築かれる際に、
描かれたものと考えられている。
「浅野文庫蔵諸国古城之図」に収録された絵図は、
現在のところ羽生城最古の絵図である。
広島市立図書館が所蔵し、
ときの広島藩主が、軍学研究のために集めた絵図の中に、
その一枚が収録された。
江戸初期に描かれたものと推定されている。
一方、「武陽羽生古城之図」は古くから羽生にあったらしい。
冨田勝治記の「羽生城との出合い」によると、
古物商に務めていた友人が見付け、
それを「柳八重」に見せたという。
柳氏は神主兼郷土史家であり、
そこから二人の交流が始まったと記されている。
この二つの絵図は、比べてみるといくつかの違いがある。
大きな違いは、南を覆っていた大沼が陸地化し、
小沼が2つ残っているだけになっている点だろう。
羽生城は大沼を背景に築かれた平城だった。
その沼の大きさは、「正保年中改定図」に描かれているように、
8ヶ村にまたがるものだった。
現在の羽生市役所の辺りは湿地帯で、
沼がいくつか残っていたというが、
それはその大沼の名残だろう。
そもそも、「城沼」という地名がいまでも使われている。
絵図の中央にあって、丸い形をした曲輪(くるわ)が本丸である。
西へ行くごとに、二の丸、三の丸となる。
絵図の北東に描かれているのが、天神曲輪である。
『新編武蔵風土記稿』に「城ありし頃は天神曲輪と云り」とあるように、
現在の古城天満宮と比定される。
最西が城下町であり、
本町通り示すと思われる線と道が描かれている。
現在の風景に、この絵図を重ねることは容易ではない。
かなり想像力をたくましくしないと見えてこない。
現在郷土資料館で開催されている「冨田勝治展」では、
本物ではないものの、
この2枚の羽生城絵図を見ることができる。
11月に出版された『羽生城と木戸氏』(戎光祥出版)の表紙を飾っているのも、
武陽羽生古城之図である。
城の遺構は全て消えてしまい、
「お城」の雰囲気を味わうことができない。
地面はアスファルトに覆われ、
沼の名残もない。
しかし、確かにそこに上杉謙信に仕え、
戦国乱世に翻弄された城があったことを、
2枚の絵図は伝えている。
古城天満宮(埼玉県羽生市東5丁目)に建っている羽生城絵図の看板。
これは「武陽羽生古城之図」を参考にしたもの
『羽生城と木戸氏』(冨田勝治著 戎光祥出版社)
この本の表紙を飾っているのは「武陽羽生古城之図」である。
<企画展「「放課後の羽生城」のモデル 冨田勝治の蔵書から」>
期間:平成22年10月23日(土)~11月28日(日)
会場:羽生市立図書館・郷土資料館展示室
開館時間:9時~17時
入館料:無料
休館日:毎週火曜日(11月23日は開館)、10月28日、11月24日、11月25日が休館
羽生市立図書館・郷土資料館ホームページ
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/
一体どんな姿をしていたのだろうか?
この謎を解くヒントに“絵図”がある。
現在、羽生城絵図と呼ばれるものは2種類ある。
「浅野文庫蔵諸国古城之図」と、
「武陽羽生古城之図」だ。
もう一つ、「東谷の絵図」と呼ばれるものがあるが、
これは正確に言うと、羽生城跡の図。
幕末に城跡に陣屋を築かれる際に、
描かれたものと考えられている。
「浅野文庫蔵諸国古城之図」に収録された絵図は、
現在のところ羽生城最古の絵図である。
広島市立図書館が所蔵し、
ときの広島藩主が、軍学研究のために集めた絵図の中に、
その一枚が収録された。
江戸初期に描かれたものと推定されている。
一方、「武陽羽生古城之図」は古くから羽生にあったらしい。
冨田勝治記の「羽生城との出合い」によると、
古物商に務めていた友人が見付け、
それを「柳八重」に見せたという。
柳氏は神主兼郷土史家であり、
そこから二人の交流が始まったと記されている。
この二つの絵図は、比べてみるといくつかの違いがある。
大きな違いは、南を覆っていた大沼が陸地化し、
小沼が2つ残っているだけになっている点だろう。
羽生城は大沼を背景に築かれた平城だった。
その沼の大きさは、「正保年中改定図」に描かれているように、
8ヶ村にまたがるものだった。
現在の羽生市役所の辺りは湿地帯で、
沼がいくつか残っていたというが、
それはその大沼の名残だろう。
そもそも、「城沼」という地名がいまでも使われている。
絵図の中央にあって、丸い形をした曲輪(くるわ)が本丸である。
西へ行くごとに、二の丸、三の丸となる。
絵図の北東に描かれているのが、天神曲輪である。
『新編武蔵風土記稿』に「城ありし頃は天神曲輪と云り」とあるように、
現在の古城天満宮と比定される。
最西が城下町であり、
本町通り示すと思われる線と道が描かれている。
現在の風景に、この絵図を重ねることは容易ではない。
かなり想像力をたくましくしないと見えてこない。
現在郷土資料館で開催されている「冨田勝治展」では、
本物ではないものの、
この2枚の羽生城絵図を見ることができる。
11月に出版された『羽生城と木戸氏』(戎光祥出版)の表紙を飾っているのも、
武陽羽生古城之図である。
城の遺構は全て消えてしまい、
「お城」の雰囲気を味わうことができない。
地面はアスファルトに覆われ、
沼の名残もない。
しかし、確かにそこに上杉謙信に仕え、
戦国乱世に翻弄された城があったことを、
2枚の絵図は伝えている。
古城天満宮(埼玉県羽生市東5丁目)に建っている羽生城絵図の看板。
これは「武陽羽生古城之図」を参考にしたもの
『羽生城と木戸氏』(冨田勝治著 戎光祥出版社)
この本の表紙を飾っているのは「武陽羽生古城之図」である。
<企画展「「放課後の羽生城」のモデル 冨田勝治の蔵書から」>
期間:平成22年10月23日(土)~11月28日(日)
会場:羽生市立図書館・郷土資料館展示室
開館時間:9時~17時
入館料:無料
休館日:毎週火曜日(11月23日は開館)、10月28日、11月24日、11月25日が休館
羽生市立図書館・郷土資料館ホームページ
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/