story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

なおちゃんへ(詩小説バージョン)

2013年07月04日 17時24分42秒 | 小説

(本作は以前の同名作品を銀河詩手帖用に改めて再編集したものです)


高速道路をひた走る。
時間はもはや深夜十一時を少し回ったところだ。
オレンジ色の照明が続く道を僕は時速九十キロほどでタクシーを快走させる。

今日は六月五日、忘れることもない、なおちゃん、君の誕生日だ。

そういえば・・
このあたり、なおちゃん、君が住んでいた場所だった・・
六甲山の斜面に町が競りあがってくるような、御影のあたり、山の中腹の、そこにそびえるあの古い建物の病院で、君は今も仕事をしているのだろうか。

おかしなことに、君を思い出すとき、いつも君はちょっと苛ついたような表情で、僕に食って掛かる・・そのときの表情なんだ。

僕という人間はどうも、色々なものを引き摺りながら進む癖があるようで、例えば終わったことを、終わったこととして理解できてはいても受け入れることが出来ない、どうしようもない人間なのだと自分で苦笑するときがある。
それは人間関係においても、仕事においてもあるいは趣味や嗜好においても同じようなものだ。
瞬間的な切り替えが出来ない僕の精神構造は多分、僕が好きなフィルムによる写真と同じようなアナログ構造になっているのだと自分に言い聞かせてみるが、それを捨てる気にはまったくならない。

このことは、ある意味では僕が「しつこい」性格だと誤解されることにもなるし、ひとつ間違えれば今の時代では「ストーカー」と認識されてしまいかねない危険性を孕んでもいる。
だが、それでも、先ほどのフィルムの話ではないが、時の流れとともに切らねばならぬ、あるいは変えなければならぬことについては自分なりに切り捨ててきたつもりなのだ。
ここ数年、僕は写真を撮影するとき、フィルムというものを使わなくなった。
それでも、前職であるカメラマンという職業を今でも捨てきれず、時折、撮影の依頼があれば喜んでデジタル一眼レフをぶら下げて出かけてしまう自分には、やはり妙な納得を覚えるものだし、あるいは、その前の職業である鉄道への愛着から逃れられず、インターネット上に鉄道を話題にしたブログを開いて、如何にも鉄道関係者であるかのようにコメントレスに精出す自分を少しおかしいと思ってみたりもする。

その僕が最大に引き摺っているのが、なおちゃん、君のことだ。

ただ、だから、なんとしても君に会いたいとか、会わねばならぬとか、そういうことは考えないし、考えたところで実現などできそうにないことは百も承知だ。
引き摺るというのは、僕の心の奥の深い部分で今も君が生きているということであり、あるいは、現実に君が生きていることを風の便りで聞くことが僕という人間が生きるうえでの少しの糧になっているかもしれないということだ
余談だが、君と僕の共通の友人たちで夫婦となった数組があり、彼らの仲睦まじい夫婦善哉は今もきちんと続いていて、だから、僕は今も君の消息をごくたまには耳にすることが出来る。

自分にとっての過去の人間の思い出というのは美化され、「ありえないほど良い人」というものが自分の中に形成されてくるものであるはずだが、こと、君に関しては不思議にそういう美化されたものは僕の中に形成されておらず、ふっと浮かぶ君の姿は、いつも怒っていたり、不機嫌であったり、つっけんどんであったり、僕をわざと無視する様子であったり、泣いていたり、苦しんでいたりするのであり、優しくて可愛いという情景からは少し遠いものなのだ。

このあたりが、君の姿がいつまでも僕の中に残ることの原因かもしれない。
「ありえないほど良い人」というのは、所詮それだけの上辺しか見ることができていないと言うことの証左だろう。
もちろん、君は美しい女性だ。
だから、僕はポートレートカメラマンとしての最初の習作に君を選んだのは間違いがなく、その作品は今思えば稚拙なもので、カメラメーカーの宣伝カタログを鵜呑みにしたような面白みのないものだったかもしれないが、その中に写る君は今、改めて見ても雑誌を飾るタレントやモデル、女優などよりずっと美しいのだ。

クルマは相変わらず高速道路を駆ける。
僕は速度を一定に保ちながら、最新型のクラウンコンフォートの乗り心地を楽しんでいる。
乗客がいない回送運行である。
乗客があればそれは仕事であり、そこには楽しみよりは緊張感のほうが大きいのではないかと思う。
そして、僕は今のこのタクシードライバーと言う仕事を愛している。
以前の写真の仕事と、あるいは、そのずっと前に勤めていた鉄道会社の仕事と、どれが好きかと尋ねられると、それは少しその答えに困ることになるのだが、刺激的で変化の多い、それでいてストレスの少ないこの仕事を僕は愛している。
なにより、意外なほど気楽で自由なこの仕事が、自分の性分に合っているように思うのだ。

