story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

雷の夢

2004年09月05日 13時11分12秒 | 小説
秋、僕は須磨の山を散歩していた。
須磨浦公園駅からロープウェイの脇の急勾配をゆっくりと登ると、やがて岩場に出て、ここから眼下に海が開ける。
青い海、緑の山、対岸の淡路島、そして目を移せば神戸の市街地が巨大なパノラマになって拡がる。
都会のすぐ近くにこのような散歩道があることを、僕は素直に感謝した。
汗が出る。最初の鉢伏山はたかが240メートル程の山の高さだが、45度にもなる急勾配はきつい。
もうすぐだ・・もうすぐだと山を登る。
時折、眼下に目をやる。そうすることで自らの登ってきた高さが実感できる。
息は切れるが気持ちが良い。

ロープウェイの山上駅を通り過ぎ、そのまま進むと遊園地に出るので脇道へそれた。
うっそうとした森林が気持ちよい。勾配はもうなく、しばらくは軽いアップダウンの尾根道が続く。
鉄拐山を過ぎ、まもなく高倉山の造成地に出るはずだった。
ここは山を削って住宅地にした後、その山肌を簡単な公園に整地したところだ。
森を抜けるとその「おらがやま」公園だ。

そのとき空が曇ってきた。
それもにわかに掻き曇るような、急な天候の変化だった。
空は見る見る真っ黒になり、雷が鳴り出した。稲妻も見える。
しまった・・僕は傘を持ってきていなかった。天気予報もチェックできていなかった。近くの木の下で雨が上がるのを待つしか仕方がなかった。
雷の音が近づいてくる。稲妻もはっきりと見えるようになってきた。雨がひどい。土砂降りだ。
腹を決めた。少なくとも、雷が遠りすぎるまで、じっとしていよう・・別に濡れてもかまわない・・
強烈な稲妻の光があたりを包む。頭の中で雷の爆音がする。

気がつくと雨が上がっていた。
稲妻に気を失っていたのだろうか・・とんでもない散歩になった・・そう思い、歩き始めた。爽やかな風が吹いてくる。
懐かしいしっとりとした空気が僕を包み込む。
鳥の声がする。
けれど、いくら歩いても公園には出ない。このあたりに禿山になってしまった公園があるはずだった。
尾根道が続く。
海が見える。きれいな青い海だ。今日は船がいない。
とんびが飛んでいる。尾根をゆっくりと歩いた。道を間違えたのだろうか?
それにしても静かだ。
鉄拐山から道を間違えて進めば、須磨寺に出るのだろうか・・第二神明道路にぶつかるのだろうか・・そう思いながら歩く。
だが、尾根が続くのはおかしい・・そのうちに尾根道のまま登りになった。登りきって、南を見た。
山と、田畑らしい緑があって、その向こうは海だ。
海辺は白い砂浜と松林らしい緑の帯・・僕はわけがわからなくなった。
・・そう、町が見えないのだ。神戸の須磨あたりの町が全く見えないのだ。第一、この山はなんだろう?
団地は?公園は?
空気が澄んでいる。風はあくまでも爽やかだ。

