story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ブルートレイン

2005年04月17日 16時48分57秒 | 小説

僕は巨大なターミナルの隅で空を眺めていた。
ホームの端に立ち尽くし、暮れてしまった空を眺めていた。
通勤列車の長い編成が、家路につく乗客を満載して、車窓からの明かりも眩しく走り去っていく。
子供のころ、ここで親父から借りたカメラを使って、特急列車の写真を何度も撮ったことがあったな・・・
あのころは何も知らず、何でも出来ると思い込んでいたし、何より幸せだった・・
無邪気な頃が懐かしく、何故、人は大人になると無邪気ではいられないのだろうかなどと、意味のない思いが頭をよぎる。
複々線を並んでライトを照らし、競うように特急列車と快速電車が入線してきた。
出る列車、入る列車の窓は明るく、車内は暖かそうだ。

あの頃のように、また電車でも好きになろうか・・
めまぐるしく変化した自分の生き方に、半ば嘲笑を覚えているぐらいだ。
新天地とは言っても、何か全く新しい全てが待っているわけではないさ・・
・・ただ違うのは僕にとって、この町は故郷であり、これまで永く住んだ町ではあるけれど、次の町は全く知らない、ただ・・シゴトという生きるためのものに引きずられるだけのことだ。
ピークを過ぎているとはいえ、夜のラッシュ時の余韻がまだ残り、ホームの中ほどは人で混雑していた。
だが、僕のいるホームの端は、明かりも少なく、人もおらず、後ろからかすかに喧騒が聞こえるだけの、置き去りにされたかのような空間だ。

この町に言いたいことは山ほどある。
この町の人への未練もある。
もしも、僕がこの町に残ったとして、どんな仕事の進め方ができるだろうかという思いもある。
けれども、もう、先方の、かの地の会社へは返事をしたのだ。
何が何でも、僕は新天地で頑張り続けなくてはならない。
だけれども・・正直疲れた。
鋼のように硬くなった肩は、僕に休養を求めていた。

やがて、遠くのほうから甲高い警笛とともに、電気機関車が客車を従えてやってくるのが見えた。
ヘッドライトの明かりで、よくは分からないけれど、それは・・
僕は列車がホームの明かりに照らされた時、思わず歓声を挙げた。
僕が子供の頃に、憧れた、乗りたくて乗りたくて、乗れなかったそのままの列車が・・今、僕の前に姿を現したからだ。
その時、僕の前に、子供の頃の僕が現れた。
一心に機関車を見て、機関車のヘッドマークを大きな目をさらに大きくして追っていた。
後ろに続く青い客車の銀の帯と、窓からこぼれる明るい輝きと・・そして、列車の全てが自分の前から通り過ぎると、今度は最後尾の車両のテールマークを、感動の面持ちで追っていく。

僕は走り出した。
いや、子供の頃の僕が走り出したというわけか・・最後尾の車両にはエンジンが積んであり、列車の照明や冷暖房をまかなうのだとは、その頃に聞いた話だ。
そのエンジンの音が、ホームの中ほどに停車した列車から響いてくる。
僕はホームの一番端にいたので、列車の停車したところまではかなりの距離があった。
スーツケースをかかえて、なぜかネクタイを締めて、今の僕が走っている。
カメラをぶら下げて、小脇には鉄道雑誌を抱えて、子供時代の僕が走っている。

ブルーの車体は近づけば傷まみれに見えた。
あちらこちらがへこんでいたし、それが為か疲れているように見えた。
それでも、折りたたみ式のドアの上のB寝台の文字と、その脇の星が三つのマークは輝かしく見える。
ドアが開き、いくらもいない乗客とともに、僕も始めて、かつての憧れだった列車に乗り込んだ。
明るい車内、出入り口と客室を分ける軽いアルミ製の開き戸、そこはまばゆいばかりの憧れの空間・・
子供時代の僕も一緒に乗り込んでいるようだ。
僕は指定された寝台を探した。
そこは客室のちょうど真ん中あたり、2段ベッドが向かい合うコンパ-トメントには誰も相席はいなかった。

指定されたベッドは下段だった。
僕は、ベッドに上着やら荷物を投げ出し、少し身軽になって、酒を取り出した。
そのままベッドで飲む気になれず、通路の腰掛を下ろして、そこに腰掛け、カップ酒の栓を開けた。
列車は衝撃とともに出発した。

僕は、思いもかけず、今の僕と一緒に乗り込んできた子供時代の僕に語りかけている。
「ぼくは、自分がこんな人生を歩くとは思わなかった・・」
「どうしたの?列車の運転士には、なれなかったの?」
「列車の運転士?」
「そうだよ・・特急列車に乗るのが夢なんだ」
「そうだったかなあ・・そうかもしれないなあ・・」
「今、何やってんの?」
「いまか・・」
「うん・・運転士じゃなければ・・駅員?、それとも車掌?」
「いやあ・・鉄道じゃないよ・・・」
「え?どうして?」
「僕が学校を卒業する頃には、鉄道に入社する試験がなかったんだ・・」
「どうして・・・?」
「国鉄改革の時だったからね・・」
「ふーん・・よくわかんないや・・で・・今、何をやってるのさ?」
「デザイナーだよ・・商店や事務所の・・」
「よくわかんないな・・」
「そうだよね・・」
子供の頃の僕には想像もできない仕事だろう。。

