「古代語で「サッ」という音そのものが、境界を意味していた。
人間の世界の外にあるどこか不思議な領域から、その境界を越えて何か重大な価値をもつものがあらわれてくるというのが、古代の人間の愛好する思考法である。
この世にあるものの価値や数が増殖をおこすのは、きまってミサキにおいてでなければならなかった。
そこでなにかにつけて、さきっぽに関わるものには関心が払われた。そういう地形があれば、かならずそれは「サッ」という音にまつわる地名を与えられて、列島上いたるところにミサキやオザキなどと呼ばれる場所ができた。そこで現実になにがおこるというわけでもないのだけれど、さきっぽ、先端、岬などを見つけると、人間の心は妖しくざわめく。」
中沢新一「アースダイバー」から
氏は続けている。
そんな場所に縄文時代の遺跡が残され、弥生時代の墳墓が造られ、その上に神社仏閣が建てられたのだと。
縄文時代に、関東平野の大部分が海の底だった。渋谷や六本木の高台は当時の岬だった場所なんだそうな。
彼の本につけられている縄文海進のころの地図を見て、ある事を思い出した。
で、コンサートの時間よりもかなり早めに出て、この上野岬を探険してみる事にしたのだよ。
実際そこについてみると、思った以上の収穫があった。
横道にそれるので、チョコッとだけ紹介しよう。
西郷さんの横に、こんな石碑があったなんて、知ってた?
東京市?
さてと、いきなり本題に入ろう。
その、上野の小山のすぐ脇に不忍池がありますよね。
縄文時代には深い入り江だった場所が、次第に土砂で埋まって湖になり、海水の後退により沼沢となり、はては池となったのだと。それがおおむね室町時代(1336~1573)と推定されている。
不忍池にぽっかりと浮かぶ、弁天様のお社。
このお社の建つ中島という島のうしろに、聖天島という小さな島があるのはご存じかな?
実は、今回のメインはそこだったのだよ。
ぐふふふふふ。
何を撮りに行ってきたかって言うとね、これなのよ。
いやぁ~ん、堅くて太くて無理無理無理~~~っ!
って、そんな感じの.......。>バキッ!
ごっくん。
すごいでしょ?
でもね、これ、れっきとした神様だったのだ。
前から見るとね、
髭地蔵とも呼ばれ、日本書紀に起源を持つ、岐神(ふなとのかみ)のお姿でございます。
たまに田舎道で見かける道祖神ってわけです。
フナトノカミとは子孫を死者の数より多く生ませる霊力を持った神でその形は男根で表現され、このような石像は、本州には沢山あるんだそうです。
フトナガノカミじゃありませんからね、念のため。
なんでまたこんなラブリーな形になっているかと言うと、道祖神のような道の神様は、村はずれの境界や道の接点にあって邪悪なものが入ってくるのを防ぐ=塞ぐ。接して塞(ふさ)ぐもの=男性器だからなんだそうです。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/terahaku/tokutensaru.htm
古代の街道が交わる所はチマタ(巷、衢、岐など)と呼よばれ、交通の要衝で、市が立ち、交易が行われた。つまり、岐神(ふなとのかみ)ってのは、ちまたの神様なんですねぇ。
でも、ちょっと待ってくださいな。
その、ちまたの神様が、なんでまた沼の真ん中にぽっかり浮かんだ小島に祀られてるのか?
謎は深まるばかり。
んで、もちっと調べてみるとこんな事が書いてあった。
[チマタには、道祖神、塞ノ神、猿田彦、地蔵、馬頭観音などを祭った。中でも猿田彦は異例である。天八衢を守るが、他のチマタが水平的な分岐なのに対し、天八衢は地上と高天原という垂直的な分岐点となっている。]
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books087.htm
なるほど。
この神様は、天と地との境目を守ってる、猿田彦なわけだ。
で、猿田彦を調べてみると、あ~らびっくり。
こんなのが紹介されてるじゃないのさ。
【サタ・サダ=サルタ=猿田】
猿田彦のところで、サルタは元々はサタ・サダと発音していたと話しましたが、このサタは「境界」「接点」を意味します。
たとえば、陸と海の境にあるにサタのつく岬も、定の鼻(三重)、佐陀本郷(島根)、佐田岬(愛媛)、蹉陀岬(高知)、佐多岬(鹿児島)等在ります。その他、境界に関する地形的詳細は確認していませんが、サダ(佐田、佐陀、佐多等)とつく地名も沢山あります。しかし何故か、この<サタ>の付く場所は近畿以南にしかありません。ということで、今後の研究材料として残しておきます。
このように境界にいる神は、[良いもの]には道案内としてその先導役を務め(祭礼の、神輿御渡の先導役)。逆に邪悪なものは村に入って来ないようにする守り神としての役割を持つことから、猿田彦は、「衢(=岐)神」「道の神(道祖神)」「賽の神」となって信仰されています。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/terahaku/tokutensaru.htm
「サッ」と「サタ」と猿田。
「アースダイバー」の地図に惹かれて何となく来てみた不忍池。
我ながら、勘が良い事だと、ちょっとあきれている。
そこに立っていた猿田彦のチンコは、この世とあの世の狭間で僕らを見守ってくれているって訳。
今でも、上野の町がぼくたち男根崇拝者の街だってのは、なんだか素敵だと思いませんか?
ぼくたちも心と体の狭間から邪悪なものが入るのを防ぐために、日夜、岐神(ふなとのかみ)の御利益にあずかる行為に精を出してるってことになるんですから。
素敵なさきっぽで、さっさと塞がなくっちゃ!
