story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

神吉城(かんきじょう)

2004年07月25日 10時03分27秒 | 小説
織田信長の天下制覇が現実のものとなってきた。
越前、加賀を落とし、信州、甲州でもろくな戦をせずに勝利を収めた信長が次に目指すのは播州から西の方角だった。
この方面の司令官、羽柴秀吉は戦のうまさと人心の掌握に長けているという。
上月城を捨て、三木の別所を囲んでおいて、播州を席巻する秀吉の怖さは、一度や二度の敗軍はなんとも思わず、見事な機転でその場を切り抜けることにあるという。

天正6年、まもなく梅雨に入ろうとする初夏の頃、神吉民部少輔頼定は彼の城の北にある小高い山から印南野の田植えの様子を見ていた。
田植えとはいっても、肝心の農民たちの多くはずっと北、法華山のほうへ逃げてしまっていて、田植えをしているのは普段は小作農を使っている武家の者たちであった。
まもなく、織田軍の精兵がやってくる。なすべきことがないというわけではないが、さすがに彼も今度ばかりはと覚悟を決めざるをえない。
眼下の豊かな田園地帯はまさしく、彼のものであった。
先祖がこの地に城を築いて200年余り、彼が最後の当主になる公算が高まっていた。
羽柴秀吉を先頭に立てる織田軍を、一度は撃退し、彼らに上月城を捨てさせたのは冷静に考えれば、別所の力ではなく、毛利の後ろ盾があったからだ。その毛利もこの度は鳴りを潜めて出てこない。別所は毛利の後ろ盾はあるものと、固く信じているが世の人に「猿公」と呼ばれる羽柴の事だ。すでにあらゆる手をまわしてここを包囲してしまうだろう。
別所の三木城を取り囲む周りの城一つずつを徹底的に破却し、三木本城を裸にしてから、蛇の生殺しの如く責めあげるだろう。
それくらいのことは頼定にも分かる。
けれど、神吉には神吉の意地がある。死ぬは一定、同じ死ぬなら武士として散り際を潔くしたい・・彼の頭にはそれしかない。けれども、哀れなのはこの地の住民たちである。若い者は勇ましいことを言うが、勇ましさだけで勝てるなら神仏は要らない・・頼定にはそれでも、いざというときには若い者に負けぬよう最後の戦をしてみせる気力はあった。
「城主殿」白髪頭が山を登ってきた。彼の叔父、籐太夫だった。叔父もまた、感慨深げに田園地帯を見ていた。
「田植えも今年が見納めやのう、腹は決まり申しておろう・・」
頼定は叔父のほうは見ずに、こともなげに、こう言い放った。
「叔父上、裏切りをしていただきたい・・」
叔父は言葉が出ず、彼のほうを見ている。
「このままでは、我ら一族はおろか、印南野すべてが焼け失せてしまう。ここは叔父上には我らを裏切り、敵方に寝返り、ついでに志方の衆の命をも助けてくだされぬか」
頼定はまだ、叔父の顔を見ず、遠くを見たままで話していた。
叔父、藤太夫はその場でしゃがみこんで顔を覆ってしまった。
眼下に神吉城が見える。
平城ではあるが、河岸段丘を利用した広い城地、三層の天主が神吉の意地を現していた。
けれども、もはや堅固な城もおぼつかない。織田の大軍を如何程支えることができるというのだろうか。
蛇行する大河の水が午後の光を跳ね返して輝いていた。遠くに播磨灘の水が光っているのが見える。

