クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

『田舎教師』の主人公の“モデル”はどこで生まれた?

2010年11月22日 | ブンガク部屋
田山花袋の小説『田舎教師』に登場する主人公「林清三」は、
実在した“小林秀三”をモデルにした人物である。

夢を抱きながらも田舎の代用教員となり、
葛藤や焦燥、不安や決意、揺れ動く明治の青年が描かれている。
そして、若くして病に冒され、
志半ばにして逝ってしまう……

埼玉県羽生市を舞台にしたこの小説は、
田山花袋の代表作の一つに数えられ、
いまなお読み継がれている。
同市には、秀三の墓碑が実在。
いまも秀三を偲ぶ「夕雲忌」が毎年行われている。

ところで、最期を羽生で迎えた秀三だが、
生まれは埼玉ではない。
栃木県足利である。
明治17年3月11日、足利郡小俣村で産声を上げた。

同25年、足利町の大火が起こる。
もし、この大火がなければ、秀三は羽生の代用教員になることも、
花袋が『田舎教師』を書くこともなかったかもしれない。

同26年、一家は熊谷に引っ越し、秀三も埼玉に足を踏み入れた。
以後、秀三は埼玉の学校に通う。
熊谷中学校(現県立熊谷高校)に入学したとき、
一年間だけ“弘中又一”から数学の授業を受けた。

この弘中又一こそ、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の主人公のモデルである。
明治を代表する小説のモデルが、
教師と生徒という立場で同じ学校にいたことになる。

小林家は忍町(現行田市)に転居。
秀三は学校卒業後、
三田ヶ谷村(現羽生市)の弥勒高等小学校の代用教員となった。
忍町から三田ヶ谷村まで歩いて通っていたが、
のちに羽生の建福寺に移り住む。

建福寺の住職は、新体詩人として知られた“太田玉茗”であり、
玉茗と親交のあった花袋は、
このとき秀三の姿を見掛けている。
花袋は、のちに秀三をモデルにした小説を書こうとは、
そのとき思いもしなかっただろう。

やがて秀三は寺を出て、
羽生町の借家で暮らすようになる。
そこが、彼の終焉の地となってしまう。
いち田舎教師として生きようと決意した矢先、
病魔に冒され帰らぬ人となるのである。

その数年後、花袋は秀三の日記を参考に羽生を踏査し、
ペンを執る。
そして、明治42年に『田舎教師』を刊行するのである。



建福寺(埼玉県羽生市)



小林秀三終焉の地



小俣駅(栃木県足利市)
コメント
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