人の写真を撮るようになって、いろいろと考えるようになった。
以前書いたのは、僕は写真を通じて、僕の幻想を撮っているに過ぎないと言うことだった。
ときとして、2人の全くの別人を撮った写真でさえ、ほとんど第三者と言っても良いような人物に写っていたりする。それは、モデルになってくれた2人の人間の普段の表情とはほとんど無縁と言っても良いような、僕が思い描いている架空の人物の影なのだ。
僕は、人がポーズをとっている、そんな写真を撮りたいとは思わない。
何か一連の動作の中のほんの一瞬。
表情から表情へと変化していく時の、名付けがたい移ろいの瞬間、
そんな命の刹那を撮りたいと思っていたりする。
先日、「体道●日本のボディービルダーたち」という本を見せてもらった。
1966年11月23日に発行されたものだ。
三島由紀夫がその本に寄せた序文に「肉体文化」という言葉があった。
「われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民俗的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。」
この序文は、彼がぼくたちに残していってくれた、肉体という物体、目に見える形、人間の外形を通して、ぼくたちが何を捉えうるのかと言うことに関する、精神的遺産のようにも思うのだ。
今はもう手に入れることなど困難な本なので、その序文を紹介しておこうと思うのだよ。
体道●日本のボディービルダーたち
著者 矢面 保
序 三島由紀夫
矢頭保氏がこのたび、日本で最初といふべきボディ・ビルダーの写真集を出す。この本にもあとがきを書かれる筈の玉利斉氏に、十一年前手ほどきをうけてこの道へ入った私が、かうやって序文を書くことになったとは、光栄でもあり感慨無量でもある。
私はかねがね、日本にボディ・ビルダーの専門的写真家がないことを嘆いてゐた。レオナルド・ダ・ヴィンチが解剖学の知識によってルネッサンス美術の人間性復活の技術的基礎を獲得したやうに、人間の筋肉に関する精密な実際的知識がなくては、ボディ・ビルダーの写真作品を、写真芸術にまで高めることはできない。その久しい待望が、矢頭保氏の出現によって充たされたのである。なぜなら、矢頭氏は、氏自身ボディ・ビルダーであり、筋肉の精華の何たるかを知り、その微妙な生理を知悉し、一方、写真家として、光りと影が生み出す形象の無限のニュアンスを知り、……かくてこの写真集に見られるやうに、日本ではじめて、男性の筋肉の、力、均整美、光輝、憂愁、そしてその詩のすべてを表現することに成功したからである。
思へば、ボディ・ビルディングとは、もっとも日本の文化伝統に欠けてゐたものの、新しい移植であった。われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民俗的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。明治時代に、裸体彫刻が猿股を穿かされかかつた逸話は、数多く知られてゐる。
戦後の日本の肉体解放は、主にセックスの面で表面に現はれたが、別の、精神史的な面における肉体解放は、表立ちもせず、意識されもせず、深く探究されることもなかった。セックス以外の面では、人々の心には、暗い古い儒数的な肉体蔑視が、色々に形を変へてひそんでゐた。西欧化が表面上行きわたつたかのように見える現代日本で、かつての古いギリシアの知恵、一 太陽の下における精神と肉体の均衡を、至上の人間的価値とみとめ、精神におけると同様に、肉体にも、何か美しく高貴な、内在的にして同時に超越的な、文化価値を賦与するといふ知恵 一 は、全く忘れ去られてゐた。そしてそのままに、まつしぐらに、工業化の必然的傾向である人間の細分化、機能化、専門化、要するに非人間化へ向って、なだれ込みつつあるのである。
いくら我田引水でも、私はボディ・ビルディングが、この欠陥をすべて是正する救世の福音だと説かうとするわけではない。
しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな、かっての日本人が夢想もしなかった逞しい均整のとれた体躯を育て上げてゐた一群の青年たちがゐたのである。竹山道雄氏が随想の中で書いてゐるやうに、日本人の青年の肉体は、かうして見ると、古代ギリシアの美学的基準に忠実な点では、おどろくべきものがあり、ラフカデイオ・ハーンが、かつて、日本人を「東洋のギリシア人」と呼んだことも思ひ合せられる。
