AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

中部日本・日本語学研究会(第55回)

2010年04月25日 | 研究
愛教大の学部生だった時、第1回目の研究会が開催されました。主宰が指導教官だった藤田保幸先生(現・龍谷大学)で、以来、20年近く、毎年3回を定期的に続けていらっしゃいます。富山にいた時も、広島、韓国、徳島にいた時も、ご連絡をいただいていました。愛知に戻ってきてからは、行けるだろうと思っていたのですが、土曜日の開催なので、親子日本語教室があったり、研修があったり、公開講座があったりと、なかなかうかがえませんでした。

昨日は、土曜親子日本語教室を見に行くのをやめて、こちらに来ました。

発表はお二人。

安井寿枝先生の「里見『今年竹』の自称詞」というご発表。
文学作品の中で、登場人物が自分をさす言葉に何を使っているのかということを丁寧に見て、その自称詞が使われている文脈から、「虚」の発言と「真」の発言との違いがあるのではないか、方言を使うことでそれを生み出しているのではないかというご発表でした。
その方言のネイティブではない作家というところもポイントです。
こういう内容の発表をお聞きするのは初めてでしたが、面白い視点だと思いました。語彙史の研究では結構あるのかな。文学の勉強はしなかったからなあ~。
作品であることから、作家の中の規範意識が表れているのではないかと思って聞いていました。でも、その作家の中の規範意識があるからこその使い分けか、と感じたり。
卒業論文で、談話研究をする学生さんに、用例取集でドラマを使わせたりするのですが、そこでも作家の規範意識が入るから、作られた例であることを意識するように話しますが、作られているからこそわかることもあるのですね。

続いて、高梨信乃先生の「行為要求について―日本語教育における問題と絡めて」というご発表でした。
行為要求表現についての分類をなさって、日本語指導のときに語レベル、文レベル、談話レベルでの指導が大切であることをおっしゃっていました。確かにその通り。
気になったのは、おっしゃっていることは確かにそうなのだけれど、初級に求められる、あるいは初級で指導できること、中級のこと、上級のことという峻別も必要だろうなあということ。定型的な文型指導にとどまってしまうのが初級だというご指摘でした。でも、定型的な文型指導がないと、中級には進めないのではないだろうか、と。
行為要求表現の分類は、その中上級へ進む学習者の授業には非常に役に立つと思って聞いておりました。個人的には、初級ではそういった分類よりもパターン化してもいいから、応答の的確さを抑えたいなあと思ったり。

懇親会でおしゃべりする機会もあったのですが、ほかの話題になりまして、それはそれで楽しかったです。

愛教大の先生方や大学院生さんも大勢いらっしゃっていましたよ。

日本語教育の学部生や大学院生さんは、土曜親子日本語に行っているのでいないのは当然といえば当然ですが、研究室脇のホワイトボードにこういう勉強会の案内は貼っていますから、聞きたいものがあったら、ぜひ行ってみてください。
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