思えば、僕は、日本列島住民。
日本人という自覚がどうもない。
日本という国が、どうも居心地が悪い。
前に書いたかも知れないけど、バリ島のある村に僕にそっくりな人たちがどっさり住んでいた。
あぁ、ここが僕のルーツなんだなぁって思ったものだよ。
で、僕の祖先は過酷な舟旅の後に日本列島に移り住んでから、おそらく北方民族系の人と恋に落ちたらしい。
いや、正確に言うと、別ルートで日本に定住した古モンゴロイドの系列とらしい。平たく言えば縄文人ですな。
おかげで僕は、顔立ちは生粋のバリーニアンなのに、寒冷地適応型ときたもんだ。
暑さにはめっきり弱い。
(今朝方も窓を開け放し換気扇をつけたまま、パンツ1丁で寝ていたくらい。昨日の夜は蒸し暑かったでしょう?そろそろ温暖な低地の気候に順応するよう頑張らないと、あちこちで暖房の入り始める11月にはまたまた夏ばてしてしまうに違いない。あれは、ホントにつらい)
けれど、何世代かの交配の過程で、北方民族の血を証明する体毛を忘れてきたらしい。
体のあちこちに、むだ毛はむしろ多いくらいなのに、鯱のクランあるいは熊のクランの紋章とも言える胸毛がない。
あるいは、山岳民族だったかも知れないのだけれど。
遺伝子の不足分を補えと言う僕のDNAの声が、間断なく僕を突き動かす。
ときどき、そんな自分をもてあましている。
最近になって、肩毛があることに気がついた。
これが胸の方に生えてくれれば良かったのに、とか思うのだよ。
あはは、人生、無い物ねだりが基本よね。
自分をもてあますついでに、
ちょっと面白い記事を抜粋してみようかな。
[自分がどれだけまっとうな生き方をしているかを知るための四つの指針 ]から
http://native.way-nifty.com/native_heart/sharing_circle/index.html
トワイラー・ニッチ Twylah Nitsch (1912~)はセネカ・インディアンの、狼氏族のグランドマザーで、セネカ語の名前は「イェヘゥェノデ」「風に乗る声」という。よわい70歳になってはじめて伝統的な教えを分けあう決意をした彼女にいわせると、真実を知ったり、真実を口にしたりするだけでは、じゅうぶんに人間らしい生き方とは言えず、真実を行動に移さなくてはならないらしい。つまりわれわれは真実を生きねばならないのである。彼女は真実を生きるということの意味を知るために、自分に問いかけてみるべき四つの基本的な質問があるという。それが、以下の四つの質問である。
自分がどれだけまっとうな生き方をしているかを知るための四つの指針
1. 今こんなことをしている自分は幸福だろうか?
2. 混乱を助長するようなことをなにかしていないか?
3. 平和をもたらすためになにかしているだろうか?
4. 死後、自分はみなにいかに思い出されるだろうか?
・・・・・・・・・
さてと、まずは僕が答えてみるとしようかね。
1. 今こんなことをしている自分は幸福だろうか?
今のところ、まぁまぁでしょう。
少なくとも、不幸だとは思っていないからね。
自分の仕事に関しても、楽しんでやってるから感謝すべきでしょ。
2. 混乱を助長するようなことをなにかしていないか?
このブログを書いていることぐらいですからねぇ、たいしたことはしてないんじゃないかしらん?
3. 平和をもたらすためになにかしているだろうか?
これもたいしたことはしてないね。
僕の本は、とても間接的な効果をもたらすと期待はしているけれど。
4. 死後、自分はみなにいかに思い出されるだろうか?
もう少し頑張らないと、すぐに忘れられること請け合いですな。
これを人は、「まっとう」と言うだろうか?
解決しようもないことに、多少は悩まされたりはしているけれど、
ささやかに生きているとは思いますよ。
日本人という自覚がどうもない。
日本という国が、どうも居心地が悪い。
前に書いたかも知れないけど、バリ島のある村に僕にそっくりな人たちがどっさり住んでいた。
あぁ、ここが僕のルーツなんだなぁって思ったものだよ。
で、僕の祖先は過酷な舟旅の後に日本列島に移り住んでから、おそらく北方民族系の人と恋に落ちたらしい。
いや、正確に言うと、別ルートで日本に定住した古モンゴロイドの系列とらしい。平たく言えば縄文人ですな。
おかげで僕は、顔立ちは生粋のバリーニアンなのに、寒冷地適応型ときたもんだ。
暑さにはめっきり弱い。
(今朝方も窓を開け放し換気扇をつけたまま、パンツ1丁で寝ていたくらい。昨日の夜は蒸し暑かったでしょう?そろそろ温暖な低地の気候に順応するよう頑張らないと、あちこちで暖房の入り始める11月にはまたまた夏ばてしてしまうに違いない。あれは、ホントにつらい)
けれど、何世代かの交配の過程で、北方民族の血を証明する体毛を忘れてきたらしい。
体のあちこちに、むだ毛はむしろ多いくらいなのに、鯱のクランあるいは熊のクランの紋章とも言える胸毛がない。
あるいは、山岳民族だったかも知れないのだけれど。
遺伝子の不足分を補えと言う僕のDNAの声が、間断なく僕を突き動かす。
ときどき、そんな自分をもてあましている。
最近になって、肩毛があることに気がついた。
これが胸の方に生えてくれれば良かったのに、とか思うのだよ。
あはは、人生、無い物ねだりが基本よね。
自分をもてあますついでに、
ちょっと面白い記事を抜粋してみようかな。
[自分がどれだけまっとうな生き方をしているかを知るための四つの指針 ]から
http://native.way-nifty.com/native_heart/sharing_circle/index.html
トワイラー・ニッチ Twylah Nitsch (1912~)はセネカ・インディアンの、狼氏族のグランドマザーで、セネカ語の名前は「イェヘゥェノデ」「風に乗る声」という。よわい70歳になってはじめて伝統的な教えを分けあう決意をした彼女にいわせると、真実を知ったり、真実を口にしたりするだけでは、じゅうぶんに人間らしい生き方とは言えず、真実を行動に移さなくてはならないらしい。つまりわれわれは真実を生きねばならないのである。彼女は真実を生きるということの意味を知るために、自分に問いかけてみるべき四つの基本的な質問があるという。それが、以下の四つの質問である。
自分がどれだけまっとうな生き方をしているかを知るための四つの指針
1. 今こんなことをしている自分は幸福だろうか?
2. 混乱を助長するようなことをなにかしていないか?
3. 平和をもたらすためになにかしているだろうか?
4. 死後、自分はみなにいかに思い出されるだろうか?
・・・・・・・・・
さてと、まずは僕が答えてみるとしようかね。
1. 今こんなことをしている自分は幸福だろうか?
今のところ、まぁまぁでしょう。
少なくとも、不幸だとは思っていないからね。
自分の仕事に関しても、楽しんでやってるから感謝すべきでしょ。
2. 混乱を助長するようなことをなにかしていないか?
このブログを書いていることぐらいですからねぇ、たいしたことはしてないんじゃないかしらん?
3. 平和をもたらすためになにかしているだろうか?
これもたいしたことはしてないね。
僕の本は、とても間接的な効果をもたらすと期待はしているけれど。
4. 死後、自分はみなにいかに思い出されるだろうか?
もう少し頑張らないと、すぐに忘れられること請け合いですな。
これを人は、「まっとう」と言うだろうか?
解決しようもないことに、多少は悩まされたりはしているけれど、
ささやかに生きているとは思いますよ。