天正6年6月25日、高御位山から狼煙が上がる。真っ青な夏空に上がったそれは滅亡の始まりを告げるものだ。神吉頼定は天主から狼煙を見上げて、腹をくくった。稲の穂が伸びている。
印南野を滅亡させてはならない。それには人柱がいるだろう。自分がそれになるのだ・・彼の頭の中は研ぎ澄まされていく。
火急の使いと称して埃まみれの武者が彼の前に現れたのはそれからまもなくだった。「梶原様よりお言付けにてございます。先に旅立つゆえ、そなたもあとから参れと・・」武者はそういって泣き崩れた。中津の砦の方角から大きな煙が上がっていた。親族が一人、部下を連れて先に旅立ってしまった。天主から見える加古川の流れが人の姿で埋まっていくようだ。
ふと、川とは反対側、竜山の手前でも炎が上がった。
人懐こい東国の武士、高谷が先に逝ったと見える。
高谷はかつて今川に居た。
今川義元の西上作戦に馬回りとして従軍し、桶狭間の戦いでは織田の精兵を何人も叩き潰した。
けれど、今川軍は織田に敗れ、彼は駿府に戻ることを良しとせず、流浪の旅に出たものであった。
今、高谷が織田軍に命を奪われるのも前世からの宿業という訳か・・
彼の美しい妻や6人の小さな子供はどうなるだろう・・今ごろは義父のいる志方城に身を寄せているであろうが、あそこも何時までも持つまい。頼みの綱は籐太夫だけだ。
頼定はほんのひと時に様々な思いが頭をよぎることに苦笑を覚えた。
成るようになる。戦は今宵か、明日か・・
「竜山の方向から、荒木村重様、佐久間信盛様、およそ五千の兵を引き連れ、こちらへ向かう様子でござります」
「中津砦を陥した織田信忠様、羽柴秀吉様、およそ一万五千、出河原にて野営の準備と見えます。」
物見の衆が報告をくれた。敵城を目の前にして大軍の野営、羽柴がやりそうなことだわ。そう思う。どうやら戦は明日になりそうだ。
セミの声がやかましい。風が通らぬ夕刻近く、兎に角蒸し暑い。
城内にある火器をすべて集めさせた。城に近づく時刻を少しでも遅らせるしかない。幸い、西の方からは荒木村重が先鋒でやってくる。西の丸には籐太夫がいた。
籐太夫と村重は旧知の仲だ。西の丸に少しの時間的余裕を与えれば、あとは何とかするだろう。頼定はそう考えていた。

蒸し暑い朝である。
東南から真っ黒になった人だかりが攻めてきた。城内から鉄砲の応酬である。人だかりは一度は停まった。そこをついて城内から若武者たちが長柄の槍で荒れ狂う。
敵兵は勢いに押し戻され、城の南、半里ほどのところで戦が始まった。
西の丸でも攻撃が始まる。けれど、こちらの攻撃はやや緩やかであった。
籐太夫が使者を荒木のもとに送っていたからだ。
織田信長は羽柴秀吉に上月からの撤退を認める代わりに、寝返った播州三木城と、それを取り巻く諸城の徹底的な破却を命じていた。信忠、秀吉、荒木村重、佐久間信盛からなる豪勢な大軍ではあったが、高々2千の兵が守る神吉城に手を焼いている。攻め手は加古川の川を後ろにする背水の陣を取らざるを得ず、梅雨明けの頃の川は水量も多く、渡河点は限られる。
しかし、南西、竜山方向からは平野であり、高谷の砦が落ちては、この方向の防衛能力はなくなっていた。
血気盛んな若い衆と言えど、ほとんど寝ずの戦ではそろそろ限界も見えてきていた。
七月、西の丸が静かになった。天主から見える西の丸のさして広くない城内に荒木村重とその郎党が入っていく。
「これで良いのだ。我らは気の済むまで戦を楽しみ、織田の者ども共々地獄に落ちるべし」頼定はひとり呟く。
出河原の陣地を捨てた敵は、遠く高砂の松あたりから迂回し、城の真南より攻め寄せてくる。
ところが井の口あたりの広い田圃に足をとめてしまった。
「殿、やつらは何を成す積りでござろう?」頼定の脇に控えた老武者、山脇が表情は変えずに聞いてくる。
「やつらは組み上げの井楼を用意するのやろう、平城は上から攻めるに限る」頼定の言葉に山脇も「そうでござるか、ならば精一杯火遊びが出来る。せいぜい冥土の土産に華やかにしたいものですな」そういって笑った。
翌日、三層の天主と等しいくらいの高さの井楼がいくつも立ち上がった。大きく揺れながら近づいてくる。老練な火矢衆がそれに狙いを定める。城内の大筒は二つ限りだ。あとは火縄と焙烙玉しかない。
井楼が停まった。その瞬間、城内の大筒が火を噴く。井楼の一つが木っ端微塵に崩壊する。城兵が喜ぶその隙に、別の井楼に備えられた大筒から砲弾が飛び込んできた。天主の根元に着弾、付近にいた城兵が吹っ飛ばされた。城内から焙烙玉を飛ばす。井楼の上から覆い被さるように爆風が広がる。敵兵の身体が千切れてぶら下がる。
大きくはない平城、その周囲を取り囲む二万の兵。しかも西の丸はすでに敵の手に渡っている。いかに城兵が奮戦しても高々命脈は知れている。城の塀はすでに打ち壊されていた。井楼は数を知らず、爆撃の嵐は止むことがない。
頼定は天主の最上階にいた。卯の花威しの鎧は傷まみれになり、家宝の菊一文字も刃こぼれがひどい。呼吸を整え、播州平野を眺める。この戦で印南野から争いは消える。