日本文化の特徴は、外来の文化をまづ忠実に模倣して、その極点で転回して、日本化してしまふといふ過程に見出される。ボディ・ビルディングの日本における戦後の普及は、もちろんアメリカの影響であり、その背後には、あの広大な光りと富に溢れた国のローマ帝国的な古代異教文化の復活が感じられるが、日本のボディ・ビルディングには、今や、それなりに、日本の過去に欠けてゐた肉体文化の補填といふ意味以上に、何か、肉体における日本的精神的価値の復活といふ、今まで考へられなかった異質の観念の結合の意味が、合まれてゐるやうに思はれる。
もともと「葉隠」にもあるやうに、武士の倫理における外面性の重視は、武士の良心に深く関はってゐた。登城するときに、昨夜の二日酔がのこって青白い顔をしてゐるよりも、元気よく見せるために、頬に紅粉を引くことが奨励されてゐた。又、戦の門出に兜に香をたき込めたり、切腹の前に死化粧をしたりすることは、武士のたしなみとされてゐた。あらゆる外面的礼儀が日本人から失はれた現在、日本人は、同時に自分の良心の採り処を失ったのである。それは武士道に永いこと育てられたわれわれの心の、ふしぎな逆説的結果である。
そのとき登場するものは何だらうか? すべての古い衣裳が失はれた今、日本人の唯一の外面的規範を代表するものは何だらうか? それこそ、力強い、逞しい、男らしい肉体ではなからうか? そしてその肉体に代るほど、堅固な拠り処となる思想も観念も、われわれはもはや持ってはゐないのである。そのとき、このやうな、礼節正しい、すがすがしい力にあふれた肉体は、はじめて日本人にとって、一つの文化的価値となるのではなからうか?
最後に、この集には、矢頭氏によって撮られた私自身の、ボディ・ビルダーとしての写真も入ってゐる。日本の建築には、逆柱といふものがある。あまり建築が完璧であると魔が射すといふ迷信から、わざと一本、逆さの柱を立てて、建築の完璧性を崩すのである。私の写真を矢頭氏が入れた真意も、この逆柱にあるのだらうと私は睨んでゐる。
かくてこの写真集も魔障の影をのがれ、人々の祝福のうちに、幸運な落成式を迎へることになるであらう。
以前書いたのは、僕は写真を通じて、僕の幻想を撮っているに過ぎないと言うことだった。
ときとして、2人の全くの別人を撮った写真でさえ、ほとんど第三者と言っても良いような人物に写っていたりする。それは、モデルになってくれた2人の人間の普段の表情とはほとんど無縁と言っても良いような、僕が思い描いている架空の人物の影なのだ。
僕は、人がポーズをとっている、そんな写真を撮りたいとは思わない。
何か一連の動作の中のほんの一瞬。
表情から表情へと変化していく時の、名付けがたい移ろいの瞬間、
そんな命の刹那を撮りたいと思っていたりする。
先日、「体道●日本のボディービルダーたち」という本を見せてもらった。
1966年11月23日に発行されたものだ。
三島由紀夫がその本に寄せた序文に「肉体文化」という言葉があった。
「われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民俗的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。」
この序文は、彼がぼくたちに残していってくれた、肉体という物体、目に見える形、人間の外形を通して、ぼくたちが何を捉えうるのかと言うことに関する、精神的遺産のようにも思うのだ。
今はもう手に入れることなど困難な本なので、その序文を紹介しておこうと思うのだよ。
体道●日本のボディービルダーたち
著者 矢面 保
序 三島由紀夫
矢頭保氏がこのたび、日本で最初といふべきボディ・ビルダーの写真集を出す。この本にもあとがきを書かれる筈の玉利斉氏に、十一年前手ほどきをうけてこの道へ入った私が、かうやって序文を書くことになったとは、光栄でもあり感慨無量でもある。
私はかねがね、日本にボディ・ビルダーの専門的写真家がないことを嘆いてゐた。レオナルド・ダ・ヴィンチが解剖学の知識によってルネッサンス美術の人間性復活の技術的基礎を獲得したやうに、人間の筋肉に関する精密な実際的知識がなくては、ボディ・ビルダーの写真作品を、写真芸術にまで高めることはできない。その久しい待望が、矢頭保氏の出現によって充たされたのである。なぜなら、矢頭氏は、氏自身ボディ・ビルダーであり、筋肉の精華の何たるかを知り、その微妙な生理を知悉し、一方、写真家として、光りと影が生み出す形象の無限のニュアンスを知り、……かくてこの写真集に見られるやうに、日本ではじめて、男性の筋肉の、力、均整美、光輝、憂愁、そしてその詩のすべてを表現することに成功したからである。