なおちゃん、この間のことだ。

モノクロフィルムの整理をしていて、長く見ることのなかったフィルムが出てきた。
それは、なおちゃん、その頃は広島に移って一人暮らしをしていた君の部屋の中で、冗談半分に君を撮影したもので、当時の仕事上の作品というものとは程遠いが、君という人間を実に端的に表していたものだ。

寛いで煙草を吸う君の横顔がことのほか美しく、薄い部屋着一枚の姿には改めてドキリとさせるだけの艶を持っているよう見えてしまう。
「ひさしぶりやなぁ・・」
僕はそう呟いて、そのフィルムをじっくりと眺めた。
写真と明暗が反転したそのネガフィルムから、その頃の苦渋に満ちた君と僕との関係が思い返された。
そう、けっして楽しい付き合いではなかった。
けれども、ネガの中の君は寛いでいて、楽しげであり、穏やかであり、その頃の屈託のない表情の君との付き合いを楽しく出来なかったのは僕の責任なのだ。
君の心や、感情を、他のもの・・たとえば愚にも付かぬイデオロギーや、安物の宗教観、荒唐無稽で幼稚極まりない哲学感でコントロールしようとしたのはまさに僕自身であり、それは、一人の女性を愛するということに不慣れで、自分を表現できない僕が屁理屈で走った結果だった。

君は僕の思いを受け止めてはくれていても、その僕の態度や思考には辟易していたに違いはなく、そんな状態で楽しく、心豊かな男女の関係など送れるはずもない。
結果、僕は君との関係を僕からの一方的な片思いであるとは思っていても、恋愛であったなどとは到底思えず、それは青春の時期のよくある失敗なのか、あるいはそれ以後の僕という人間の成長にとって必要な苦悩だったのか・・ただし、僕自身が君との関係の失敗によって人間的に成長したとは思えるはずもなく、僕は今でも自分勝手であり、我儘であり、周囲に迷惑をかけて生きながらえるつまらない男だ。

六月五日を意識すると、自分の中で、どうにも止まらない感情が沸いてくる。
それは一人の女性を苦しめた後悔の念なのか、いや、そうではなく、やはり僕にとって、なおちゃん、君という女性を本当に好きだったという、若き日の淡い恋愛感情なのか。

どうでもいい・・
ふっと、そんな言葉が漏れる。

そう、僕にとって君とのことは終わったことであり、考えたところでそこに何らかの答えを導き出すものではないことなのだ。
だのに、僕は君の事を時折というよりも結構な頻度で思い出してしまうし、それゆえ恋愛における悔悟の念というものは始末に負えないものなのかもしれない。
もしも、あの青春の頃の、稚拙な時期のその頃に戻ることが出来たのなら、僕は素直に自分というものを曝け出して、そして素直に、君との出会いを楽しめるのにと、それこそつまらぬ思いも湧き上がってくる。

ああ、やはり僕は君に会いたいと願っている。
会ってどうすると言うのではなく、ただ、単に会いたいと願っている・・いや、会って君を抱きしめたいのかもしれない。

それにしてもだ・・二十数年前に終わったことをここまで持ち続けるとは、やはり僕は情けない、つまらない人間であることは確かなようだ。

クルマは、早くも人工的な夜景の輝くメリケンパーク付近に至り、海の向こうに光の塊となって浮かぶポートアイランドが見える。
あの人工島の公園で、僕は、なおちゃん、君を撮影した。
お互い、ちょっと不慣れなその時期、君も僕もちょっと不慣れな緊張感を持って向き合っていたし、それでも僕は、知ったかぶりの知識や技術で偉そうに撮影をしたのだ。
あろうことか、夜景をバックに人物を撮影するという・・よほどの技術や感性がなければ真っ当な作品にならないはずのシチュエーションで、それこそ若さゆえの怖さ知らず、堂々と僕は大量の機材を持ち出して撮影をしていたのだ。
今思えば、少し赤面するかのような、あの頃の突っ張りながら生きていた自分を思い出す。

なおちゃん、ありがとう。
自分という人間がつまらぬ人間であることはともかく、こうして今の自分が存在できるのはまさに、君という人間と出会えたからなのは確かであると思う。
そして、それがゆえに、多少は人情の機微も理解できる人間になれたこと・・生きているということを多少は意義のあるものに思えるようになれたこと・・

これは人間としての成長などではなく、僕に欠けていた人間の資質を君が埋め合わせてくれたのではないかと、そしてそのことはまさしく、なおちゃん、君のおかげであると思うのだ。

そして、なおちゃん、君のことが今でも好きです。

(銀河詩手帖259号、那覇新一名にて掲載作品)

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