神吉城落城の刻限が迫っている。頼定は天主の望楼に立ち、鎧を脱ぎ捨てた。立ち腹を切るのだ。菊一文字の太刀の刃を握る。手が切れて血が吹き出る。そのとき、井楼の一つから発射された大筒の弾丸が天主に命中した。一瞬にして天主は崩壊した。
その頃、藤太夫は志方城へ急いでいた。なんとしても櫛橋を説得せねばならない。それが彼の主君が彼に与えた遺言なのだ。神吉城から時折爆音が聞こえる。
「今ごろ城主殿は・・」泣きたかった。本当は彼も共に死出の旅に出たかった。けれども彼にはそれは出来ない。

志方城は奇妙な静けさの中にあった。夏の日差しとセミの声以外には何もこの世界にないかのように、城兵たちはうつろな目でたむろしていた。いずれ死ぬのだ。声にならない声が聞こえる。
「別所に義理立ては要らぬであろう、ここは拙者と荒木村重殿、佐久間信盛殿を信じられた上、城兵どもも無事に家族のもとへと帰されるのがご分別ではござらぬか」
籐太夫の必死の説得に城主櫛橋の気持ちが動いたようである。
「籐太夫殿が織田方のご使者と言うわけか・・ここは、他の者の意見なども聞かねばなるまい。しばしお待ちいただきたい」
時間はない。神吉城は落ちた。大軍がここへ来るのにどれほどの時間があるというのか・・そういいたい気持ちを飲み込んで彼は「では、拙者、そのお返事を持って帰りたく存ずる。それまでの間しばし・さよう・・辻姫にでも会わせてくださらぬか」そういって櫛橋を睨み付けた。
辻姫は高谷の妻だ。桶狭間での敗戦後、今川家に戻ることを良しとせず流浪していた高谷は、ここ播州にきて神吉頼定に拾われ、砦の守備を任せられたのだった。
高谷の妻、辻姫は櫛橋の娘で、二人の婚儀を取り持ったのは他ならぬ籐太夫だった。この夫婦は子宝に恵まれ、十二歳を頭に男の子ばかり六人の子があった。
武者溜まりの奥に親子は身を寄せあい、それでも、訪ねて来たのが籐太夫だと分かると気を許したのか、気丈に見えた辻姫は泣き崩れた。
「姫、もう大丈夫やでのう。しばらく野に潜まねばならんやろうが、姫様の命を助けに参った」
「この子達はどうなります」
「大丈夫であろう・・そう神仏に祈って参ったのじゃで」
うすくらい、奇妙に静かな城内であった。時折、高揚した若武者の声が聞こえる。
志方城は織田方に開城することになった。櫛橋はじめ、城兵すべてが助命される。ところが血気にはやる若武者にはこれに反対のものも多くいた。
籐太夫が先頭に立ち、城門から外に出ると、荒木村重の手のものが待っていてくれた。城主櫛橋、その家族たちも続いて外に出る。
暑い。風がなく、空は青い。静かに開城が行なわれると誰もが確信していたそのとき、荒木の兵の顔に矢が突き刺さった。驚く人々をめがけ矢は容赦なく飛んでくる。荒木側もすぐに鉄砲、矢で応酬する。
志方城の櫓に数人の若武者が立っていた。大音声で叫ぶ。
「腰抜け城主殿はもはや我らの主君にあらず、我ら武士として潔く散りぬべし。我と思わんもの、我らを責めあげよ」
・・馬鹿が・・籐太夫は思った。櫛橋のほうを見た。
「武士としての意地で死にたいのであろう、惜しいがやむを得ぬ」櫛橋は吐き捨てるように言った。城に火矢が打ち込まれた。頑丈な城も炎を上げる。
数刻後、志方の平野を北へ向けて歩く一行があった。
白髪頭の籐太夫を先頭に、辻姫とその六人の子供たちだった。
「西の丸殿、父上の仇を討たねば成らぬで」
一番年長の、すっかり背の高くなった辻の息子がそう言う。もう元服させてもおかしくはなかった。
籐太夫は神吉城では西の丸に在していたため、西の丸殿と呼ばれることも多かった。この子は長一といい、東国武士、高谷と辻姫の間に出来た六人の内の長男だった。高谷の仇を討ちたいという。
「もう、敵だの仇だの言うことは止めなされ・・もし、長一殿がお父上の仇を討たれても、今度は討たれた相手の息子がまた仇やぞと言うて長一殿を追うであろう・・そんなことがずっと続くと、どうなりますかな?いつまで経っても戦はやまず、民百姓はずっと、難儀な思いをするやろうて」
稲の穂が伸びていた。神吉城周辺ではせっかく伸びた稲も大軍に踏みつけられたが志方では何とかそこまで行く前に戦が終わった。白鷺が緑の田圃に佇んでいる。
辻姫は何も言葉が出ず、ただ、粗末ななりで一行について行くだけだった。
彼女にはもう、戦はこりごりだった。
夫は優しい男だった。もうここにはいない。何故自分が戦国などという世に生まれきたのか、そのことだけを恨めしく思っていた。
数年後、辻姫は夫、高谷が立てこもっていた砦の跡近くに小さな祠を立て、自分もその場所に住み着いた。いまもこの場所を「辻」と人は言う。


