九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

天安門事件

2021年06月04日 | 日記

 1989年6月4日、

 中国の民主化を訴えた学生たちが軍に弾圧された天安門事件。

 当時、テレビに映し出された【戦車の前に立ちはだかる一人の学生】の

 映像は、今でも大方の人々の脳裏に焼き付いていることだろう。

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 ことの始まりは、同年4月15日、胡よく邦(前、総書記)の死去。

 17日、胡の死を悼んだ北京の学生たちが、黒い腕章を付け、民主化を求めてデモ。

 22日、警察当局は、学生たちに対し天安門広場からの退去を命じた。

 26日、『人民日報』は社説で学生たちの行動を「反党的」と非難。

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 5月3日、趙紫陽(総書記)が学生たちに平静を呼びかける。

 9日、北京の報道機関を代表する千人以上のジャーナリストが、

 「嘘をつくのは、もうご免だ」と書いたプラカード・デモ。

 13日、学生たちが政府との対話を要求し、広場でハンガーストに入る。

 18日、趙紫陽がハンストの学生たちを見舞う。

 百万を超える大衆がハンスト学生に呼応して通りに出る。

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 19日、李鵬首相(趙紫陽が失脚?)が戒厳令を発す。軍を北京市中心へ移動。

 21日、戒厳令実施本部が声明。兵士をのせた車両が勢揃い。

 23日、3人の男が広場の毛沢東の肖像画にペンキを。

 30日、学生たちが天安門広場に「民主の女神像」を設置、除幕式を行う。

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 6月3~4日、歩兵部隊と戦車が広場に突入。

 天安門広場を完全に制圧し、「民主の女神像」を粉砕した。

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 当局は、この事件の死者数を319人と発表したが、実際はより多いとみられる。

 趙紫陽に代り、江沢民が総書記に就く。

 江沢民は、国内の不満から目をそらさせようと、いわゆる「愛国教育」へ。

 今の中国の若者たちは、この天安門事件について「信じられない。知らない」が大多数だという。

 

コメント (2)
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