story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

阪急御影

2018年06月04日 22時44分17秒 | 詩・散文

マルーン色の電車が山々や邸宅、公園などの緑の中を行く阪急御影駅

その風情は今も変わることはないが
駅北には立派なロータリーがあり
駅南には再開発ビルが並ぶ

この話は今からおよそ三十年も前のことになるだろうか

その頃のこの駅は郊外の住宅地への入り口
あるいは六甲連山への登山口といった風情で
駅前からのバス路線は駅にロータリーがないものだから
駅すぐ東のガードを潜り抜けた先
深田池のほとりに小さなバス停が拵えてあり
すぐ傍の山の中腹の
大声を出せば声がそこまで届きそうな距離にあるあの病院まで
殆どの人が十九系統の市バスに乗っていた

バスは小さなバス停を出ると
いきなり急カーブと急勾配という厳しい道を
まるで何処かの山の上の観光地へ向かうかのように
エンジンの音を低く篭もらせながら低速で登っていく

もし、この病院までの道のりを歩く場合は
深田池の反対側のほとりから
目の先の道が壁に見えるような石畳の激しい斜めの道を
高級住宅街の中から六甲や反対側の海が見える景色を愉しむ余裕もなく
殆ど登山者のように黙々と歩くしかなかった

僕はいつも坂を登るときはこの路線バスを使い
病院の前のバス停で首を長くして君を待ち続けて
やがて君が病院の職員出入り口から
息を切らせて走ってくるのを
見つけるその瞬間が好きだった
バス停は病院より少し高い場所にあり
そして今日も
君はバス停への階段を小走りに駆け上がってくる

「すまんねぇ・・待ったんじゃろ」
「いや、今、来たとこやねん」
「急に仕事が入ってしもうて」
「仕事は分かっとるし」
「わやじゃ・・・」
そういって君は笑う
何十分待とうが、最初の会話はいつも同じだったし
君が時間通りに現れたことはなかったのではないかと思う

慌てたり、気持ちが昂ったりすると広島弁丸出しで喋る君は
小柄で痩せぎすの体型とともに可愛く見えてしまう
もしかしたら僕は
この階段を上がってくる君を見て
だんだん君に惹かれていったのかもしれない

「バスに乗らんで歩こうよ」
汗を拭き
病院の建物脇から見える
神戸の街や海の方を眺めながら君がそう言う
君は歩きだし、僕はずっと背の低い君の後を追う

なんだか今日の君は苛ついて見える
女性ばかりの一族の中で育った僕には
女性の苛ついた表情が怖い
それは本能的なものだ
「あの・・なおちゃん・・何か怒ってる?」
ふっと、君は振り向いた
「ん?怒っちょらいませんけど」
不思議そうに僕を見る。
可愛いいつもの笑顔だ。
「うち、怒っちょるように見えた?」
「うん、なんでか・・」
君は歩くのを止めて、海の方を見たまま立ち止まった
「不思議じゃのぅ、そがぁなふうに見えるん」
「やっぱり、怒っとったんかいな・・」
「ぷちじゃけどね・・」
「職場で何かあったとか‥」
「済んだことじゃ、もうええがの・・すまんわね、気にさして悪かったね」
一瞬僕を見つめて、そういったかと思うと君は坂道を早歩きで下りだした
「はよ行こうよ、今日は三宮で行きたゅお店があるんよ」

高級住宅街の急な坂道。
君はさっさと肩で風を切って歩いていく
僕は必死で後を追う
邸宅や街路、小さな公園、あるいは里山のままの空き地
それらの初夏の緑の向こうに
マルーン色の阪急電車が見えてきた

君は薄いスカートをひらひらさせながら
まるでスキップを踏むかのように坂を下りていく
僕は自分よりずっと背の低い君の脚力に感心しながら
そういえばこの娘は
広島は広島でも
備北の農家の育ちだったなと改めて思う
ファーン・・電車の警笛が後ろの山にこだまする
青空の彼方では雲雀が囀る

こうして二人で並んで歩くのがとても幸せに感じ
君を抱きたいなどとは、とても思えなかったあの頃ではある


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