story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

秋色の貴女

2017年09月07日 23時52分28秒 | 小説

 

長い鉄橋のある川岸、秋も深まった今日、僕は久々にここでカメラを構えた。

川のほうは今はトラス橋になっていて絵にするのが難しく、でも、僕はここでは川の土手から平野のほうを望む景色が好きなのだ。

愛用のニコンに長い望遠レンズを装着し、しっかりと身体で支える。

 

ファインダーで見る秋の平野は様々な色が多彩に咲いていて、その景色の真ん中を複線の線路がはるか遠くへ伸びている。

その線路の伸びる先に屹立する独立峰はこのあたりの神の山だ。

 

やがて、紅いディーゼル機関車がけん引する青い客車による列車が遠くに見えた。

僕はファインダーに集中し、レンズの腰を支えながら、シャッターボタンに指を乗せる。

ファインダーの中で列車の姿が少しずつ大きくなり、僕は夢中でシャッターを押し続ける。

列車の姿がファインダーから消え、僕はカメラを持った腕を下ろし、秋の景色に目をやる。

「もしかしたら、今日は会えるかも」

ふっと沸いた期待感と間髪を入れずに聞こえた声。

 

「会えると思ってくれた?」

優しく、心地よい貴女の声が聞こえる。

「うん、今日は気持ちの良い日よりだしね、こういう日に君に会えると期待していたよ」

「嬉しいわ、そういってくれるの」

カメラを持ったまま、後ろを振り返ると、秋色とでもいうのか、オレンジや茶、深緑をパッチワークのように組み合わせた貴女が立っていた。

 

ショートの髪、朱色の口紅、色白で頬のあたりが紅い、いつもの貴女だ。

「ここに来るの、ずいぶん、久しぶりでしょう」

「うん、仕事と家事に忙殺されてね」

「いいなぁ、幸せな家庭があるの・・」

貴女はそういって神の山のほうを見る。

 

「君にだってあったじゃないか」

「幸せ?ないよ、そんなもの」

「仕事のできるご主人と、可愛い子供さん二人と」

「見た目はね‥功徳とやらがいっぱいの家庭の演出」

「そうかなぁ・・取り方はいろいろだろうけど」

 

あの日、ちょうど今日のような秋の日だ。

 

時刻はもう少し後の頃か。

日没の頃、一人の主婦が、所用のためにこの景色の先の踏切を北へ急いでいた。

所用とは主婦が所属している宗教団体の、地域ごとにやっている小さな会合だったそうだ。

この地域特有の巨大な太陽が西に沈む。

神の山の稜線がオレンジに染まる空の下のほうでくっきりと浮かび上がる。

 

田圃の真ん中の踏切が鳴り、遠くから強いヘッドライトがゆっくり迫ってくる。

降りてきた遮断機をそっと持ち上げたその主婦は、やがて線路に座り込んだ。

電気機関車EF210の泣き叫ぶような警笛があたりに響く。

ブレーキシューが車輪踏面を押さえつけ、車輪とシューの鉄粉が線路に飛び散り、その接触の金属音が激しく長くこだまする。

主婦はじっと電気機関車をにらみつけていた。

「わたしをきちんと轢きなさい」と命じるかのように・・

 

「もうね、なにもかも嫌になったのよ。わたしはただの親の道具。幸せの演出も組織を守るため」

「そこのところは僕にはよくわからないけど、僕には十分、幸せに見えたよ」

「親の言うままに、教団の学校に行って、エリートとして帰ってきた時の私の心はボロボロ、そこには人間らしいものは何もなかったわ」

「そうか、僕はその頃には中学校を出て、鉄工所で仕事をしながら夜間高校に通っていたから、名門の学校に進めた貴女がうらやましかった‥」

「わたしには、自分の力で社会で生きて、自分の力で切り開くチャンスを持ったあなたが羨ましかったわ」

「そうかぁ・・えげつないものだぞ・・あの年ごろで一人で生きるのは‥」

「でも、それって親の意思はないでしょう…自分で決められるでしょう‥」

「確かにね‥」

 

 

