きょうのEテレから。
この物語は唐の宣宗のころ、すなわち800年頃の話し。
遣唐使の一員として伴小勝雄は唐の都・長安へ。
彼は日本では囲碁が得意だったので、中国の棋士との対局を望んだ。
宣宗は第一級の棋士・顧師言(こしげん)を指名し試合をさせた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/16/a61d0892f76fd70b652ac445f2cc2b9f.jpg)
こうして実現したのが、顧師言vs.伴小勝雄の日中囲碁戦。
そして、この試合で顧師言の妙手が打たれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/6e/ebae68814c4eeac173e3296d4e88994f.jpg)
図の黒石(赤いマーク)が顧師言の打った「鎮神頭(ちんしんとう)」という妙手。
この一手を見た伴小勝雄は負けを悟った、という。
■
この話しには、続きがあって、
伴は顧師言は、いったい何流の棋士かと質問した。
そばで試合を見ていた役人が、いつわって第三流と答え、
さらに付け加えて、まず第三流の者に勝って第二流、そして勝てば第一流の者と手合わせできると。
伴は長嘆一声、小国は大国に及ばないと敗北を認めた。
この物語は唐の宣宗のころ、すなわち800年頃の話し。
遣唐使の一員として伴小勝雄は唐の都・長安へ。
彼は日本では囲碁が得意だったので、中国の棋士との対局を望んだ。
宣宗は第一級の棋士・顧師言(こしげん)を指名し試合をさせた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/16/a61d0892f76fd70b652ac445f2cc2b9f.jpg)
こうして実現したのが、顧師言vs.伴小勝雄の日中囲碁戦。
そして、この試合で顧師言の妙手が打たれた。
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図の黒石(赤いマーク)が顧師言の打った「鎮神頭(ちんしんとう)」という妙手。
この一手を見た伴小勝雄は負けを悟った、という。
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この話しには、続きがあって、
伴は顧師言は、いったい何流の棋士かと質問した。
そばで試合を見ていた役人が、いつわって第三流と答え、
さらに付け加えて、まず第三流の者に勝って第二流、そして勝てば第一流の者と手合わせできると。
伴は長嘆一声、小国は大国に及ばないと敗北を認めた。