「あんた、こんなところで、何をしてるのや?」
山を登ってきた老婆が僕に声をかけた。異常な服装だ。
時代劇に出てくる百姓女の服装をもっと汚く、だらしなくしたような格好だった。
「ここはどこですか?」
老婆も僕の姿をみてギョッとしたようだった。
「ここは・・高倉山やけどなぁ・・あんた、どこからきやはったのや?」
・・高倉山・・じゃあ、団地のところではないか・・
「あんたも、はよう逃げな・・こんなとこにおったら織田にやられてしまうでな」
・・オダ?・・なんのことだ?
どやどやと人の声がした。
やがてその声が姿をあらわした。大勢の時代劇の格好をした、それもかなり薄汚い連中だった。男、女、子供、老人、十人ばかりが僕の目の前にやってきた。
「こいつは、なにもんや」「織田の侍かいな?」「変な格好やなぁ」
口々に騒ぎ立てて僕をじろじろと見る。汗の臭いが拡がる。
「織田の侍やったら、やってしまわんと・・」
老人がそう言うと、若い男がカマを僕にめがけて振り下ろそうとした。
「まってくれ!サムライって・・何のことや!」
僕はとっさに身をかわし、彼らから少し離れた。
「侍とは違うのかいな・・」「いや、信じたらあかんぞ!」「この際やってしまおうや!」
口々に物騒な言葉が出る。僕はこの連中に殺されかねない。身の危険を感じた。
「ほっとけ・・はよう行かな・・下畑やったら、べっちょうないで・・」
最初に僕を見つけた老婆が、他のものをたしなめるように言った。その隙に僕は彼らの来た方角へ走った。
「あんた、村のほうへ行ったら・・織田が来るで!」
老婆の声がしたが、殺されてはどうにもたまらない。僕は尾根を走った。
すぐに下り坂になった。一番下ったところで山道が十字に交わっていた。今のまま、まっすぐ進むとまた山を登る。
交わっている別な道を右に行くと、山を降りて海の方へ行くようだった。
左に行くと、その先に大きな池が見えて、もっと山の中に入っていく感じだった。
海のほうには煙が見えた。
僕は今の道をそのまま、まっすぐ進んで山を登るほうを選んだ。
すぐに頂上らしきところについた。視界は開けるが相変わらず神戸の町は見えない。海と反対の方角を見ると、山がずっと続いて、時折、池や田畑があるような景色だった。
須磨ニュータウンはどこに行ってしまったのだろう?
誰も追って来るものもなく、僕は頂上を過ぎ、いったん森の中に入って、そのまま道を進んでいた。
また登り坂になった。岩が多い。
けれどもこちらもすぐに頂上になった。頂上には木がなく、岩場の見晴らしのよいところだった。
・・あれ?・・岩場から岩場へ続く道が見える。
そこから先は岩場が広がる荒涼とした景色だ。・・この景色は・・
僕は愕然とした。
ここは横尾山に違いがなかった。須磨アルプスの名所だ。
ということは僕は、須磨の背山を縦走する道路をそのままに歩いてきたことになる。けれども・・どこにも団地やニュータウンは見えていない。僕がさっき、何人かの人間と出会った場所は高倉山団地のある場所のはず・・
岩山の頂上から周りを見渡した。
海が見え、山が広がり、田畑が見える。
反対側も、山と谷と池と田畑くらいしか見えない。空気はしっとりと、懐かしく、地形はあくまでも・・その先に見える鷹取山も、神戸そのものだ。
もしかして・・僕は岩場を慎重に下りた。何時もならある階段もロープもない。
ゆっくりと岩を下り、谷あいに出た。
小さな泉が湧き出している。
やっぱリここにあった・・僕は泉に口をつけて水を飲んだ。辛い、この山の味がした。
ここが間違いなく、須磨アルプスと呼ばれる須磨の背山であることを確認できたけれど、何かが狂ってしまっている・・時間が、時代が・・
僕はどうなったのだろう・・
鳥のさえずり、風で木の葉が揺れる音、かすかな水の音、何がなんだか分からず、僕は泉から湧き出る川に沿って歩いた。すぐに森の中に入った。僕の知っている須磨の背山の感じそのものだ。ただ、木々の形や大きさが違う。
少し行くと粗末な小屋があった。
小屋の前に座っている女がいた。赤みを帯びた粗末な着物を着ていた。
「ここは・・須磨ですか?」
僕の問いかけに女はびっくりしたように後ずさりした。
「すみません・・僕は怪しい者ではありません・・」
女はそれでも、警戒を解かず、小屋に自分の背を押し付けて、僕を睨み付けていた。
「あの・・そうだ、僕はサムライではありません」
女は少し警戒を緩めたようだった。
「刀は持っとらへんのやな」初めて女が口を開いた。
僕は大袈裟に両手を広げた。女はじっと僕を見つめていた。
若い、まだ少女の年頃ではないだろうか?
すすけた顔、痛んで汚れた髪をきちんとすればかなりの美人になりそうだった。

「織田が来たんや・・うちらは飛松村におったんや・・」
女はそう言った。飛松?聞いたことがある・・このあたりの地名だろうか?
「織田って・・あの・・織田信長の織田ですか?」
「そうや・・おまえ・・何も知らへんのやな・・」
中へ入れ・・女にそう言われて僕は小屋の中に入った。小屋の中は明かりがなく、薄暗い。
「一の谷まで織田の奴らが攻めてきよった。うちら、何もしとらへんのに・・」
僕は歴史の授業で習った織田信長を思い起こしていた。信長といえば、中世の英雄で安土城を作り、比叡山を焼き討ちし、明智光秀に殺された・・それくらいしか思い出せなかった。
「ここは安全なのですか?」
女は首をかしげた。
「おまえは何か訳の分からぬことを言うの」
安全・・それに代わる言葉・・どうやら彼女に分かるように言葉を使わないといけないらしい。
「ここは、べっちょうないか?そういうことや」
思い切って関西弁で喋ってみた。
「ここかいな・・わからんわ。織田は人を見たら首を刎ねるさかいなぁ・・」
「なんで?」
「荒木はんが織田を裏切って、須磨寺もそっちについたさかいや・・ほんまに知らへんのやなぁ」
そう言いながら、ええもんがあるわ・・女は僕に何かを投げてよこした。
「食いなよ」
目を凝らすと何かの干し肉のようだった。女は自分でもそれを齧った。僕も齧ってみた。固い。
「何の肉や?」
「たぶん・・鹿やな」
噛むと少し味が出てきた。けれども臭い肉だ。
この時代の人間は肉を食べるのだろうか?僕の思いとはかかわりなく、女は一心に肉を齧っていた。
「あんた・・名前は?」
「え・・僕かい・・巧一・・」
「コウイチ・・変な名前やな。まあええわ。うちはタキや」
「タキ・・あの川にある滝かな?」
「おかんが、山仕事しとって、滝のそばで産気づいたらしいわ・・そやからな」
「おもろいな・・その名前・・」
そう言うと女も笑った。