機関車のヘッドライトが照らし出す田圃の中の踏切。

急制動をかけるも列車が止まれるはずもなく、うずくまる女性の姿は一瞬にして吹き飛び、そして機関車の後に続く長いコンテナ貨車の地響きのような制動音。

夕闇が迫る田圃や線路の中に飛び散る手足や肉片や衣服。

 

その場所は今は住宅が立て込み、僕は数度、そこへ祈りに訪れたけれどそこで貴女に会うことはなかった。

貴女に再開したのはその数年後にここの土手に来た時。

今日と同じように列車の撮影に来た時だ。

 

もちろん、僕は現れた貴女に対して、非常に驚いた。

だけれど、もともとが僕にとって憧れの女性だ。

中学生の頃の清楚な美しさが今も心から消えることはなく、ほかの人ならたぶん驚いて恐怖のあまりその場から逃げ出したかもしれないシチュエーションで、僕は生前に聞けなかった話を伺うことを却って嬉しく思ったものだ。

 

中学生時代は彼女から見て僕がかなりガキに見えたこと、今でも中学生の頃と同じようにカメラをもって列車を追うことにちょっと呆れていること、でも、そんな僕が羨ましかったことなど・・

 

「でもね・・君にとっては親の意思というものへの反発があることは認めるよ」

「うん」

「君のお子さんにはどうなの?お母さんを亡くして辛いのではないかな」

「わたしの両親がまだまだ健在です‥あとはまた、母親を亡くして苦悩する少年少女の立ち上がりのドラマを演出すれがいいこと」

「それはちがうよ・・」

「そうかしら」

「誰にとっても母親はかけがえのない一人のはず」

 

貴女は神の山のほうを向いて立ったままだ。

気に入らない言葉を僕が発すると貴女は消えてしまうかもしれない。

でも、僕はあなたとのこの時間を大事にしたい。

貴女に恋した中学生時代には持てなかった時間だ・

 

「ねえ、優美子さん」

僕は貴女の名前を呼んだ。

「今の君から、僕を見てどう?ちょっとは男として成長したかな」

貴女は振り向いた。

秋色のワンピースに包まれたその顔形は中学生時代の、あなたが幸せだった時代の姿だ。

「成長?」

そういったかと思うと大きな声で笑いだした。

「あなたが成長なんてしているはずないでしょ」

「そうかなぁ・・この頃、商売も手広くやっているんだけど」

「商売も何も、いまこうしてカメラを抱えて線路際に来ていること自体、あなたがあの頃のまんまってことよね」

そういって貴女はさらに声を上げて笑う。

まるで中学生の頃の天真爛漫な貴女を見ているようだ。

 

あの頃の僕は、貴女に憧れながらも、軽い会話はすることができても、じっくりと話をすることなど思いもよらぬ少年だった。

貴女のすることをじっと目を凝らして見つめながら、そのことを考える能力など持ち合わせず、帰宅途中の線路際で、ポケットカメラを取り出しては走る列車を撮影した。

その撮影の多くが貴女が列車に向かって行ったあの場所近くだ。

 

「優美子さん・・」

「なに?またなにか笑わせてくれるの?」

「いや、なんでこうして、君を死に追いやった列車を撮影する僕のところに出てくれくれるんだろうと思って」

ちょっと考えてから、彼女は優しい表情で僕を見つめ、そしてこう言ってくれた。

「きっと、あなたがあの頃のままだから・・」

「ガキのままってこと?」

「それもあるけど、わたしが憧れた、わたしの好きなあなたのままだから」

「僕を好きだと言ってくれるの?」

「好きだったよ、自由で楽しそうで…」

 

秋の風が吹く。

もう少しで貴女を撥ねたあの貨物列車の時刻だ。

「一つだけ、わたし、あなたに謝らなきゃ・・」

「なにを??」

「あなたの好きな列車を傷つけたこと、列車に恨みはないからね」

 

陽が沈む・・今日の牽引機はやはりEF210だという情報が入る。

遠くで踏切が鳴る。

僕はカメラのファインダーを覗く。

あなたが興味深そうに僕の横で、僕を見てくれているような気がする。

 


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