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7 コメント

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・・・読んでいて泣いてしまいました。 (神吉)
2005-03-07 12:26:19
・・・読んでいて泣いてしまいました。
私は神吉の出身で、というかまだそこに住んでいるんですが、こんなに深いものが裏にあったとは知りませんでした。
ちなみに実家は神吉城跡の目と鼻の先です。
こんなものを書いていただけると、神吉と名のつく者として鼻たかだかです★
それでは~♪♪
返信する
神吉様。 (こう)
2005-03-07 13:02:27
神吉様。
ありがとうございます!!
神吉城に関してはほとんど分かっていないのが実情のようです。この小品は分かっていることを創作でつないだものです・・平和を願う気持ちをそこに流したつもりです。
実際の史実とは順序の違いもあるかと思いますが、僕自身の神吉を愛する気持ちとして読んでいただけましたら幸いです。

僕自身中学時代は東神吉に住んでいました。
今も親族や友人が多く住んでいます。

僕が惹かれるのは神吉氏が当時としては先進的な天守を作っていたと言うこと、それ以上に、この戦で討ち死にした高谷秀重という武士の存在です。
このあとの「武士一人」は高谷秀重を登場させました。自分では彼が神吉の地に行き着くまでを書いてみたいのですが、桶狭間から先はまだ構想中です。。
返信する
え~はじめまして。 (RRR)
2007-07-19 16:07:56
え~はじめまして。
神吉城の戦いで増援に出陣した志方勢の
主力はほとんど壊滅してますので、志方城
は神吉城が落ちるとすぐに降伏したそうですよ。当家の系図にも
○○隼人神吉城の戦いで討ち死に。
○○左門神吉城の戦いで討ち死に。
と討ち死にがずら~~~~っと
並んでます。
おそらく神吉が最終防衛線だったんでしょう
返信する
RRRさん> (こう)
2007-07-22 01:34:57
RRRさん>

ありがとうございます。
次回作の参考にさせて頂きますね。

この作品には思い入れの部分や自分自身の精神的な部分も加味されています。

歴史を正確に書くのではなく、歴史を題材として人間の心を書いていければなあと・・思います。
返信する
実は、その村に現在暮らしていると言うか生まれ育... (住民)
2008-03-08 20:21:03
実は、その村に現在暮らしていると言うか生まれ育った村民の一人なのですが・・・そんな事があったんですね
辻姫さんの墓とかも実際歩いて数分なんですが今度線香でもあげてこようかな・・・
返信する
上のコメントごめんなさい、投稿者の名前間違えま... (ま~)
2008-03-08 21:39:13
上のコメントごめんなさい、投稿者の名前間違えました。
返信する
ま~さん> (こう)
2008-05-29 23:33:47
ま~さん>

ありがとうございます。
もう1作、羽衣秘話もその方面の題材を扱わせていただきました。
返信する

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