その日は僕たちはその小屋で過ごした。小屋は村のものが山で仕事をするときに使うためのものだった。村へ出て、織田とやらの餌食にはなりたくなかった。僕はもう帰れないかもしれない。その思いがあったけれど、何よりこの非常事態を乗り切らなければならなかった。
タキは魅力的な女だった。
歳は17、兄弟姉妹もいるが、織田の軍が攻めてきたとき、両親を探していて、はぐれてしまったそうだ。
両親は多分殺されただろうとのこと、兄弟姉妹はどこかへ逃げただろうという。
夜になると真っ暗だった。さすがに寒くなり、心細くなってきた。山小屋だから多少の食料はあるし、小川がすぐそこにあるので飢えたり餓えたりする心配はなかった。
けれどもこの先どうなるか何も分からず、タキも心細さは僕とさして変わらなかったに違いない。
寒さが迫ると、肌の温かみが欲しかった。人のぬくもりが欲しかった。
お互い自然に身体を寄せ合い、自然に抱き合っていた。ただ、タキの体の臭いには閉口した。僕が味わったことのない臭いだった。

朝になると、タキは村を見に行こうという。
一緒に山を下りて村へ向かった。小川に沿い、小さな滝を過ぎ、大きな岩を回りこむと、田圃が広がっていた。
のどかな田園風景だった。
棚田を降り、村にさしかかると雰囲気が一変した。
家はすべて焼き尽くされ、黒焦げの柱ばかりが残っていた。
村の路地は死体が転がり、それはどれも黒焦げで、首の無いものもあった。
僕は気分が悪くなった。けれど、タキは平然と見て回っている。
神社の鳥居があった。
鳥居も焼け焦げていた。
その脇の家に彼女は入っていった。
「やってくれたわ・・織田の奴ら・・」
家は黒こげで今にも崩れそうだったけれど、彼女はその中から何かを探し出してきた。壷だった。
「何とか、せなならんし・・」
壷を外に出してひっくり返してみた。銭がいくらか出てきた。どういう訳かタキはその銭を何枚か僕に握らせてくれた。
銭は博物館にあるような代物だった。僕は、それをズボンのポケットに入れた。
「悲しくないのか?」
僕はタキに訊いた。
「悲しいわいな・・そやけど、もう、何年もこんなんばっかりやから、慣れたわ」
タキはそう言って溜息をついた。空に向かって溜息をつく姿が美しい。
空は曇り始めていた。
雨の匂いがする。西の空が真っ黒になっている。その西の空の下には須磨浦の鉢伏山が、そのままの姿でそこにある。
不思議な気がした。ちがうのはロープウェイの駅舎がないことくらいだ。
けれど、山の麓までずっと、田圃が続いていた。
風が吹いてきた。
「危ない!」
タキが僕に覆い被さってきた。焦げた家の壁に矢が突き刺さる。
馬が走ってくる。
「まだ生きているものがあるぞ!」
馬に乗った男は叫びながら猛スピードで近づいてきた。
始めは一人、けれど、いつのまにか何人もの馬に乗った武士が僕たちを取り囲んでいる。
雷が鳴る。稲妻が光る。
雨が降り始める。
本物の武士は恐ろしい格好をしていた。まるでアニメに出てくる凶暴なロボットのようだ。
おわりだ・・そう感じた。
タキと僕は焦げた家の壁にくっついて、彼らを睨んでいた。。男の一人が弓を引き絞る。矢は僕に向けられている。
雷が鳴る。大粒の雨。
「くそう!」タキが叫んだ。
「織田の馬鹿やろう!」タキの声が雷に消される。
稲妻があたりを包んだ。何も見えなくなるほどの光があたりを覆う。全てを破壊し尽くすかのような爆音が支配する。

気がつくと僕は公園のような所にいた。
雨は上がったようだ。
「気がついた?」
女が僕の顔を覗き込んでいる。
僕はベンチに寝かされていたようだ。
「あの・・タキは?」
「タキ?」
「あ・・いえ・・」
身体を起こし周りを見渡した。
町の中の公園のようだった。
「ここは・・どこですか?」
「ここ?妙法寺川公園・・ですけれど」
・・僕は夢を見ていたのだろうか・・ここまでどうやって歩いてきたのだろう・・たしか、須磨の背山にいたはず・・
体が痺れている。雷・・夢だろう・・
ここは現実の都会の中だ。
「大丈夫ですか?」
女は心配そうに僕に尋ねた。
女の顔を見た。きれいな顔立ちが押さえた化粧で引き立っていた。
僕は立ち上がった。ゆっくりと歩き始めた。どの方向でもよかった。
いずれにせよ、駅かバス停に出るだろう。
女もついてきてくれた。僕が着ているものはびしょぬれだ。
何かがポケットに入っている。
濡れたズボンのポケットをまさぐってみた。
銭が出てきた。タキが握らせてくれたあの銭だ。
僕は立ち止まりその銭を眺めた。わけがわからない。
「あら、それ、持ってきちゃったの・・」
女が僕の手のひらを覗き込んでいう。びっくりする僕に女は含み笑いをした。
そういえば、この女の顔は・・

公園のはずれから鉢伏山が見えた。
ロープウェイの駅舎も頂上に小さく見えていた。











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