列車は速度を上げて走っていた。
複々線区間で、快速電車が並んで走っている。
僕は一つ目のカップ酒を飲んでしまい、二つ目にかかろうとして、窓の外を見ると、つり革にぶら下がった快速電車の乗客と目があった。
彼は初老の紳士だった。
うらやましそうに僕のほうを見ている。
つり革にぶら下がった彼と、寝台特急でゆったりとカップ酒を飲んでいる僕とでは、列車に乗るということに関しては僕のほうが幸せな感じだろう・・
「でもね・・僕は、あんたのほうがうらやましいんだよ・・多分家庭も持っておられることでしょう・・通勤地獄も家に帰れば奥さんと、そして多分、子供さんもおられるでしょうね・・僕には自分を癒してくれるものが何もないのですよ・・」
併走していた快速電車は急に速度を落とし、その男性は遠ざかってしまった。
まもなく大きな明るい駅を通過する。
ホームには仕事帰りの人らしい姿があふれている。
「ねえ・・結婚もしていないの?」
子供時代の僕が尋ねる。
「いや・・結婚はしたよ」
「じゃ、どうして、あの人に子供さんがあるのが、うらやましいの?」
「それはね・・結婚はしたし、子供も出来たけど、別れちゃったんだ・・」
「ふーん・・離婚ってやつか・・」
「そうだな・・まさか、自分が離婚するなんて、思わなかっただろう?」
「うん・・思わなかった・・でもさ・・離婚したならしたで、次の奥さんを探せばいいじゃん・・」
「簡単に言うなよ・・結構難しいぞ・・」
「僕が運動会のリレーで転んで泣いていた時、お父さんが言ってたよ・・今度頑張ればいいって・・」
「親父の言葉かぁ・・久しく思い出すこともなかったなあ・・」
「いい言葉だよね・・」
「そうだね・・でも、思い通りに行かない時もあるさ・・」
「そのときはまた頑張ればいいよ・・今も、好きなブルトレに乗ってるじゃない・・」
好きなブルトレ・・
どうして列車が好きだったのだろう・・少し酔いが回ってきたようだ。
それより、どうして僕はかの地へ行くのに、酔狂にも夜行列車を選んだのだろう・・
心の奥に憧れが残っていたのだろうか・・

遠くに並んで、私鉄の列車が同じ方向へ向けて走っている。
向こうからこの列車を見ればどう見えるのだろう・・
夜汽車はきっと、明かりを長くつなげて、遠くへ向かっているように見えるのだろうか?
あの列車の中にも人がいる。
そういえば、列車の中だけでなく、もっとたくさんの人が通過する沿線の住宅に住んでいる。
それぞれに人生があり、それぞれに悲哀や喜びがあるはずだ・・
「ね・・自分だけが苦しいのじゃないよ・・きっと・・」
子供時代の僕が慰めてくれている。
「そうだよな・・人生だもん、たまには転ぶこともあるよね」
「僕だって、リレーで転ぶなんて、予想できなかったよ」
「そうだったよなあ・・あれは、僕が第3走者で、山野君がトップでバトンを渡してくれたんだ・・でも、僕が受け損なって転んでしまった。結局、僕で4位にまで落ちて、最終走者の清水君が頑張ってくれてやっと3位に入ったんだったよな・・」
「みんなは慰めてくれたけど、悔しくてさ・・・・」
「でも、その悔しさの向こうに本当の勝利があるって・・」
「担任の山岡先生だ・・」
「みんなで泣いたね・・」
「だからね・・離婚したのなら、また結婚すればいいじゃない!」
「出来るかな?」
「出来るよ・・人類の半分は・・」
「女の子だ」
「頑張ろうよ!」
「そうだね・・頑張ろうか・・」

列車は大きなヤードの中を走っている。
明かりの消えた通勤電車が並ぶ。また朝になれば走り出す電車たち・・
毎日、毎日、同じことの繰り返し・・人生とはそう言うものではなかったか・・
僕は、何かを捨てるような気で、この列車に乗ったはずだった。
何かを捨てて、人間であることも捨てて、シゴトを機械的にこなしていく動物になろうとしていたのかもしれない。
だが、人間は機械にも、人間以外の動物にもなれない。

「チャンスは何回でもある・・山岡先生の口癖だよね・・覚えている?」
子供時代の僕が語りかけてくれる。
酒は3本目に入った。
「思い出したな・・おかげで、思い出したよ・・」
「チャンスは何回でもある・・何度失敗しても構わない・・でもどんな時も、絶対大丈夫だっていう気持ちを持とうってね・・」
「そうだよね・・」
「もっと良いこと言ってるよ・・どんな苦難も乗り越えられない苦難はありえない」
「ああ、そうだった・・そう言ってくれたね」
「頑張ろうよ・・きっとチャンスがやってくるから・・」
「そうだね・・そうだよ・・がんばらなくちゃ・・」

列車は最初の停車駅に滑り込んでいく。
すでに深夜時間帯となりひっそりとしたホームとホームの間に、明日の始発に使われるのだろうか・・普通電車が明かりを消して休んでいる。
「チャンスだよ・・きっと・・」
子供時代の僕がそう耳元で言う。
そのとき、乗車してきた若い女性が、大きな荷物を引きずるようにして、僕のとなりのコンパートメントに入ってきた。
荷物を上の棚に上げようとしているが、重くて出来ないらしい・・
「あ・・僕が上げましょう・・」
「ありがとう・・助かります・・」
笑顔のきれいな女性だ。

ブルートレインは、走る。
明かりを、闇に染まった町に、一瞬だけ撒き散らしながら・・


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