終戦の日、
安倍内閣の閣僚など4人が靖国神社へ参拝した。
その中に、現・環境相の小泉進次郎もいた。
氏曰く「躊躇はなかった。参拝がニュースにならない時代にしなければいけない」と。
このコメントに、違和感を覚えるのは私一人だけだろうか。
■
今朝の新聞を開くと、同様な想いの投稿が載っている。
川柳欄には『千年の恋も醒めたわ進次郎』と女性の有権者から。
“かたえくぼ”欄には『向かう先、靖国神社よりこちらでは? モーリシャス 小泉環境相殿』
■
私も過去に靖国へは1、2度行ったが、それは東京見物の延長みたいなもの。
だが、資料館の展示品で鉄兜や38式銃などを見ていると、ふと浮かんだのは、
“欲しがりません勝つまでは”とか“1億総玉砕”などの言葉であった。
軍国主義の美化に他ならない、と思ったものである。
■
靖国参拝は天皇陛下が範を示されているのでは、ないか。
陛下は、以前されていた参拝をA級戦犯が合祀されてから、ピタリと止められた。
これこそが、現憲法下での取るべき態度であると思われる。
躊躇する、しないの問題ではないと思うが、小泉さん、いかがです?
その点、近衛文麿や阿南惟幾らは立派だった。
近衛は「われ巣鴨に出頭せず」と東京裁判を前に自決した。また阿南陸相は「玉音放送を聞くに忍びない」と14日夜遅くに自決した。
自ら戦陣訓をたれて、捕虜の辱めを受けずと調子のいいことを言ってた本人は、かくの通りのザマ。
こんな卑劣な人間に首相や陸相などをやらせていたのは、大失敗だった。
とにかく、いつの時代でも勇ましいことを言う奴は要注意ですね。
先日の熊日のコラムの東条英機の手記の要旨。
「新爆弾に脅えソ連の参戦に腰を抜かし簡単に手を挙げるような国民は無気力なり。」
そして自身の責任は
「このような無気力な国民を戦争指導した自分の不明」。
自分は「生きて虜囚の辱めをうけるな」との戦陣訓を發した張本人が捕虜となる。
腹が立つこと大。