くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

球根うう、ううう......

2006-11-06 12:17:18 | ノンジャンル


底抜けの空を賜り球根植う
堀 佐夜子

佐久に造った小さな庭に、やっと球根を植えました。
野良仕事の合間に腰を伸ばすと、秋の浅間が。
すぐ目の前なのに、この半年というもの、作業に追われて一度も登ってないんですよ。
あぁなさけない。

それに、数日前、新宿御苑でドングリ拾いに熱中した後だったんで、ケツから股の筋肉が伸ばされちゃって痛かったのよね。
ホント、この頃運動不足とデブが祟って、こんなんじゃ北岳だの穂高だの行ってたら遭難すること確実と言うほどの体のなまりよう。
なので「球根植う」ってのは秋の季語ですが、実際この日は「球根植う、ううう......」ってな感じで結構手こずりました。
「歳はとりたくないねぇ....あ、どっこいしょっと」
「痛たたた、ふひ~」ってな感じ。


ポール・スミザー風に言えば、「ばらまきメソード」で自然風に植え付けているところ。
この日一日で1000球以上の球根を一気に植えました。



こんな風に日照条件などに応じて同じ種類や同じ色合いの品種の球根をばらまいて、次々とその場に埋めていきます。
そうすると、全体としては野山に自然に生えているかのような自然風の植え込みになるってな訳です。

所々に大小の塊を造るのが、自然風に見せるコツと言えばコツかしらね。


ムスカリみたいにとんでもない数を植えるのには、こんな事いちいちやってられません。
キュ-ケンホフのまねごとと言われようが、林の中を流れる川よろしく帯状に球根をばらまいていって後から土をかぶせます。


最後に温かい腐葉土のお布団を掛けてできあがり。
でも、こんなんでホントに大丈夫なんかしらん?
佐久の冬は、雪無しのー15度。
雪に埋もれてれば、地温はせいぜい0度近辺で済むんですがね、吹きっさらしとなると、ひょっとすると球根の冷凍物ができあがるかも知れません。
いろんな意味で、来春が楽しみです。>汗


さて、野良仕事はこれだけでは終わりません。
近くの休耕田に出かけていってノハラアザミの種子を集めます。
えぇ、春咲くのがノアザミ、秋咲くのがノハラアザミなんだそうですよ。

集める時の重要なポイントは、なるべくいろんな株から少しずつ種を集めること。
そうすることで、もともとこの植物が持っていた遺伝的な多様性を極端に失うことを防ぐことが出来るんです。


なんでそんなことを気にするかって?
他にも色々理由はあるけれど、だって、その方が遙かに長い間花期を楽しめるからですよ。


これがまた、軍手をしていてもチクチクしてねぇ。
集めた種をまいておけば、来年の秋には美しい紫色の花が一面に咲いてくれることでしょう。
で、やがてそれが沢山の種を結んで、隣近所に飛んでいく。
......植物を使ったテロというかレジスタンスというか.....。
A(^_^;

奥山に鹿ぞ鳴くなる

2006-11-04 16:04:46 | ノンジャンル


 奥山に鹿ぞ鳴くなる
 秋はくるなり

誰の句だったか.....
今年もまた、美ヶ原経由で鹿教湯(かけゆ)温泉に行ってきました。
電波もろくに通わないところです。


尾根道の千草もあらかた咲き終わって、花よりも実の美しき。



カラマツの紅葉ばかりが、やけに色鮮やかでした。
パソコンのデーター通信用に持ち歩いているPHSはもとより携帯も圏外で、静かな秋を満喫できますのよ。


気の早い秋の夕暮れが迫ってくると、山襞のおちこちで鹿の鳴く声が木霊します。
「万葉集: 鹿(しか)を詠んだ歌」ってのを眺めてみると、なんと68首もあるんですねぇ。

 山彦の
 相響むまで妻恋ひに
 鹿鳴く山辺に
 独りのみして

 草枕
 旅を苦しみ恋ひ居れば
 可也の山辺に
 さを鹿鳴くも

何とも、身につまされる句も。


さて、お不動さんをお参りするにはマジソン郡の橋を渡らなければいけませんが、実の妹との2人旅ゆえ大人の恋に現をぬかすわけにもいきません。


♪山がぁ~燃えるぅ~
 戻れなくてももう良いのぉ~♪

ってな事言う以前に、散歩道の先の吊り橋も先月だかの豪雨で崩れかけて通行止めときている。
戻るどころか、イクにイケないってな始末。
温泉につかって大人しくするしか他ありません。


鄙びた湯治場では粋な男に巡り会えるはずもなく、ダシの出そうな爺の湯につかる以外は人間狩りならぬ紅葉狩りと洒落こむ他はありませんでした。
で、こいつは、日本海側に多いオオモミジです。


そしてこちらはイタヤカエデ。
ちなみに、カエデというのは、葉っぱの形がカエルの手に似ているところから着いたんだそうで、このイタヤカエデを見ていると、さもありなんと合点が行くのでありました。


と、まぁ、この湯治場、色っぽいところはまるでないんですが、そこはほれ、ちゃんと歴史のある湯治場だけのことはあって、軒下の傾いたようなそば屋にふらりと入っても、それはもう新蕎麦の薫り高い蕎麦掻きと蕎麦焼酎の蕎麦湯割りが格安で楽しめるあたり、なかなか素敵なのではないかしらん。

そのへんがね、都会やおちゃらけた観光地の気取ったそば屋なんかで見かけるところの、能書きと蘊蓄にまみれた高慢ちきな粗食とは一線を画した、実直な味わいの喜びをかみしめられる田舎町の良さなのではないでしょうかねぇ?