思へば、ボディ・ビルディングとは、もっとも日本の文化伝統に欠けてゐたものの、新しい移植であった。われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民俗的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。明治時代に、裸体彫刻が猿股を穿かされかかつた逸話は、数多く知られてゐる。
戦後の日本の肉体解放は、主にセックスの面で表面に現はれたが、別の、精神史的な面における肉体解放は、表立ちもせず、意識されもせず、深く探究されることもなかった。セックス以外の面では、人々の心には、暗い古い儒数的な肉体蔑視が、色々に形を変へてひそんでゐた。西欧化が表面上行きわたつたかのように見える現代日本で、かつての古いギリシアの知恵、一 太陽の下における精神と肉体の均衡を、至上の人間的価値とみとめ、精神におけると同様に、肉体にも、何か美しく高貴な、内在的にして同時に超越的な、文化価値を賦与するといふ知恵 一 は、全く忘れ去られてゐた。そしてそのままに、まつしぐらに、工業化の必然的傾向である人間の細分化、機能化、専門化、要するに非人間化へ向って、なだれ込みつつあるのである。
いくら我田引水でも、私はボディ・ビルディングが、この欠陥をすべて是正する救世の福音だと説かうとするわけではない。
しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな、かっての日本人が夢想もしなかった逞しい均整のとれた体躯を育て上げてゐた一群の青年たちがゐたのである。竹山道雄氏が随想の中で書いてゐるやうに、日本人の青年の肉体は、かうして見ると、古代ギリシアの美学的基準に忠実な点では、おどろくべきものがあり、ラフカデイオ・ハーンが、かつて、日本人を「東洋のギリシア人」と呼んだことも思ひ合せられる。
日本文化の特徴は、外来の文化をまづ忠実に模倣して、その極点で転回して、日本化してしまふといふ過程に見出される。ボディ・ビルディングの日本における戦後の普及は、もちろんアメリカの影響であり、その背後には、あの広大な光りと富に溢れた国のローマ帝国的な古代異教文化の復活が感じられるが、日本のボディ・ビルディングには、今や、それなりに、日本の過去に欠けてゐた肉体文化の補填といふ意味以上に、何か、肉体における日本的精神的価値の復活といふ、今まで考へられなかった異質の観念の結合の意味が、合まれてゐるやうに思はれる。
もともと「葉隠」にもあるやうに、武士の倫理における外面性の重視は、武士の良心に深く関はってゐた。登城するときに、昨夜の二日酔がのこって青白い顔をしてゐるよりも、元気よく見せるために、頬に紅粉を引くことが奨励されてゐた。又、戦の門出に兜に香をたき込めたり、切腹の前に死化粧をしたりすることは、武士のたしなみとされてゐた。あらゆる外面的礼儀が日本人から失はれた現在、日本人は、同時に自分の良心の採り処を失ったのである。それは武士道に永いこと育てられたわれわれの心の、ふしぎな逆説的結果である。
そのとき登場するものは何だらうか? すべての古い衣裳が失はれた今、日本人の唯一の外面的規範を代表するものは何だらうか? それこそ、力強い、逞しい、男らしい肉体ではなからうか? そしてその肉体に代るほど、堅固な拠り処となる思想も観念も、われわれはもはや持ってはゐないのである。そのとき、このやうな、礼節正しい、すがすがしい力にあふれた肉体は、はじめて日本人にとって、一つの文化的価値となるのではなからうか?
最後に、この集には、矢頭氏によって撮られた私自身の、ボディ・ビルダーとしての写真も入ってゐる。日本の建築には、逆柱といふものがある。あまり建築が完璧であると魔が射すといふ迷信から、わざと一本、逆さの柱を立てて、建築の完璧性を崩すのである。私の写真を矢頭氏が入れた真意も、この逆柱にあるのだらうと私は睨んでゐる。
かくてこの写真集も魔障の影をのがれ、人々の祝福のうちに、幸運な落成式を迎へることになるであらう。