ちなみに、このお地蔵さんのある小島は、現在柵が設けられカギが掛けられて立ち入り禁止になってます。
その昔、ずいぶんな発展場だったそうでねぇ。
人間の世界の外にあるどこか不思議な領域から、その境界を越えて何か重大な価値をもつものがあらわれてくるというのが、古代の人間の愛好する思考法である。
この世にあるものの価値や数が増殖をおこすのは、きまってミサキにおいてでなければならなかった。
そこでなにかにつけて、さきっぽに関わるものには関心が払われた。そういう地形があれば、かならずそれは「サッ」という音にまつわる地名を与えられて、列島上いたるところにミサキやオザキなどと呼ばれる場所ができた。そこで現実になにがおこるというわけでもないのだけれど、さきっぽ、先端、岬などを見つけると、人間の心は妖しくざわめく。」
中沢新一「アースダイバー」から
氏は続けている。
そんな場所に縄文時代の遺跡が残され、弥生時代の墳墓が造られ、その上に神社仏閣が建てられたのだと。
縄文時代に、関東平野の大部分が海の底だった。渋谷や六本木の高台は当時の岬だった場所なんだそうな。
彼の本につけられている縄文海進のころの地図を見て、ある事を思い出した。
で、コンサートの時間よりもかなり早めに出て、この上野岬を探険してみる事にしたのだよ。
実際そこについてみると、思った以上の収穫があった。
横道にそれるので、チョコッとだけ紹介しよう。
西郷さんの横に、こんな石碑があったなんて、知ってた?
東京市?
さてと、いきなり本題に入ろう。
その、上野の小山のすぐ脇に不忍池がありますよね。
縄文時代には深い入り江だった場所が、次第に土砂で埋まって湖になり、海水の後退により沼沢となり、はては池となったのだと。それがおおむね室町時代(1336~1573)と推定されている。
不忍池にぽっかりと浮かぶ、弁天様のお社。
このお社の建つ中島という島のうしろに、聖天島という小さな島があるのはご存じかな?
実は、今回のメインはそこだったのだよ。
ぐふふふふふ。
何を撮りに行ってきたかって言うとね、これなのよ。
いやぁ~ん、堅くて太くて無理無理無理~~~っ!
って、そんな感じの.......。>バキッ!
ごっくん。
すごいでしょ?
でもね、これ、れっきとした神様だったのだ。
前から見るとね、
髭地蔵とも呼ばれ、日本書紀に起源を持つ、岐神(ふなとのかみ)のお姿でございます。
たまに田舎道で見かける道祖神ってわけです。
フナトノカミとは子孫を死者の数より多く生ませる霊力を持った神でその形は男根で表現され、このような石像は、本州には沢山あるんだそうです。
フトナガノカミじゃありませんからね、念のため。
なんでまたこんなラブリーな形になっているかと言うと、道祖神のような道の神様は、村はずれの境界や道の接点にあって邪悪なものが入ってくるのを防ぐ=塞ぐ。接して塞(ふさ)ぐもの=男性器だからなんだそうです。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/terahaku/tokutensaru.htm
古代の街道が交わる所はチマタ(巷、衢、岐など)と呼よばれ、交通の要衝で、市が立ち、交易が行われた。つまり、岐神(ふなとのかみ)ってのは、ちまたの神様なんですねぇ。
でも、ちょっと待ってくださいな。
その、ちまたの神様が、なんでまた沼の真ん中にぽっかり浮かんだ小島に祀られてるのか?
謎は深まるばかり。
んで、もちっと調べてみるとこんな事が書いてあった。
[チマタには、道祖神、塞ノ神、猿田彦、地蔵、馬頭観音などを祭った。中でも猿田彦は異例である。天八衢を守るが、他のチマタが水平的な分岐なのに対し、天八衢は地上と高天原という垂直的な分岐点となっている。]
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books087.htm
なるほど。
この神様は、天と地との境目を守ってる、猿田彦なわけだ。
で、猿田彦を調べてみると、あ~らびっくり。
こんなのが紹介されてるじゃないのさ。
【サタ・サダ=サルタ=猿田】
猿田彦のところで、サルタは元々はサタ・サダと発音していたと話しましたが、このサタは「境界」「接点」を意味します。
たとえば、陸と海の境にあるにサタのつく岬も、定の鼻(三重)、佐陀本郷(島根)、佐田岬(愛媛)、蹉陀岬(高知)、佐多岬(鹿児島)等在ります。その他、境界に関する地形的詳細は確認していませんが、サダ(佐田、佐陀、佐多等)とつく地名も沢山あります。しかし何故か、この<サタ>の付く場所は近畿以南にしかありません。ということで、今後の研究材料として残しておきます。
このように境界にいる神は、[良いもの]には道案内としてその先導役を務め(祭礼の、神輿御渡の先導役)。逆に邪悪なものは村に入って来ないようにする守り神としての役割を持つことから、猿田彦は、「衢(=岐)神」「道の神(道祖神)」「賽の神」となって信仰されています。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/terahaku/tokutensaru.htm
「サッ」と「サタ」と猿田。
「アースダイバー」の地図に惹かれて何となく来てみた不忍池。
我ながら、勘が良い事だと、ちょっとあきれている。
そこに立っていた猿田彦のチンコは、この世とあの世の狭間で僕らを見守ってくれているって訳。
今でも、上野の町がぼくたち男根崇拝者の街だってのは、なんだか素敵だと思いませんか?
ぼくたちも心と体の狭間から邪悪なものが入るのを防ぐために、日夜、岐神(ふなとのかみ)の御利益にあずかる行為に精を出してるってことになるんですから。
素敵なさきっぽで、さっさと塞がなくっちゃ!
ちなみに、このお地蔵さんのある小島は、現在柵が設けられカギが掛けられて立ち入り禁止になってます。
その昔、ずいぶんな発展場だったそうでねぇ。